もはやウイスキー新興国ではない。大きく変わりつつあるオーストラリアの現況を様々な角度から解説する3回シリーズ。

文:ルーク・マッカーシー

 

オーストラリアのウイスキーについて語るとき、まず何から語り始めるべきなのだろう。その歴史を紐解いていくのも一つの方法だ。英国から囚人が送り込まれていた時代や、植民地時代の初期にもスピリッツ生産がおこなわれた事実はある。1820年代には、ニューサウスウェールズ州とヴァンディーメンズランド州(現在のタスマニア州)に最初期の蒸溜所が設立された。しかしどれも長くは存続しなかった。

その後、1860年代に本格的なウイスキー蒸溜所が誕生し、さらにはビクトリア州のゴールドラッシュによって、オーストラリアは空前の好景気に沸いた。やがて1920年代には、メルボルンのジョシュア・ブラザーズ蒸溜所が世界最大級のモルトウィスキー蒸溜所として知られるようになる。オーストラリアは建国以来の酒豪大国であり、需要を満たすために大量のモルトウィスキーが生産されていたのだ。当時のオーストラリアは、世界第4位のウイスキー生産国であったという逸話もある。

意外なほどに長い歴史のあるオーストラリアのウイスキーづくり。プレミアムクラスで高く評価されるブランドが生まれ、次は世界市場を意識した新しい戦略が求められている。

ディアジオの前身であるディスティラーズ・カンパニー・リミテッド(DCL)も、オーストラリアのウイスキー史に足跡を残した。1929年、DCLはメルボルン郊外にモルトウイスキーとグレーンウイスキーを生産する巨大なコリオ蒸溜所を建設。主要な競合他社を駆逐したDCLは、数十年にわたって国内のウイスキー市場を支配した。しかしその後、蒸溜所閉鎖が相次いだ暗黒の10年がやってくる。結果として1980年代にコリオ蒸溜所は閉鎖され、DCLはオーストラリア市場を見捨てたのである。

ブライアン・ポーク、ビル・ラークとリン・ラークの夫妻、そして1990年代に登場したタスマニアの蒸溜酒製造者たちにもスポットを当てるべきだろう。さらには小規模な設備でクラフトウイスキー製造のムーブメントを作ったパイオニアたちも重要な存在だ。その後を継ぐように、ベーカリーヒルズ、ヘリヤーズロード、ライムバーナーズ、ベルグローブ、スターワードなどの重要なメーカーが誕生している。

現在、オーストラリアでは120軒以上の蒸溜所でウイスキーが製造され、そのうち90軒以上の蒸溜所がそれぞれ個性的なウイスキーを市場に送り出している。オーストラリアの今を理解するなら、このすべての蒸溜所を紹介してもいいくらいだ。

オーストラリアのウイスキーメーカーには華々しい受賞歴もあり、この国独自のワイン樽熟成もユニークな香味構成に一役買っている。伝統的な穀物を原料にした独自のウイスキーもつくられはじめた。ウイスキー製造の分野には、大手ビールメーカーから160年の歴史を持つワイナリーまで、実にさまざまな企業が参入している。

ここまで駆け足で説明してきたのは、すでに起こったことばかりだ。だがそんなことより、今は次に起こることについて話しておいたほうがよさそうだ。なぜなら、オーストラリアのウイスキー産業は大きな過渡期に直面している。まもなく現在とはまったく異なる姿になってしまいそうだからである。
 

量産型への大転換がスタート

 
そんな変化の兆しが垣間見られる場所のひとつは、南オーストラリア州のバロッサバレーにあるタラック・テクノロジーズ社だ。バロッサバレーは、世界的なワイン産地として知られている。タラックは1930年に設立された企業で、ブドウ原料のアルコール生産やワイナリーの副産物を回収したリサイクル事業を柱にしてきた。

現在のタラックは、オーストラリア最大の高品質なグレープスピリッツメーカーでもあり、オーストラリアで急成長中のクラフトジン業界にニュートラルスピリッツを大量供給している。そして最近になって、タラックは契約生産のウイスキーも製造し始めた。CEOを務めるジェレミー・ブランクスは、次のように語っている。

「今後の数年間は、オーストラリアのウイスキー業界にとって複雑な環境が続くでしょう。タラック・テクノロジーズはその最前線にいますが、すでに多くの重要な変化が起こり始めています。私たちのウイスキープログラムは、あくまでオーストラリアンウイスキーの成長に寄与するさまざまな原酒を提供するのが目的です」

タラック・テクノロジーズは、ワイン産地のバロッサバレーにある。ワイン産業に紐付いたスピリッツ生産の伝統を活かし、効率的なモルトやグレーンのスピリッツでオーストラリアンウイスキーの量産化を目指す。メイン写真は、ワイン畑に囲まれたタラック・テクノロジーズの施設全景。

長年の研究開発を経て、タラックは12ヶ月前から連続式蒸溜機で大麦モルト原料のニューメークスピリッツを蒸溜し始めた。そのスピリッツを大量に自社内で熟成させており、準備が整った時点で各ウイスキーメーカーに熟成したウイスキーを販売できるようになる。このようなコスト重視のウイスキーづくりを始めた理由について、ブランクスは次のように説明している。

「オーストラリアでは、ずっと90%以上のウイスキーが80ポンド(約12,000円)以上という高級品市場の状態が続いていました。プレミアムとウルトラプレミアムの市場に偏っている状態で、これは世界市場に比べるとかなりいびつな現象だったんです」

この偏りを是正し、35〜55ポンド(約5,000〜9,000円)クラスの手頃で良質なオーストラリアンウイスキー(特にブレンデッドウイスキー)が発売されたら市場が活性化するのではないか。そんな考えが、タラックの事業を後押しした。

「オーストラリアのウイスキー蒸溜所が、海外にも商品を輸出できる機会を加速させたい。特にブレンデッドウイスキーは、世界市場の大きな部分を占める分野です。オーストラリアのウイスキーメーカーが、ブレンデッドの市場に参入できるチャンスはあると思っています」

オーストラリアンウイスキーを輸出市場に進出させたがっている人物は他にもいる。その一人がダビッド・オストロフスキで、動機はタラック・テクノロジーズとよく似ている。オストロフスキは、ビクトリア州北西部にグレープスピリッツと酒精強化ワインの製造施設を所有していたが、ここを国内最大級のウィスキー専用生産拠点(グレーンウイスキーとモルトウイスキー)に変貌させた。この新会社、オストラ・ディスティラーズについてオストロフスキ自身が説明してくれた。

「私たちの目標は、他のオーストラリアのウイスキー蒸溜所とまったく同じ。つまり素晴らしい品質のウイスキーを生産することです。オーストラリアのブランドを世界的に販売できるようにするために、ウイスキーの量産をお手伝いするのが私たちの役割になります」

最近になって、オストロフスキはオーストラリアの代表的なビールメーカーから4,000万ポンド(約64億円)でビール醸造所を購入した。もともとドイツの技術で建築された醸造所は、設備ごとオストロフスキ所有の工場に移設されている。この設備が完全に稼働すれば、グレーン原料とモルト原料から年間2,000 万リットル以上のスピリッツが生産できるという。この投資について、オストロフスキは次のように語った。

「この醸造所があれば、1日に350樽分のスピリッツを製造できます。かなり驚異的な数字ですよね。世界中の人に飲んでもらえるのかどうか、ちょっと不安もあります。でもきっと飲んでもらえると確信していますよ」
(つづく)