ローマ帝国時代の欧州で、木樽が広く流通した。その形状で画期的なのは、船で輸送する際の利便性である。

文:クリス・ミドルトン

 

共和政ローマがガリアとゲルマニアに侵攻した紀元前58年の時点で、ケルト民族の社会には洗練された高度な技術が普及していた。ローマ帝国の植民地となって以来、大型の樽を輸送するニーズが増大したため、収容スペースを確保できるように荷馬車や船の建築も改良されていた。

当時のヨーロッパで浅い川や湖の浅瀬を航行していたのは、ガリア地方で「バトー」と呼ばれた平底船である。ケルト民族にとって、ヨーロッパの水路は人や物資を輸送する大動脈であった。

イベリア半島北部で、スペインとポルトガルを結ぶドウロ川。伝統的な平底船「バルコ・ラベロ」には、今でもワインを容れた樽が積まれている。

大陸貿易が盛んになると、ライン川、ローヌ川、ドナウ川などの川にたくさんの船が行き交った。各地に住むケルト民族は、樽積みの荷物を運ぶために独自の船を建造している。ローマの長距離船も、ドリアやアンフォラなどの陶製容器が収容できるように改造され、商船の代表格であるコルビタ船の改良が進んだ。

その数世紀後、ポルトガルのドウロ川では最大25トンのポルト樽を運ぶために平底船「バルコ・ラベロ」が設計されている。フランスでは、シャラント川のガバレス船がラ・ロシェル港にコニャックやワインを運び、マルヌ川ではマルノワ船が、ロワール川ではガロ・ロマン派のシャランド船が20世紀まで活躍した。

船で輸送する木樽は、「ビルジ」や「傾斜スタッキング」と呼ばれる方法で積み込まれた。栓が上になるようにして木樽を横に寝かせ、上下に重ねるようにして並べる。水上でも荷崩れが起きないように重い貨物を固定するため、船荷の底には少し遊びを持たせた木板とくさび(クオイン)を敷く。船のトン数や収納スペースに合わせて、木樽は最大3段にまで重ねられていた。木樽同士の間には、クッション代わりに柔らかいパッキングが挿入された。この積み方を水運業の人々は「ダンネージ」と呼んでいた。

積み上げる限度を3段までにしたのは、4段以上に積むと満杯の木樽の重みで樽材が割れたり、中身が漏れ出したりするリスクも高まるからだ。後にスコッチ業界でも、農家の小屋や低層の倉庫で同様の貯蔵方法が広く採用されるようになった。ダンネージ式という呼称は、船乗りたちの言葉が語源なのである。
 

規格の統一に向けて

 
ヨーロッパ全域を見たとき、木樽の容量や用語はさまざまに異なっていた。土地ごとの税関、仲買店、生産者などによって使用目的が異なるだけでなく、地方当局が頻繁に規制の内容を変えていたからである。

だが国際的な貿易の拡大に伴い、多くの国や地域ではこの多様性が足かせになってくる。商取引の利便性を図るために、各国の公的機関はなるべく木樽の容量を統一するような規制を発令するようになる。それ以前の1766年までは、西ヨーロッパのさまざまな港、地域、国で穀物の量を測るのに100種類以上の規格が混在していた。

1795年のイベリア半島のポートパイプの注文を見ると、酒類の分野でもワインの種類などによって木樽のサイズにはさまざまな地域差があったようだ。大樽は332 ガロン(鯨油用)、小樽は223 ガロン、長樽は118ガロン、標準樽は98ガロンと分類されている。リスボンワインは樽あたり140ガロン、マデイラ110ガロン、シェリー120ガロンで取引されていた。魚の種類、穀物の種類、油の種類、酒の種類など、樽の内容物によっても数字は異なってくる。

それでも9世紀以前から、ヨーロッパの多くの国では樽のサイズの標準化が始まっていた。これは不正な取引を防止したり、船や馬車での積み込みを容易にしたり、関税や貿易取引を簡略化するためである。1771年の『ヴィントナーズ・ガイド』(ワイン商マニュアル)では、外国貿易用に出荷するシェリーバットの量を550リットルと定義している。18世紀までに領土を広げてきた大英帝国は、国際貿易の相手国となる諸国と共同で、樽のサイズや用語を共通化していこうと奨励した。
 

それでも多彩なサイズが共存

 
何世紀にもわたって、各国の政府と生産者は物品の種別ごとに分量の単位や用語を変更してきた。英国ではエール、ビール、ワイン、後発のスピリッツなどの酒類について、様々な当局(裁判所、ギルド、政府)や管轄地域(ロンドン市、イングランド、スコットランド、アイルランド)が別々に管理していた。

16世紀のドイツで出版された書籍に描かれた樽造りの様子。木樽のサイズや形状は、各地域の用途にあわせて進化した。

アルフレッド王時代のイングランドでは、871年にアングロ・サクソン・ウィンチェスター方式が誕生。それが1066年以降になって、フランスの影響を受けたアングロ・ノルマン方式に変更された。ワイン用のホグスヘッドはケルト語で「togsaid」と呼ばれ、マグナカルタで60ガロンと定められた。これが100年後に50ガロンに変更されて公式のものとなる。

ヘンリー4世は木樽の製造品質とサイズの均一性を保証するため、1408年に樽職人の協同組合に命じて公式な印が焼き付けられた木樽をロンドン商工会議所に提出させている。その後の1423年にはホグスヘッド(綴りは「hogshead」ではなく「hoggeshead」)が63ガロンと規定され、さらには1497年にヘンリー7世のもとで改定され、1510年には再び変更。最終的に54ガロンのホグスヘッドが定着した。

またアン女王は、1707年3月にワインガロンの容量を改定した。これは1601年にエリザベス女王が定めた271立方インチから231立方インチへの変更である。1824年6月には新しい英国度量衡が発表され、ホグスヘッドは52.5ガロンになった。主にメートル法を採用している現在のスコットランドでは、ホグスヘッドは標準的な52.5インペリアルガロン(239リットル)のものもあれば、バーボン樽の樽材を追加した56ガロン(255リットル)のダンプホグスヘッド、そして65ガロン(295リットル)のワインホグスヘッドなどと多岐にわたる。

19 世紀に入ると、ウイスキー蒸溜所や卸業者は、ヨーロッパから輸送されたワインやブランデー用の木樽を再利用するようになった。特にパイプ、バット、パンチョン、ホグスヘッドである。他にもマデイラのドラム(650リットル)やスペインのゴルダ(700リットル)といったサイズもウイスキーの貯蔵に使用された。この700リットルという容量は、1988年のスコッチウイスキー法で認められた熟成用木樽の最大容量である。
(つづく)