銀座と氷の 半世紀【前半】

August 23, 2012

日本の景気は、銀座の氷屋に訊け。夕刻になると裏通りで台車を走らせる氷屋は、この街の繁栄をいつも陰で支えている。終戦直後から、休むことなく銀座に上質な氷を供給してきた「中冷」こと中央冷凍産業。氷屋の目で見た半世紀を、代表取締役の伊藤敏郎さんが語った。
写真:ウィル・ロブ

銀座数寄屋橋交差点から歩いてすぐ。帝国ホテルにもほど近い山手線のガード下に、「銀座の氷屋」は社屋を構えている。カマボコ型の入り口付近には配達用のバンが並び、その奥に冷蔵室と作業場、2階部分には事務所。意外なほどに奥行きのあるガード下のスペースを、効率的に使ったユニークな配達拠点だ。

昭和23年創業中央冷凍産業(通称「中冷」)は、もう60年以上に渡って銀座に氷を供給している老舗である。創業者の伊藤六郎さんは埼玉の農家に生まれ、裸一貫から銀座で氷屋を始めた人物。当代の伊藤敏郎さんは2代目で、昭和21年に銀座で生まれ、泰明小学校に学んだ生粋の銀座っ子だ。

中冷の店舗はもともと並木通り、現在の資生堂本社の斜め向かい付近にあって伊藤家の住居も兼ねていた。その後、電通通り沿いへの移転を経て、昭和36年に現在の場所で設備を大幅に増強している。

自宅が店舗だった伊藤さんは、小学校の頃から配達などを手伝っていたという。

「まだ12歳ぐらいの頃、高級クラブに氷を届けにいくと、きらびやかなホステスさんたちがよくかわいがってくれました。当時は高級品だったバナナをいただいて嬉しかった思い出があります。夏休みは特に配達の人手が要るので、高校や大学のクラスメートも誘ってアルバイトをしました」

家で唯一の男子だった伊藤さんだが、当初は家業を継ぐ気がなかったという。父の六郎さんを説得して、早大卒業後は大手化学会社に勤務。就職活動で志望したサントリーの最終面接では、佐治敬三社長に「どうせ家業を継ぐため退社するのだろう」と疑われて入社できなかったという裏話もある。

ところがちょうど30歳になったときに伊藤さんは翻意し、会社を辞めて家業を継ぐことに決めた。佐治社長の見立ては正しかったわけだ。

「20代後半になって、親父もじわじわと跡継ぎの話を蒸し返してきました。私もなんだかんだ親の背中を見て育ったし、戦争を生き延びて立派に商売をしている父親を尊敬していた。こんな家庭で育った宿命を、自分でも感じるようになったのでしょう」

若い頃から家業を手伝ってきた伊藤さんだが、久しぶりの氷屋の仕事は決して楽なものではなかったようだ。

「何しろ、電卓ぐらいしか持たないサラリーマンからの転身。最初の夏には7kgも痩せました。他の社員には負けられないと頑張りましたが、お得意さんに『お前の親父はそんなもんじゃなかったぞ』などとハッパをかけられましたね」

昭和63年に代表取締役に就任。その約10年前より先代の体調が思わしくなかったため、伊藤さんは30年以上に渡って銀座の氷屋を率いていることになる。現在は同業組合の副理事長、さらには業界紙「純氷ニュース」の編集委員も務める氷業界の重鎮だ。

 

信用第一の商売

氷屋の配達は、今も昔も銀座の風物詩だ。夕暮れ時になると、飲食店が多い裏通りを氷屋の台車が走り回る。中冷の従業員は20人で、そのうち配達担当は14人。ドライアイスの担当者は朝6時前から動き始めるが、夜間営業の飲食店への配達は午後5時前後がピークタイムである。

「昔はリアカーに135kgの氷柱を何本も積み、配達のたびに手ノコで切り出たものです。そんな時代からは進化しましたが、道路事情が厳しい銀座の裏通りでは、今も変わらずキャスターや台車が活躍しています」

配達人はみな得意先の合鍵を束にして持っており、出勤前の店舗に入って冷蔵庫に氷を入れる。これも昔から変わらない伝統だ。先代が氷屋を始めた昭和20年代、冷蔵庫はまだ木製の時代。各家庭を毎日巡回して、新しい氷を冷蔵庫に入れるのが氷屋の仕事だった。氷屋は、食物の保存に欠かせないライフラインのひとつだったのである。

「冷蔵庫を勝手に開けて氷を入れるということは、他人の家の台所事情を熟知するということ。これはよほどの信頼関係がないとできません。合鍵を持たされる風習も、この信頼の延長だと思っています」

伊藤さんによると、氷の販売量は昭和37~38年に早くも頭打ちとなった。電気冷蔵庫が普及し始め、一般家庭の需要がなくなったのである。その後、飲食店などで使われていた飲料用の氷も、昭和40年代から自動製氷機の登場によって需要が減った。スーパーやコンビニで角氷が売られるようになって少し持ち直したことを除けば、その後はゆるやかに衰退している産業なのだという。

現在、日本全国の氷屋、すなわち氷雪販売業者は1,000軒弱。最も多い東京で200軒に満たないくらいだ。氷の業界は製造と販売がきれいに棲み分けされているので、中冷の氷も都内の製氷工場から供給される。昔は製氷工場が都内に70ヵ所以上あったが、現在は4ヵ所を残すのみである。

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