アメリカで体験したジャパニーズウイスキーの底力

August 14, 2015


ある秘密の任務を遂行するため、アメリカに降り立ったデイヴ・ブルーム。CIAでの重大な報告が始まった。

文:デイヴ・ブルーム

 

ミッション・インポッシブル。

米国の入国審査では、いつもちぐはぐな会話が待っている。「渡航の目的は?」と訊ねる入国管理官の男に私は答えた。

「CIAで報告をおこなうためだ」

彼は困惑した冷たい眼差しを返す。

「何だって?」

「だからCIAだよ」

舐めまわすように私を眺める男。

「CIAだって?」

「そうだとも。カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ(アメリカ料理研究所)、つまりCIAだ」

ぶつぶつと唸りながらパスポートにスタンプを押し、もう一度こちらを見やる男。「スパイがそんなみすぼらしい格好をしているわけがないだろう」と言いたげな表情だ。私も睨み返してやる。今時、スーツにネクタイの諜報員などいない。優秀なスパイなら、私のように髭をはやし、ジーンズとタリスカーのパーカーを着て身をやつしているはずなのだ。

私が目指すCIAは、カリフォルニアの単科大学である。キャンパスはクリスチャンブラザーズとヒューブラインが所有したセントヘレナのワイナリー跡地。新世代の料理人を育てるこの学舎で、日本のウイスキーと和食の組み合わせを講義するのが私の任務だ。

講義を手伝ってくれるパートナーは、ソノマの「ハナ」やサンフランシスコの「パブ」で腕を振るう富永謙一シェフ。ウイスキーはサントリーから気前よく提供してもらった。生徒たちに3種類のペアリングを体験させ、食中酒として楽しむウイスキーの特徴を議論する。

 

庶民の味を引き立てるウイスキーの力

 

食事と共に楽しめるウイスキー。それは鳥井信治郎が1920年代から打ち出した、ウイスキーづくりの基本目標だ。日本のメーカーは、ウイスキーを日本の食習慣にマッチさせることに苦心してきた。一方、スコッチやバーボンの創成期にはこの発想がない。その結果、スコッチやバーボンは食べ物と組み合わせるのが難しく、ドリンクの主張が強くなったというのが私の推論である。

1番目のペアリングは、白州12年と富永シェフ自慢の「ハッピースプーン」。料理はサーモン、トビウオの卵、ウニ、牡蠣、ポン酢サワークリームなどを素材にしている。モルトの爽やかな森の香りと、海の食材のコントラストが際立つ。ウイスキーの繊細なスモーク感が両者を橋渡しし、トビウオの卵の食感がまた楽しい。

ひとつ飛ばして、3番目のペアリングは響17年と魚の煮付けだった。酒とみりんと醤油で煮付けた金目鯛に、フォアグラのタタキを添えてある。これは未体験の驚異的な組み合わせだった。料理とウイスキーが、複雑に絡み合って感覚を圧倒する。ウイスキーを食中酒として楽しみ、風味や舌触りの調和とコントラストが体験できる好例だ。シェフが食材の風味や食感をブレンドするように、ウイスキーメーカーもまた高度なブレンドをおこなっている証拠である。

以上の2つはハイエンドなペアリングだが、実は2番めのペアリングが目玉だった。富永シェフは、山崎12年に、何とお好み焼きをぶつけてきたのである。キャベツの千切り、豚バラ肉、うずらの卵(お好み焼きは小型だった)、もちろん甘口のソースとマヨネーズが付いた、正真正銘のお好み焼きだ。

大阪で何度もお世話になったあの味が、フルーティーな山崎の風味と抜群に合う。なるほど、これが鳥井さんの理想なのか。ウイスキーは上流階級の飲み物ではなく、居酒屋で市井の人々が素朴な屋台料理と一緒に楽しめるものにしたいという願いが、ペアリングで見事に実現されていた。

この体験は、世界中のウイスキー会社にとって教訓となる。華やかな名声を追おうとも、コアな顧客をおろそかにするな。お好み焼きのファンを始めとする庶民の存在を忘れるな。そんなブランドの出発点から目をそらした瞬間には、死が待ち受けているだろう。

任務完了。この記事は、30秒後に爆発する。

 

 

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