科学や技術の力を使いながら、芸術品や工芸品のように香味を仕上げる試み。人間の感性を総動員することで、ウイスキーづくりの可能性が広がる。

文:ルーシー・スコフィールド

モグワイのバリー・バーンズとシンガーソングライターのキャスリン・ジョセフが制作した楽曲『ロリカ』をリリースする前に、ホワイト&マッカイ本社では社員数名だけを集めて小規模な試聴会が開催された。参加者はみな「ヴァンガード」のシングルカスクウイスキー(29年熟成)を味わいながら楽曲に耳を傾けた。

その経緯について、フェッターケアンでグローバル・シングルモルト・スペシャリストとして働くアンドリュー・レニーが回想する。

「誰とも話さなかったのに、アンケートで全員が『時間』というテーマを頭に浮かべていたことがわかったんです。聴きながらウイスキーを楽しんでいる間に、絵を描いていた人もたくさんいました」

フェッターケアンのグローバル・シングルモルト・スペシャリストを務めるアンドリュー・レニー。共感覚に注目した画期的なアプローチで、ウイスキー体験の新境地を開拓した。メイン写真はフェッターケアン蒸溜所の周辺に広がる美しいハイランドの風景。

確かに『ロリカ』を聴くと、緊迫感の高まりによって「時間」の概念が喚起される。それは満ちたり引いたりする潮のような時間の流れだ。そしてウイスキーを手にしながら耳を傾ければ、流れる水や、海へ向かう川などのイメージに結びつくようだ。

この音楽はウイスキーを味わうための「心的な空間」として機能し、風味を超えて実現される感覚体験を構築するのではないか。

企画コレクション「ヴァンガード」は2本セットの商品であり、そのひとつは29年熟成のシングルカスクだ。このウイスキーの熟成過程には特異な点がある。リフィルのバーボン樽で25年熟成された後、ボルドーにある製樽会社のデンプトスが組み上げた「エッセンシア」と呼ばれる樽で後熟を施した。

このエッセンシア樽に使用されたオーク材には「ピンクオーク」という愛称もあり、カロテノイドを豊富に含んでいることがわかっている。カロテノイドはフラミンゴをピンク色に染める色素としても知られており、分解されると風味に大きな影響を与える芳香化合物「ノリイソプレノイド」が生成される。

この現象は、ワイン醸造時にブドウのカロテノイドが分解される過程とも共通している。デンプトスの担当者によると、この概念を樽に応用することでワインに含まれる花や果実の香りを強調できるのだという。

マスターウイスキーメーカーのグレッグ・グラスがデンプトスのエッセンシア樽に出会ったのは、蒸溜所に新たな風味をもたらす方法についてあれこれ考えを巡らせていた時だった。アンドリューも、樽との出会いが大きなヒントになったと回想する。

「ウイスキーをこの樽で熟成させたらどうなるんだろうという興味に駆られて、当時25年間熟成中だったウイスキーを樽詰めしましたた。その結果、イチゴやクリームを思わせる風味が加わり、ここ数年間でそれがどんどん発展していったんです。その過程には本当にワクワクしました」

完成したウイスキーには、確かにイチゴのようなニュアンスがはっきりと感じられる。それも焼いたイチゴ、メレンゲ、新鮮なイチゴのヘタなどの印象だ。香りはとても魅力的で、味わいは少しだけスパイシーな焼き菓子を連想させる。朝食のペストリー、アーモンド入りのプラム樽、シナモンロールなどの感触がある。
 

対照的な2本のウイスキー

 
「ヴァンガード」コレクションに含まれる29年熟成のシングルカスクは、フェッターケアンのウイスキーを大胆に再解釈した異色作であることがわかった。対になるもうひとつのウイスキー(熟成年数が非表示)は、フェッターケアン蒸溜所のコアなスタイルを存分に表現したボトルだ。

フェッターケアンのハウススタイル形成に不可欠なのは、1950年代にアリステア・メンジーズ蒸溜所長(当時)が導入した蒸溜器の仕組みだ。特に銅製の冷却リングは、蒸溜器の上部で冷やされて流れ落ちてくる液体がネック部分で還流を起こす。つまり軽やかでフローラルな香味成分だけが冷却リングを通過し、油分を含むヘビーな香味成分は冷却されて液中に戻されることになる。

このようなアイデアもまた、フェッターケアンの伝統である実験精神から生まれたものだ。この精神こそが蒸溜所を200年にわたり存続させ、フローラルなトロピカルフルーツの風味を前面に押し出したスピリットで世に知られる礎となった。

スピリッツを磨いて華やかな香味を際立たせるため、独自に採用した蒸溜器の「冷却リング」。技術と感性を総動員したフェッターケアンのウイスキーづくりを象徴する工夫のひとつだ。

現代のグレッグ・グラスが蒸溜所に持ち込んだ独自の実験精神は、スコットランド産オーク樽の導入である。ウイスキーの熟成樽に、スコットランド産オーク材を使用するのは異例である。一般的に普及している欧州産や米国産のオーク材よりも扱いにくいと考えられてきたからだ。

グレッグはこの通説に疑問を呈し、過去10年間でスコットランド産オーク樽の本格的な導入を計画してきた。風倒木のスコットランド産オークを優先的に入手できるように関係各社と連携し、樽材として使用する際の厳格な管理体制を構築してきたのである。地元スコットランド産のオーク材に注目する理由のひとつは、輸送によって環境に負荷をかける海外産の樽に依存しなくても済むようにすることにある。

フェッターケアン蒸溜所が初めてスコットランド産オーク樽を使用した商品は、スコットランド産オーク樽でフィニッシュした原酒を100%使用した年次限定品の「フェッターケアン 18年」である。また熟成年数が非表示のヴァンガードにも、熟成工程の一部でスコットランド産オーク樽が使用されている。

こちらのヴァンガードでは、スペイサイドの製樽工房と共同開発した容量200リットルの「ハイブリッド樽」で仕上げられる。この「ハイブリッド樽」の本体はアメリカンオーク材だが、強火でチャーを施した天板にはハイランド地方の風倒木から得られたスコットランド産オーク材が使われている。

こうして生まれたウイスキーには、焦げたレモンのような柑橘系の香りとライム、ほのかなリンゴとエルダーフラワーの香りが際立つ。後味にはライムキャンディーやオレンジの爽やかな酸味が感じられる。

フェッターケアンは、画期的な「ヴァンガード」コレクションによって五感に焦点を当てた新境地を開拓した。これは蒸溜所の大きな個性である実験精神の継続であり、既存の伝統を脱却したものではない。

今回はグレッグの共感覚的なテイスティングノートが着想源となったが、アンドリューは「あくまですべては風味本位でウイスキーをつくっている」と断言している。

「革新のための革新は望んでいません。それでも人々の感覚、地域の歴史、美しい自然環境などからインスピレーションを得ることはウイスキーづくりにおいて極めて重要です。その点でグレッグの手法はとてもユニークであり、新商品を開発する際には常に蒸溜所のDNAを意識しています。そうすることで、誰もが楽しめる魅力的なウイスキーを生み出せると信じているからです」