ウイスキーづくりに欠かせない大麦麦芽。畑での栽培に適し、発酵や蒸溜にも適した大麦の品種はどのように開発されるのか。スコッチ業界の内幕を紹介する2回シリーズ。

文:ティス・クラバースティン

 

ウイスキーファンたちに愛されるシングルモルトの大半は、ある特定の大麦品種を原料にしている。それはコンチェルト種とオプティック種だ。共に2000年代を通してスコットランドの麦畑を支配していた大麦品種である。だがその後、両品種は新しいローリエト種へと置き換えられてきた。

ローリエト種には、農場と蒸溜所の双方において、先行品種よりも優れたパフォーマンスが見込める。この新しい品種からつくられたウイスキーは、すでに市場でも購入できる。これから各地の蒸溜所で原酒の熟成が完了すれば、その数はどんどん増えていくことだろう。

新しい大麦品種の評価プログラムを運営しているのは、英国麦芽製造業者協会の内部にある大麦製麦委員会(MBC)。チェアマンを輩出しているのは、麦芽製造大手のマントンズ社だ(メイン写真もマントンズ社のモルト)。

コンチェルト、オプティック、ローリエトは、そのパフォーマンスの高さからウイスキー業界で「スーパー大麦」呼ばれている。ウイスキーづくりに欠かせない原料ながら、よほどのウイスキーマニアでもないかぎり、品種まで気にしたことはないという人が大半であろう。それでも、大多数のスコッチシングルモルトウイスキーが、この3種類のスーパー大麦のいずれかを原料にしているのは事実である。

ウイスキー用の大麦品種は、どのようにして開発されているのか。その鍵を握るのが、「ステアウェイ・トゥ・ヘブン」(天国への階段)と名付けられたプログラムだ。いかにも幻想的な名前だが、実態は英国麦芽製造業者協会の内部にある大麦製麦委員会(MBC)によって運営される評価プログラムである。

プログラムの目的は、イングランドおよびスコットランドの麦芽製造、ビール製造、ウイスキー製造に適した大麦品種を評価し、認証を与えること。育種家、農家、麦芽製造業者、ビール醸造業者、スピリッツ蒸溜業者が参加するコンソーシアムで、業種横断型の取り組みを進めている。
 

何十年もかかる育種プロセス

 
新品種が認証されるまでのプロセスは、骨の折れる作業の連続だ。現在酒屋で売られている10年熟成のシングルモルトウイスキーを考えると、そこで使用されているのはおよそ20年前に品種改良をスタートさせた大麦品種であろう。

20年前、まず育種家が2つの親品種をかけ合わせて新しい品種を作り出した。育種家が育てた何千種類もの品種のうち、MBCによって認可されるのはほんの数えるほどだ。この認可までのプロセスには、通常5〜7年という時間がかかる。

ウイスキーの聖地アイラに、二条大麦の収穫期がやってくる。大麦の育種は、スピリッツ業界に関わるさまざまな人々の要望を念頭にして進められる。

だがひとたび品種が認可されると、大麦栽培農家にとっては、その品種が麦芽製造において優れたパフォーマンスを発揮してくれることが保証されるのだ。また麦芽製造業者にとっては、その認可された品種が顧客のスピリッツ蒸溜業者を満足させる品質だと信頼できる。

MBCのチェアマンを務めるマントンズ社のマーク・アイネソンは、次のように説明する。

「MBCが求めているのは、急にもてはやされて、すぐに忘れ去られるような一発屋の品種ではなく、あくまで長期間にわたって活躍できる品種です。重要なのは、麦芽製造業者にとって良い品種であり、農家にとっても良い品種であり、スピリッツ蒸溜業者にとっても良い品種であること。この条件を満たしている品種だけが認定されます」

新品種の開発にMBCが関わる以前も、育種家は長い年月をかけた取り組みを続けていた。そこに費やされた時間、労力、献身、原資は相当なものだったはずだ。育種を手掛ける企業は、確実に回収できるかどうかわからない事業に毎年数億円にも及ぶ巨費を投じていたからだ。

だがこのリスクは、計算ずくのリスクであったともいえる。開発中の品種の大半は、農家によって栽培されることがないことを承知の上で多額の研究開発費が投じられていた。しかし「ステアウェイ・トゥ・ヘブン」の全行程を首尾よくクリアしたわずかな品種は、その使用料によって投資を十分以上に回収できる。そうやって、この新種の開発プログラムは持続しているのである。
 

新定番ローリエト種の誕生から普及まで

 
近年、大きなヒット品種を夜に送り出している育種会社のひとつが、シンジェンタ社だ。育種に成功した春まき大麦(二条大麦)のローリエト種は、2017年にMBCの全面承認が得られた。現在、スコットランドで購入される大麦の約70%までがローリエト種で占められている。

シンジェンタ社のマーケティング・マネージャーを務めるトレイシー・クリーシーが、育種プロセスについて説明してくれた。

「ローリエト種が突出して優れた品種であることは、早期段階からわかっていました。スピリッツの収率でも、畑での栽培効率でも能力を発揮していたからです。そこで開発のスピードをアップして種子増殖を急ぎ、MBCの試験に間に合う量を確保しました」

ローリエト種の開発方法は、他の品種と何ら変わらない。MBCの審査にさえ到達できない何千もの品種も、同じように開発されている。この新品種開発の取り組みは、基本的に交雑育種を中心としたものだ。その工程にはいくつもの改善が加えられてきたものの、その仕組み自体は19世紀からさほど変化していない。 本質的には、ある品種を別の品種に受粉させるというシンプルな作業の積み重ねだ。

テロワールを重視するアイルランドのウォーターフォールド蒸溜所。良質な大麦は、あらゆる香味表現や安定生産の基礎となる。

その点でいえば、育種はさほど科学的な技術も要らない仕事なのである。受粉がある一定の条件に制御された環境でおこなわれる訳でもなく、伝統的な育種はすべてが畑の中で進行する。育種家は、まず優良な品種ではあるものの、改善点が挙げられている品種Aをひとつ選ぶ。そしてもう一方で、品種Aの改善点に応えてくれそうな品種と交配させるのだ。トレイシー・クリーシーが説明する。

「人間の遺伝子の働きにも似ていますよ。私たちはみな両親の遺伝子を受け継ぎますが、それぞれの親からどの遺伝子を受け継ぐのかは子供によって異なります。父母ともに瞳の色がブルーであっても、子どもの瞳はグリーンであったりします。古い特性のなかには、子どもに受け継がれないものも出てきます。だからこそ交配種を育てるときも畑に何千本もの苗を植え、その中から望ましい特性を持った苗を選び抜くという作業が必要になるのです」

交配種の選抜が畑で終わると、ようやく科学の出番である。具体的には、いくつかの指標に基づいた植物組織の分析だ。ここでおそらく最も重要な指標が、GNと略称される配糖体ニトリルであろう。このGNの含有量が、著しく低い品種のみが適格とされる。GNはカルバミン酸エチルと呼ばれる発がん性物質の前駆体となる可能性があるため、少しでも基準値を上回ると自動的に失格だ。

GNを含有する品種がスピリッツ製造に使用されると、発酵、蒸溜、熟成の過程で、この発がん性物質の形成が促進されてしまう。また製麦時に、発芽期間を延ばすことでも同様の問題が生じる。

カルバミン酸エチルは、醤油、ビール、キムチ、パンなど、さまざまな食品や飲料の中で検出される。そのため大半の消費物品が含有量の上限を定めて規制している。育種家は独自に配糖体ニトリルの含有量をチェックしているが、スコッチウイスキー研究所(SWRI)とジェームズ・ハットン研究所も共同で新しい品種にGNが含まれないよう再確認している。SWRIのリサーチ・サイエンティスト、ニック・ピッツはこう説明する。

「GNの含有量は、ユニットあたりで上限が定められています。もしウイスキーメーカーなら、20年もかけて熟成したウイスキーをアメリカに売ろうとしたときに、この規制に触れることがわかって市場投入を諦めるリスクがあります。すべての投資を無駄にすることは避けたいですよね。だからGNを含まない大麦品種を選んでおくことで、スピリッツ蒸溜業者たちはこのリスクを回避してきたのです」
(つづく)