ワインの世界で「ビオディナミ」として知られるようになったバイオダイナミック農法。エコでスピリチュアルなウイスキーづくりの最前線を追う3回シリーズ。

文:ポール・アーチボルド、フェリーペ・シュリーバーク

 

スコッチウイスキー業界は、2040年までに二酸化炭素排出量のネットゼロを達成するという目標に取り組んでいる。この流れに従って、ウイスキー生産に起因する環境負荷がかつてないほど厳しい監視の対象になってきた。

バイオダイナミックを実践しているブルックラディ(アイラ)とウォーターフォード(アイルランド)。両蒸溜所をつなぐのは、ワイン造りに精通したマーク・レニエだ(メイン写真はブルックラディ蒸溜所)。

モルトウイスキーの主原料である穀物の生産方法についても、真剣に考慮する姿勢が求められている。モルトウイスキーに使われる大麦のような穀物の栽培には、通常多少の有害な農薬と肥料を使用しなければならない。この農薬と肥料は、産地の土壌や周辺の水源に悪影響を与えてしまう懸念がある。

この流れの結果として、化学肥料や農薬なしで栽培された大麦を原料とする「有機認証」のウイスキーを製造する蒸溜所も増えている。まだ市場全体のごく一部ではあるものの、ベンロマック、ディーンストン、ブルックラディなどの蒸溜所が2000年代半ばからオーガニックウイスキーを発売し始めた。最近ではナクニーン蒸溜所が完全な有機生産を実践する唯一のスコッチウイスキー蒸溜所として話題を集めている。

有機認証を獲得し、ブランドとしてオーガニックウイスキーを謳うには、生産過程で化学物質の使用を止めなければならない。そして化学物質の不使用が、地域環境にもたらす恩恵を主張できなければならない。

この有機農業の先に、より難易度の高い手法を取り入れた分野もある。それがバイオダイナミック農法だ。極めて特殊で能動的なアプローチが必要とされる再生農業で、アイラ島のブルックラディとアイルランドのウォーターフォード蒸溜所が先駆的に取り組んでいる。

この2つの蒸溜所が国境をまたいでバイオダイナミック・ウイスキーをつくっているのは偶然ではない。ウォーターフォードの創業者でワイン愛好家のマーク・レニエは、ブルックラディの再建にも携わったことがある。現在はバイオダイナミック・ウイスキーの第一人者として活躍しているが、これはシャトーヌフ・デュ・パプで試飲したフランス産のワインや、現地で出会ったワインメーカーたちの考え方に触発された経緯があるからだ。
 

1世紀前に生まれた思索的な農法

 
そもそもオーガニックウイスキー自体の生産量がまだごくわずかなので、バイオダイナミック認証の詳細は一般のウイスキーファンには理解しがたい内容かもしれない。

バイオダイナミックの考え方によると、牛には大地を肥やすパワーが宿っている。ウォーターフォードの堆肥づくりにも、牛の角が象徴的に使用される。

バイオダイナミックは1920年代に生まれた概念であり、今日では174ページにも及ぶバイオダイナミック連盟の認証ガイドによって定義されている。一見すると有機農業の基準に似ているが、バイオダイナミックは有機農業が意味する領域をさらに超えて、形而上学的かつスピリチュアルな考え方に根ざした循環型の農法を取り入れている。

ブルックラディとウォーターフォードは、バイオダイナミック認証を得るために検査を通過した。その検査を担当したのが、英国バイオダイナミック協会の工程技術責任者を務めるリチャード・スワンだ。バイオダイナミックの条件について、スワンは次のように説明してくれた。

「バイオダイナミック認証の大原則となるのは、作物、野菜、果物などを栽培する際に、栽培地の土壌のパワーをそのまま維持するか、もしくは向上させること。作物の栽培によって、決して土壌の力を低下させてはなりません。つまり極限まで大地の環境にやさしい方法を使う必要があり、これが今の時代では簡単なことではないのです」

バイオダイナミック農法では、ひとつの農場(有機認証済みであることが条件)が独立した循環型の自立した食料生産システムであると考えている。この土壌の健全性を高めることが、バイオダイナミックの大きな目的だ。

バイオダイナミック農場では、できるだけ多くの肥料を自家生産することが求められる。この肥料は家畜の糞が原料であり、家畜も農園で栽培された作物を食べて生きている。このような循環構造によって輸入原料の必要性を減らし、農場の二酸化炭素排出量を削減できるという考え方なのだ。
 

神秘的な土壌のホメオパシー

 
バイオダイナミック・ウイスキーを製造するには、農場、製麦業者、蒸溜所のすべてが適切な認証を受ける必要がある。バイオダイナミック式に栽培された大麦を他の大麦と分けて保管し、期間で分けて併用している場合は製麦装置と蒸溜装置も適切に洗浄しなければならない。

環境面では理にかなっているバイオダイナミック方式の自給自足システムだが、このような厳しい基準は多くの人にとって非現実的に映るかもしれない。実践されているルールは、農業界や学界の一部から迷信的ではないかと揶揄されている。科学的事実よりも、むしろスピリチュアルな信念に基づいているのではないかという指摘だ。

神秘的なルールに従って得られた堆肥を畑に撒く。じっくりと時間と手間をかけたのに、水で極限まで薄めて微量を散布するだけ。土壌のホメオパシーと呼ばれる所以だ。

例えば、耕す、植える、収穫するといった年間の作物管理は、すべて月の周期に基づいた旧暦(太陰暦)で予定されている。これは月の引力による「押し引き」が土壌や植物内の水分の動きに影響を与えるからだ。

地球の潮の満ち引きは、実際に月の引力と連動しているので理解できる。だがその一方で、バイオダイナミックは占星術も重視している点がスピリチュアルな印象を与えている。

バイオダイナミック農家は、畑や堆肥に特別な「調合剤」を撒かなければならない。そのひとつを作るには、牛の角に堆肥を詰めて地表から40〜60cm下に埋めておく。冬の間に地中で分解されるので翌春に回収し、こうしてできた小さじ1杯の堆肥を40〜60リットルの水で薄め、1時間かけてかき混ぜる。新しい作物を植える畑に、この溶液を散布するのである。

そして堆肥にも風変わりなルールがある。それは牛(月齢1年未満の仔牛)や豚や馬の頭蓋骨に細かく刻んだ樫の樹皮を入れ、雨の多い場所で泥炭に囲まれて土に埋めるというものだ。このほかにもさまざまな細かい準備があって、最終的には堆肥の山に加えられていく。

このような活動を神秘主義として否定する批評家もいるが、現代の支持者には、あくまで実践的な活動に焦点を当てているのだと主張する者もいる。つまり土壌の健康と生物多様性を改善するため、農地の微生物相(細菌や菌類)と栄養分を培養する行為だというのだ。

運動を統括するバイオダイナミック連盟の公式サイトでは、これらの調剤的な準備を「土壌のためのホメオパシー」と表現している。
(つづく)