自然の美しいカナダ東岸には、豊かで複雑な歴史がある。田舎町の一角で、真にユニークなスピリッツづくりを実践するフィス・デュ・ロイ蒸溜所を訪ねた。

文:ブレア・フィリップス(取材協力:ダヴィン・デカーゴモー)

 

カナダ東岸のアカディ半島。小さなパケットヴィルの町を進んでいくと、道が突然終わって行き止まりになった。階段の先には、双塔のサントギュスタン教会が聳え立っている。深遠な歴史と風土が感じられる風景だ。ニューブランズウィック州の北部で、道に迷いながらも目的地へ向かう。この町では、敬虔なるウイスキー蒸溜家のセバスティアン・ロイが家業を営んでいるのだ。

セバスティアンが フィス・デュ・ロイ蒸溜所を設立したのは2011年。サントギュスタン教会が建設された1879年から数えて、132年も後のことだ。イギリス人の移民が押し寄せて、先住民であるアカディ人たちを地域から追い出し始めたのが1755年。その当時からロイ家はニューブランズウィック州で暮らしており、セバスティアンで8代目になる。彼がつくるウイスキーには、先祖への敬意も込められているのだという。

蒸溜酒づくりにかけるセバスティアンの情熱は、わずか14歳のときに始まった。実験用として手に入れたのは、キッチンにある広口瓶。母親が作ったカナダ東部の名物料理「玉子のピクルス」が入っているありきたりな瓶だ。

セバスティアンが昔を思い出しながら語り始める。この地域で話されるシアック語、アカディ語、フランス語の訛りが入り混じったチャーミングな英語が耳に心地よい。

「インターネットやコンピューターに興味を持つより、ずっと前からアルコールづくりに惹かれていたんです。両親が持っていた百科事典を読んで、発酵の知識を学んでいました。その事典によると、密封した容器のなかに、水、糖分、酵母を入れると発酵が起こると書いていたので」

記述の通りに水と砂糖と酵母を広口瓶に入れて、寝室の戸棚の奥に隠しておいたセバスティアン。早くも翌日に、驚愕の成果を目撃することになった。広口瓶の中で、液体が動いていたのである。

「驚きましたよ。キッチンにあるものを入れただけで、生命を生み出せたのかと思いましたから」

だが、この広口瓶の中の液体を飲むことはなかった。アルコールを飲めば、失明してしまうかもしれないと恐れたのだという。

「大学に行ってから、ようやくわかったんです。糖を発酵させてできた物質なら、飲んでも失明することなどないことを」

セバスティアンはさらに学位を取得すべく大学で学び続け、その合間に自宅のアパートでビールやワインを発酵させ続けた。学業の傍らで、手造りビールの店で働いていたこともある。ただし給料は受け取らず、時給分の商品をもらうという物々交換のような働き方だった。セバスティアンは、当時を回顧する。

「あの店で、基本的な発酵のあれこれを実験しながら学べました」
 

チェコで蒸溜酒と運命の出会い

 
大学を卒業したセバスティアンは、ビールの醸造をスタートする。パートナーを務めたのは、ある微生物学者だ。彼が発酵に関するセバスティアンの知識をさらに増大させてくれた。だがそんな折に、セバスティアンは人生を変えるような体験をした。

「2007年にチェコのプラハへ旅行しました。そこで飲んだアブサンに衝撃を受けたのです。一口味わっただけで、心も体も打ち震えるような感動の体験。あんなことは人生で初めてのことでした」

カナダに帰ると、セバスティアンはまっすぐ自宅の庭に向かった。栽培していた野菜をすべて引き抜いて、その代わりにヨモギやアニスをはじめとするアブサン用のボタニカルを植えた。2009年になると蒸溜器1台を手に入れて酒造免許にも登録し、ベーススピリッツのつくり方を研究し始めた。

14歳で醸造の不思議に魅せられたセバスティアン・ロイ。超小規模な実験室から徐々に規模を広げて、ようやくマイクロディスティリングと呼べるくらいの施設になった。

当時のニューブランズウィック州は、深刻な不景気に陥っていた。2011年までに、セバスティアンの母親は働いていた印刷業界の先行きにも不安を感じ始めていた。セバスティアンの周辺でも、地方政府の公務員でさえ解雇されるような状況だった。さまざまな事情が重なって、事業のやり方を変える時期が来ているとセバスティアンは悟った。

「そこでビール醸造所を売却して、母と一緒に蒸溜所を創設することにしました」

それまでは実験室のような機材だったが、なんとかマイクロディスティラーと呼べる最低限の設備にまで拡張。かくして母子の事業はスタートした。生産エリアの両辺が3×6mに満たない小さな蒸溜所だった。

平日は母子ともに定職を持ち、日曜日にスピリッツをつくるという生活が始まった。スピリッツづくりは、朝5時に始まって翌朝の3時まで続く。ローンチェアで交互に睡眠と休息をとりながら、起きている方が蒸溜器を見守る。収入はすべて新しい設備に再投資され、蒸溜所の生産規模が少しずつ拡大していった。

出来たてのアブサンを角砂糖の上にたらしながらも、将来への不安はどんどん増すばかりだった。セバスティアンが新しく掲げた目標のひとつは、ニューブランズウィック州の経済を救うこと。職を求めて他州へ移住する人を減らすため、なんとか雇用を創出したいと考えるようになった。

そこでセバスティアンは、ニューブランズウィック州で初めての製麦所を建設し、同時に酵母を生産するラボも用意した。仕事を増やせば、スタッフを雇い入れる必要にも迫られる。それが目的の一部になったのだとセバスティアンは語る。

「これから人員を充実させれば、フレーバーの変化を分析して、そのプロセスを完璧に理解できる体制も整えられますよ」

またセバスティアンは、この土地ならではの土壌や気候をスピリッツの風味に表現しようと考えて努力を続けている。世界各地のウイスキーメーカーが「テロワール」と呼んでいる概念だ。

「グレーンを生産してくれる農家は、すべて海から5km以内の場所で穀物を栽培しています。この事実が、特有の心地よいミネラル感を表現してくれる原因だと考えています」
(つづく)