ライ麦パンを主食にしてきた北欧だけでなく、スコッチウイスキーの本場英国でもライウイスキーはつくられ始めている。イングランドとスコットランドから、最新の事例をご紹介。

文:ジェイソン・トムソン

 

前回の記事では、北欧でライウイスキーをつくるキュロ蒸溜所(フィンランド)とスタウニング蒸溜所(デンマーク)を紹介した。

スカンジナビアから北海をはさんだ英国のイングランドでも、サウスウォルドのアドナムス醸造所(現在は蒸溜所も併設)が新しい伝統を築きつつある。ビールづくりで約150年の歴史があるアドナムスは、これまでもさまざまな種類の穀物を取り扱ってきた。そんなアドナムスでも、100%ライ麦のマッシュにはかなり苦労したのだという。

アドナムスのヘッドディスティラー、ジョン・マッカーシーが語る。

「ライ麦マッシュの発酵を観察すると、非常に興味深いものがあります。通常の大麦を使用したマッシュとは異なるので、ブリュワーたちがその変化に惹きつけられ、気付いたら何時間も観察してしまったと報告を受けました」

もともとジョンはエンジニアリングチームの一員であり、醸造所を円滑に運営するための技術スタッフとしてアドナムスで働きはじめた。しかし急に当初の役割が必要なくなり、まったく予定外の仕事に誘われることになった。いかにも飲料業界にありがちなことである。つまりは醸造所の一角に空きスペースがあるので、そこを蒸溜所に変えるというプロジェクトリーダーを任されたのだ。

そして蒸溜所が完成すると、ジョンがそのままヘッドディスティラーになった。本人は「社内でこの役目ができそうのは自分だけだったからでしょうね・・・」と冗談めいて話す。蒸溜所建設は10年前のことだったが、ジョンはこれまでに多彩なスピリッツのスタイルを自分の手で試してみるチャンスがあった。

「アドナムスにはほとんど蒸溜のノウハウがなかったので、単純にすべて実験だと考えていろいろなものをつくり始めました。アドナムスのビールのレシピには、ライ麦を使ったものもあります。そこでライのスピリッツもつくってみようかということになったのです」

ジョンが指摘するように、ライ麦を原料にしたスピリッツ生産には技術的な難しさがある。だがそれだけでなく、ライ麦はおおむね他の穀物に比べて収率が低いのだとジョンは説明する。

「ライ麦原料が高く付くと言われるのは、まず手間がかかって大変だから。そして大麦や小麦に比べて、ライ麦から得られるアルコールの量が少ない。だから相対的にコスト高になるということです」

ジョンいわく、ライ麦原料のスピリッツは、大麦原料のスピリッツよりも1トンあたりの収量が25%ほど少ない。このあたりの事情もあって、ライウイスキーはよりマニアックなウイスキーファンの層をターゲットにせざるを得なくなる。

ウイスキーファンは、マニアックであるほど普通の消費者よりも細かい事実を重視する。たとえば「アドナムス蒸溜所で使用しているライ麦は、すべてジョナサン・アドナムス会長が保有する農場などの指定農場だけで栽培されている」といった事実などに注目し、ウイスキーと生産地の正統な結びつきを評価してくれるのだ。

 

アイラ島でライを扱う反骨のブルックラディ

 

アドナムスから800kmほど離れたスコットランド西岸沖でも、ライ麦原料のスピリッツづくりがおこなわれている。スコッチウイスキーの聖地、アイラ島にあるブルックラディは、「本物のアイラウイスキーであること」をあらゆる商品で徹底的に追求している。

「ブルックラディでは、年間を通して約20軒の契約農家のみなさんとユニークな提携を結んで、ウイスキーの原料となる大麦を栽培しています」と語るのは、ブルックラディのブルックラディのグローバルブランドマネージャーを務めるクリスティ・マクファーレンだ。

ライ麦原料のスピリッツをつくるときにも、そんなブルックラディの哲学はさらに先鋭化する。そこには最終的な商品をさらに超えた深い意味があるのだとクリスティは語る。

ライ麦は糖化工程が難しいことでも有名だ。アイラ島のブルックラディ蒸溜所では、古い伝統的なマッシュタンを使いながらノウハウを蓄積している。

「ライ麦原料のスピリッツを蒸溜しようというモチベーションは、もともと提携農家のアンドリュー・ジョーンズさんと当社のアラン・ローガン(ブルックラディ生産部長)の会話から生まれました。アンドリューさんが『他にまだやってみたいことはある?』と質問したのがきっかけです」

実際にライ麦を原料にしてみると、アイラ島産のライ麦を使うことに多くの利点があるとわかってきた。アンドリューさんは、アイラ西岸に保有するカウル農場でライ麦をローテーションに加えた。この新たな作物が土壌構造を改善させ、風食を減らすこともできるだという。

そのライ麦をブルックラディで蒸溜したところ、「比類のない正統性を持った深いフレーバーのスピリッツ」が得られたのだとクリスティが説明する。

「思いついたらまずは試しにつくってみる。スピリッツができた後で、スコットランドの規制などにあわせて商品化する。それがブルックラディのやり方なんです」

伝統的な製法を守るというブルックラディの取り組みの価値は、ライ麦のマッシュを取り扱う難しさによって図らずも顕在化しているのだとクリスティが明かす。

「ブルックラディのマッシュマン(糖化工程担当者)たちに、いちばん処理が難しい穀物は何かと尋ねたら、 みんなライ麦がトップクラスに難しいと答えるはずですよ」

ブルックラディのヘッドディスティラー、アダム・ハネットもその難しさについて説明する。

「マッシュの状態が、毎回異なっているんです。だからたくさんの経験がないと、目安みたいなものも理解しにくい。こうすればこうなるという、はっきりした基準もまだわからないのです。このタイプのマッシュタン(1881年製で天蓋のない鋳鉄製の容器)だと、変更できることも少ないので、できることが限られています」

ブルックラディは、2017年からライ麦のスピリッツを蒸溜している。だがクリスティいわく、蒸溜所ではまだ異なったレシピによる実験を継続中なのだという。

「2020年12月に、ピートの効いた大麦モルトとライ麦をブレンドしてみました。これもまた実験のひとつです。マッシュタンでの糖化工程も異なるし、この混合マッシュにあった熟成樽も見極めなければなりません。ピートのレベルなども変えて実験を繰り返す必要があります。ボトリングして商品化する前には、まだまだたくさんの実験が待っているのです」

 

テロワールにこだわるハイランドのライウイスキー

 

ブルックラディの実験が完了し、その成果が商品として発売されるまでにはまだ長い年月がかかるのかもしれない。だが視線をスコットランド本土に移すと、すでにライウイスキーを発売しているスコッチメーカーがある。スコッチのメーカーがライウイスキーをつくるのは、近代以降で初めてとなる画期的な出来事だ。

ライウイスキーのメーカーは、伝統的な手法や産地へのこだわりが強い。デンマークのスタウニング蒸溜所では、新興蒸溜所としては極めて珍しいフロアモルティングを実践している。メイン写真はアドナムス蒸溜所のジョナサン・アドナムス。

百年以上ぶりにスコットランドでライウイスキーを発売したのは、アービキー蒸溜所である。蒸溜所を創設した三兄弟の一人、ジョン・スターリングが経緯を説明する。

「アービキーは、原料の産地が単一であることにこだわった農場ベースの蒸溜所。スコットランドでも珍しい方針は、一度失われてしまったライウイスキーづくりを再興するのに最適な立ち位置を与えてくれました」

ライ麦の栽培が農家の畑にもたらす恩恵については、ジョンもブルックラディと似たような考え方を持っているようだ。

「周囲の自然環境、土壌の質、栽培する穀物の種類や品種などが、かつてはウイスキーの生産に深い関わりを持っていました。そんな産地とウイスキーの関係は、失われてしまったものも多いのです。かつてはスコットランドにも農場ベースの蒸溜所がたくさんあった訳ですから」

アービキーでは、新商品「アービキー ハイランド ライ 1794」を発売したばかりだ。ジョンによると、これは樽熟成を施したライスピリッツの第3弾となる。

「高品質なスコッチウイスキーをつくるという目的は変わりません。でもライ麦は、農場をよりサステナブルに運営するために役立つ素晴らしい穀物です。ライ麦の藁は、大麦や小麦よりも土壌の質を向上させる特性がありますから」

もともとアービキーは、この新商品の中心にはライがあるべきだと考えていた。しかしスコッチウイスキーの定義にまつわる規制を遵守するため、ラベル上では「スコッチシングルグレーンウイスキー」という堅実な分類に収まっている。「アービキー ハイランド ライ 1794」のマッシュは、アランテス種のライ、オデッセイ種の大麦モルト、ヴァイカウント種の小麦を混合したもの。すべての穀物はアンガスにある自社の農場で栽培さた。3つの穀物を掛け合わせることで、タペストリーのようにリッチなフレーバーが織り込まれている。

こんなアービキーのライスピリッツについて、ジョンが語ってくれた。

「ライ原料のスコッチをまだ飲んだことがない方は、ぜひ一度味わってみてください。きっとその美味しさに驚かれることでしょう。これは未来のウイスキーなのです」

ジョンの言葉の真意は、いずれ時間が証明してくれるはずだ。ただひとつ明確に予測できることがある。ライウイスキーは、北米以外の地域でも今後たくさん生産されることになるだろう。