ローランドの静かな復権

February 17, 2012

モルトウイスキーの世界で、ローランドはどこか地味な役回り。しかし繊細なる伝統の再生は確実に進んでいる。(文:ガヴィン・スミス、写真:ウィル・ロブ他)

スペイサイドやアイラよりも軽く、こだわりが感じられない。ローランドに対するこのような評価はウイスキー好きの間でも珍しくないが、もちろんまったくの誤解だ。一般的なローランドのウイスキーの特徴は、非常に繊細な草花の香りと甘み。この繊細さを無個性と取り違えてしまう人が多いのは残念である。

ローランドにおけるウイスキー製造の歴史は18世紀に遡る。1770年から20年間に、少なくとも23の蒸溜所がこの地方に建てられた。特に1777年からは3年間でスコッチウイスキー全体の消費量が3倍に増えるという大ブームを経験。この時期に、英国全土で農村部から都市部への大きな人口移動があったためだ。

ローランドとハイランドを区別したのは、1784年の「ウォッシュ法」である。これはイングランドおよびローランド地方のみを対象にした新しい税制で、ウォッシュの生産量に対してのみ酒税を課すという優遇措置。ハイランドでは依然としてスチルの容量に対して課税されていたので、その地図上の境界線が「ハイランドライン」と呼ばれるようになった。

ローランドは穀物の生産量が多く、木炭の供給が豊富だったことから蒸溜所が盛んに建設された。製麦に木炭を使うのがローランド流であり、ピートを使うハイランド地方と異なっている。発芽した大麦の麦芽に加えて、未発芽の大麦と小麦も用いる。多くのウイスキーは3回蒸溜を施すため、香りと飲み心地が軽快だった。

1830年代半ばまでに、ローランドでは115以上の蒸溜所が認可されたが、ブレンダーは徐々にスペイサイドのモルトを好むようになっていった。20世紀、ローランドのモルトウイスキーは不遇だったものの、大規模なグレーンウイスキー生産地であり続けた。多くのウイスキーメーカーが、ブレンド、瓶詰め、貯蔵などを今でもこの地で行っているのはその名残である。

確かなリバイバル

10数年前まで、ローランドのウイスキー生産は風前の灯火だった。稼働する蒸溜所が、わずか2つになったのである。1983年にリンリスゴーにあったセントマグデラン蒸溜所が、その10年後にはフォールカークのローズバンク蒸溜所が閉鎖。ダンバートン近郊のリトルミル蒸溜所、スコットランド南西端のブラドノック蒸溜所なども次々と姿を消していった。

しかしながら近年になって、状況は徐々に好転しつつある。ブラドノック蒸溜所が2000年に再建され、2005年にファイフでダフトミル蒸溜所がライセンスを取得したのはビッグニュースとなった。

現在ローランドで稼働する蒸溜所は4つ。中でも歴史あるクーパーの街で家族経営を行っているのがダフトミル蒸溜所である。1817年創業のブラッドノック蒸溜所は、スコットランドの「本の町」として知られるウィグタウンの近郊にある。便利な公共交通機関はないが、道中の海岸線や古い村々の美しさは筆舌に尽くしがたい。

夢のある復興を成し遂げようとしているのがアナンデール蒸溜所だ。建設が予定されているのは、イングランドとの境界線から約10km、ダンフリースから25kmの鄙びた地。閉鎖後7年で復興されたブラドノックに対し、アナンデールは実に1919年以来の復興となる。オーナーはデイヴィッド・トムソンとテレサ・チャーチの夫妻だ。

この他にも、まったく新参の2つの蒸溜所が操業準備を始めている。そのひとつは、ファイフ地方キングスバーンズのカンボ・エステートで、古い農業施設を手工業式の蒸溜所に改造する計画。またフォールカークでは、1993年に閉鎖されたローズバンクの伝統を受け継ぐ注文生産の蒸溜所が生まれようとしている。この小さな蒸溜所では、今ではオーヘントッシャンのみが受け継いでいる伝統の3回蒸溜を採用する予定だ。

ハイランドラインを越境して、ウイスキー愛好家がローランドを訪ね歩く光景を目にする日は近い。この地のウイスキーづくりは、長い苦節を経て再び高い評価を取り戻すことになるだろう。

 

 

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