ウイスキーづくりの喜び ビル・ラムズデン博士に訊く【前半/全2回】

March 7, 2017

数週間前、ビル・ラムズデン博士が東京にやってきた。グレンモーレンジィのプライベートエディション第8弾「バカルタ」をお披露目するためである。前回のインタビューから約1年半、多忙な博士がインタビューの時間を割いてくれた。

聞き手:ステファン・ヴァン・エイケン
取材協力:MHDディアジオモエヘネシー

 
今回発売されたエディションは、バーボン樽の後にマデイラ樽の後熟を施したものですね。マデイラ島やマデイラ酒との関わりは、いつ頃から続いているのですか?

 
関係が始まったのは、もうずいぶん前のことになります。最初のきっかけは1995年の「グレンモーレンジィ マディラウッドフィニッシュ」。さまざまな種類の樽を、複数のサプライヤーから入手しました。でも正直言うと、その樽の出自については怪しいところがあったんです。貴腐ワインの品種別に樽を手に入れるのは不可能でした。手に入れた樽は甘味が強い方から順にマルバジア種、ヴェルデーリョ種、セルシアル種のはずでしたが、なかにはティンタネグラモーレ種がさっきまで入っていたような樽もあって、こんなことでは一貫性が保てないから続けられないと思ったんです。それが1999年頃のことで、マデイラに行ったのは今回が3回目になります。

ご存じかもしれませんが、マデイラ島は特に英国人の年配者に人気のバカンス先で、熱帯の木々が鬱蒼と茂る暖かい土地柄です。まず私たちは、残念ながら故人となったエンリケシュ&エンリケシュのジョン・コサートと懇意になろうとしました。でも当初の目論見はまったく外れてしまいます。理由は、マデイラ酒が濃厚な木の成分を嫌うから。非常に高価な新樽を作ってマデイラ島に送ると、ジョン・コサートがアンモニアや煮沸を施して木の成分をすべて剥ぎ取ってしまうのです。これではただのコンテナだし、高額な新樽にそんな仕打ちはないだろうと思いました。木の成分を根こそぎ奪う処置は、ジョンのマデイラにも、私のウイスキーにも役に立たないのではないかという思いがつきまといます。そんなわけで計画は完全に終了し、それを埋め合わせるために「ネクタードール」を開発しました。この失敗には心残りがあって、のちほど説明する「バカルタ」につながっていきます。

完全に私の主観ですが、今はなきジョン・コサートの思い出をお話しましょう。マデイラ島で2日間いっしょに過ごしたのですが、 彼は気難しくてやや付き合いにくいタイプの英国紳士でした。マデイラにはグレンモーレンジィの経理部長とスペイサイドクーパレッジのウィリー・テイラーも同行して、ジョンの仕事場をすべて見せてもらいました。ジョンがずっとマデイラ人たちに対する不平をこぼしていたのをおぼえています。彼らマデイラ人は怠け者で、労働意欲に欠けるのだと。山の上にあるジョンの醸造所を訪ねた帰り、強風吹きすさぶ細道のカーブで、ジョンが急ブレーキをかけました。何だろうと思ったら、そこで働いていた職工たちを見て「なあ、言ったとおりだろう? 12人もいるのに働いているのは1人だけだ。他の連中はみんな揃いも揃って油を売っていやがる」と吐き捨てたり。

2回めのマデイラは、休暇で行きました。とてもいい休暇だったのですが、1週間で充分満足しましたね。見るべきものは見たし、ワイン畑や植物園なども行き尽くしました。妻と一緒に行ったのですが、僕らがいちばん若輩だったのが新鮮でした。なにせご隠居さんたちのパラダイスですから。2回めのマデイラ島訪問はそんな感じです。

そして3回目の訪問が、今回のプロジェクトにつながっているわけです。まあ、いい場所には違いないですよ。いつかまた行くことがあるでしょう。英国に住んでいたら、なおさら冬に訪ねたくなる場所です。ほとんどアフリカだから、暖かい気候も保証されていますしね。

 

1995年にグレンモーレンジィが発売した「マディラウッドフィニッシュ」と、今回の「バカルタ」はどこが違うのですか?

 
「マディラウッドフィニッシュ」には、かなり風味のバラつきがありました。自分で手がけた古樽フィニッシュのなかでは特に好きなボトルでしたが、好評を博している時期にも気になっていたんです。バラつきを考えると、当時の人気は驚きでした。半分程度の人気しかなくてもやはり不安だったでしょう。それであのボトルはやめたのですが、悔いは残りました。事実として自分が失敗したことが納得できなかったし、やはり失敗は嫌いですから。

 

当時のシリーズに使用したのはどんな樽だったのですか?

 
すべてが伝統的な650Lの古い大樽です。500L程度のバットもありましたが、シェリー酒メーカーから回ってきた代物ではないかと私は疑っていました。プロジェクト終盤にはドウロ地方からやってきた225Lのバリックなんかもあったりして、樽にはゴチャ混ぜの要素が染み込んでいました。だから後悔しているんです。今の仕事をクビになる前に、本当に良質なマデイラのフィニッシュをつくっておかねばならない。そんな思いもあって「バカルタ」にたどり着きました。

 

つまり「バカルタ」には、博士が考える「完璧なマデイラ樽熟成」が採用されているという訳ですね? いったいどうやって実現したのでしょう?

 
このウイスキーは完璧な特注品で、工程のあらゆる段階をコントロールしています。もともとヨーロピアンオークよりもアメリカンオークが好ましいという印象は抱いていました。ヨーロピアンオークにはオーク特有のエグみがあるので、よりソフトな風味が欲しかったのです。

そこで基本的には、グレンモーレンジィのデザイナーズカスクに使用するのと同じタイプの樽を使用しました。木目がしっかりと詰まった木材を、最低36ヶ月は自然の空気に晒したものです。

樽はケンタッキーにあるブラウン・フォーマンの樽工房ではなく、スコットランドのスペイサイドクーパレッジに運んで250Lのホグズヘッド大の樽を作り、内側にヘビートーストを施しました。これはもちろん、すぐワインに甚大な影響を及ぼすので問題を引き起こすことになるのですが。

それから樽はマデイラ島に送られて、私とスペイサイドクーパレッジのウィリー・テイラー社長も付き添いました。ドリヴェイラの兄弟たちを説得して、彼らのマデイラ酒をこの樽で熟成してもらうためです。仕込んだマデイラ酒が犠牲になることはわかっていました。木の成分を取り込みすぎたマデイラ酒は、捨てるしかないのです。何といってもアメリカンオークの新樽をトーストしているんですから。

樽は2年間にわたってマルバジア種の甘いワインを入れながら、伝統的なカンテイロという手法に従って熟成します。これは太陽の熱が直接届く屋根裏に樽を置き、「日焼け」させながら熟成を進めるもの。「バカルタ」という言葉は、スコットランドのゲール語で「焼いた」という意味なんです。

マデイラ島で2年間を過ごしたあとに、樽はスコットランドに送り返されます。とても時間がかかるプロジェクトですね。採算度外視の酔狂でなければ、やっていられないような仕事です。アメリカからクライゲラキに木材を送って、そこで樽に組んでからマデイラ島に送り、マデイラ酒を熟成したあとでスコットランドのグレンモーレンジィに送り返すのですから。

ついにスコットランドに戻ってきた樽は、とてもリッチな特徴が備わっていました。クラシックな、酸化したような刺激を感じさせるマデイラ樽の風味がそこにあったのです。原則として、樽詰めした原酒はグレンモーレンジィ オリジナルです。当初は4年ほど後熟する予定で、プライベートエディションの第10弾か第11弾として細々と発売するつもりでした。

アシスタントのブレンダン・マキャロンと一緒に、全樽を3ヶ月ごとにテイスティングしました。最初の6ヶ月は、シャトーディケム(ソーテルヌワイン)のバリックで後熟した1981年の「グレンモーレンジィ プライド」と同じ風味になりました。いつもこうなるのですが、科学的に理由を解明したいと思っています。6ヶ月間はさほどの違いを見せなかったウイスキーですが、ここから特有のフレーバーを放ちはじめます。そして2年が経ったとき、当初の4年計画よりも早く目標のバランスに到達したと判断しました。

これは言葉で完璧に説明できるものでもなく、ブレンダンにも自分の経験から学んでもらうしかないのですが、フレーバーのバランスが見事に調和するステージに到着したのです。自分でもよく使う言葉でいうと「極めてまろやか」で、突出しすぎているフレーバーがひとつもありません。うっとりするほどひとつに統合されているのです。過去の経験から、このまま放置するといずれバランスが損なわれてしまうリスクがあると考え、ボトリングして「バカルタ」が出来上がりました。

 

バカルタに使用したのはマデイラ酒の原料でもいちばん甘みの強いマルバジア種とのことですが、他の品種も試してみたのですか?

 
すでにジョン・コサートとひと通り試した経験がありました。当時は自分の飲み方にも適しているボアル種がいいと思っていたのですが、今回のプロジェクトではマルヴァジア種がグレンモーレンジィのフレーバーにもっとも好ましい影響を与えてくれるのではないかと考えました。

 

お話をうかがっていると、このようなプロジェクトには徹底した風味のモニタリングが必要不可欠のようですね。

 
その通りです。だからいつも多忙を極めているグレンモーレンジィの貯蔵庫チームには嫌われていますよ。でも他に方法がないから、やらなければなりません。自分ができる限界まで、きちんとすべての風味はコントロールできています。

誤解しないでほしいのは、私も今でもときどき「マデイラウッド フィニッシュ」の独特なクセを楽しむことがあります。でも先ほど話したとおり、今回の目的は完璧なまでにまろやかなスタイルを追求することだったのです。

 

「バカルタ」に使用したタイプの樽で、ウイスキーを最初から熟成したら面白いものができると思いますか?

 
望んでいるようなものにはならないでしょう。でも私がどんな人間かおわかりですよね。どんな方法も、可能性の王国から除外されるべきではありません。特殊な樽が、後熟でしか使えないという法はありませんから。現場を離れるときには小さなアイデアの種をブレンダンに撒いてもらい、最近もかなりの数の実験はやってきました。

2年前、ニューヨークのウイスキーフェスに持っていったウイスキーのなかに、シェリー樽だけで16年間熟成したグレンモーレンジィがありました。個人的にはまったく好きではなかったのですが、120人くらいの観客に感想を求めてみると、半分の観客が好みの味だと答えたのです。でも、もう半分は「ぜんぜん好みじゃない」。こういう極端な路線にすると、グレンモーレンジィらしい繊細さと優美さが失われるというという例でもあります。

 

フィニッシュにはいつもグレンモーレンジィ オリジナルを使っているようですが、例外はありますか?

 
よほど風変わりなものをつくろうとしているのでなければ、ほとんどいつもグレンモーレンジィ オリジナルです。そのようにしたいのは、オリジナルが全シリーズの根幹をなしているからだといつも説明しています。

 

理想的な後熟をおこなうために、最初の熟成に何らかの調整を加えることはないのでしょうか?

 
いくつか試したことはありますよ。あまり詳しくは話せませんが、ときにはレシピを変えることもあります。「原則としてグレンモーレンジィ オリジナル」という言い方をする場合は、セカンドフィル以降の樽をより多く使用している場合もあります。それは後熟で使う樽の特徴を際立てたいという思いからです。他のフレーバーに立ち向かうため、力強いバターのようなフルボディの風味が欲しいときには、あえてファーストフィルの比率をほぼ100%にする場合もあります。私の調整法は、主に樽タイプ別の比率を変えることぐらいです。

 

「バカルタ」はカンテイロに倣って太陽熱を利用した熟成法ですが、これはセラーで熟成する他のさまざまなワイン熟成とも一線を画するアプローチです。私たちがウイスキーの熟成について話すとき、ともすれば木の種類だけに注目して、熟成される現場の環境のことはあまり考慮していません。この機会に、グレンモーレンジィのさまざまなフレーバーを育てる熟成環境についても教えていただけますか?

 
熟成環境のコントロールは、異なったスタイルの貯蔵庫に置くことぐらいです。これに100%満足している訳ではないので、今はパレット式の貯蔵庫にも関心を持っています。パレット式なら同じコストで倍以上の量のバレルを収納できるので、フルスピードで生産している昨今のスコッチメーカーには便利な方法なのです。

しかしながら、科学的な根拠があるわけではないものの、グレンモーレンジィとアードベッグでウイスキーをつくってきて、本当に美味しい原酒はすべて古風なダンネージ式の貯蔵庫から生まれるような気がしています。

だから今回のような実験では、必ずダンネージ式の貯蔵庫を使います。現在生産中の「ラサンタ」や「キンタルバン」は生産量が多めなので、グレンモーレンジィも実際にラック式の貯蔵庫を1棟建設しました。それでもこられの実験的な製品はすべてダンネージ式の貯蔵庫で熟成します。湿った環境が理想的な酸化を促すという側面もあるのですが、本当はもっと現実的な理由です。定期的なテイスティングの量が数百樽にも及ぶと、スタッフたちが簡単にサンプリング作業ができることも大切になりますから。

(つづく)

 

 

 

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