ウイスキーの殿堂「ホール・オブ・フェイム」2023年度表彰者発表

April 14, 2023


ウイスキーマガジンアワードの一環として2004年にスタートし、今回で21回目を迎える「ホール・オブ・フェイム」。このたび5人の功労者が新たに殿堂入りを果たした。その素晴らしい功績をプロフィールとともにご紹介。

 

スティーブ・ナリー

(バーズタウン・バーボン・カンパニー/マスターディスティラー)


過去50年にわたって、スティーブ・ナリーはアメリカのウイスキー業界で不動の地位を築いてきた。2022年にはウイスキー業界での在勤50周年を迎え、バーボンの殿堂入り後もなお現役で働く数少ないマスターディスティラーの一人である。
ケンタッキー州ロレットで育ったスティーブは、1972年にメーカーズマーク蒸溜所でウイスキー業界のキャリアをスタート。30年以上にわたってあらゆる業務を経験し、1988年にはマスターディスティラーに就任した。
その後、2003年にメーカーズマークを退職して自身の蒸溜コンサルタント会社を設立。2009年にはワイオミング・ウイスキーを設立した。初代マスターディスティラーとしてブランドの名声を高め、創業者のブラッド・ミード、ケイト・ミード、デービッド・デファジオと共に商品ラインナップを確立させた。
2014年には、バーズタウン・バーボン・カンパニーの社員第1号としてケンタッキー州に帰郷。マスターディスティラーの重責を担って今日に至る。スティーブのユニークなスキルセットは、創業から力強く発展するための戦略的資産となった。
2018年、バーズタウン・バーボン・カンパニーは自社ブランドを立ち上げて数々の賞を次々に獲得。バーボン、ライ、アメリカンウイスキーの分野で、全米第7位の蒸溜所となった。スティーブは現在も製品開発に携わりながら、全米に展開するブランドの象徴として活躍している。
 

 

ランス・ウィンターズ

(セントジョージ・スピリッツ/マスターディスティラー)

カリフォルニアのセントジョージ・スピリッツで、マスターディスティラーを務めるランス・ウィンターズ。米国におけるクラフトウイスキー運動を最初期から先導したパイオニアの一人である。蒸溜酒の伝統や慣習にとらわれず、持ち前の想像力と芸術的な才能によって新しいアメリカンウイスキーの価値を開拓してきた。
アメリカ海軍の原子力技師を経て、1996年にセントジョージ・スピリッツに入社。それ以前にビール造りの経験もあったが、いつしか大好きなエールビールからウイスキーをつくりたいと興味を持ち始めた。そこでセントジョージ・スピリッツ創設者のヨルク・ルップフに入社を直訴。履歴書代わりに自家製ウイスキーのボトルを持参し、それ以来ずっと同じ職場で働いている。
魅惑的な風味で、想像力をかき立てる美しいスピリッツがつくりたい。そんな欲求に駆られ、技術と味覚を総動員したスピリッツが数々の賞に輝いている。セントジョージ入社以来、26年間にわたってポートフォリオは拡大を続けてきた。会社を大きく成長させ、革新的なクラフト蒸溜所に変貌させた功労者である。「セントジョージ シングルモルトウイスキー」や「ボーラー シングルモルトウイスキー」などの看板商品は有名だ。セントジョージ・スピリッツの代表者であり、また事業のパートナーでもあるランス。40年の歴史を通じて、今でも蒸溜所が独立した経営を維持していることに誇りを感じている。
 

 

バーナード・ウォルシュ

(ウォルシュ・ウイスキー/社長)

バーナード・ウォルシュは、アイルランドのティペラリー州で農家の子供として誕生。ロンドンのIT業界で16年間働いた後、1999年に妻のローズマリー・ウォルシュとウォルシュ・ウイスキーを設立した。
最初の製品であるアイリッシュコーヒーリキュール「ザ・ホット・アイリッシュマン」の成功によって起業家賞を受賞。しかしアイリッシュウイスキーの分野に成長の可能性を感じた夫妻は、2006年に「ザ・アイリッシュマン」、2009年に「ライターズ・ティアーズ」と次々にウイスキーブランドを立ち上げた。「ライターズ・ティアーズ」のポットスティルウイスキーと「ザ・アイリッシュマン」のシングルモルトは、これまで100以上の国際賞を獲得。現在では50カ国以上で販売されている。
自身のブランドを通じてアイリッシュウイスキー再興の先陣を切ったバーナードは、アイルランド屈指の独立系蒸溜所であるロイヤルオーク蒸溜所も設立した。2013年から2019年にかけて、蒸溜所の設計、建設、運営に従事。同じ蒸溜室で3種類のアイリッシュウイスキー(ポットスチル、モルト、グレーン)を製造するユニークな蒸溜所として話題になった。
カスクフィニッシュに対しても実験的なアプローチを展開し、ユニークな熟成樽を求めて世界中を旅行。際立った成果のひとつが、史上初のアイスワインカスクフィニッシュによるアイリッシュウイスキーだ。またラベルのデジタル化もいち早く採用し、消費者がウイスキーの中身に関する豊富な情報を得られる仕組みを重視。ザ・アイリッシュマンシリーズのパッケージには、点字も導入している。
自身のウイスキー事業と並行して、アイリッシュウイスキー全体の隆盛にも精力的に取り組んでいる。アイリッシュウイスキー協会の創設メンバーとして、2014年から2016年までは会長を務めた。2019年には国内酒類メーカーおよびサプライヤーの業界団体「ドリンクス・アイルランド」の理事に推挙されている。
ウォルシュ・ウイスキーは、2021年11月にルクセンブルクを拠点とするアンバー・ビバレッジ・グループに売却。だがバーナードは今でも社長として経営に携わり、「ザ・アイリッシュマン」と「ライターズ・ティアーズ」の製品開発とイノベーションに力を注いでいる。
 

 

スキンダー・シン

(ウイスキー・エクスチェンジ/代表)

スキンダー・シンとラージビール・シンの兄弟は、生まれた時から酒類ビジネスの世界に囲まれて育った。両親は英国のアジア系移民として初めて酒類販売免許を取得し、ロンドン西部に酒類販売店をオープンした事業家。さまざまな賞に輝く両親の店で、スキンダーはウイスキー(特にシングルモルト)への関心を寄せるようになる。
大学卒業後は家業の再編成に携わり、1990年代から数々の業界賞を受賞。個人的なウイスキーコレクションも充実させていった。1999年に両親が引退すると、スキンダーとラージビールは家業の売却を決断。ウイスキーファンにボトルの売買と交換の場を提供するオンラインポータル「ザ・ウイスキー・エクスチェンジ」を設立した。このサイトはすぐシングルモルトウイスキー販売の主要なプラットフォームとなり、開業10年を待たずにアイコンズ・オブ・ウイスキーのリテーラー・オブ・ザ・イヤー(オンライン)に選出された。現在は、オンライン小売業に加えてロンドンに3軒の実店舗を運営。この10年間で定期的に開催してきたイベント「ザ・ウイスキー・ショー」は、ウイスキー生産者と消費者をむすぶ教育のベンチマークになった。
両親の事業を手伝い、自分のウイスキーをコレクションし、ウイスキー小売サイトを創設した経験から、スキンダーはウイスキーの生き字引ともいえる膨大な知識を身につけた。世界中の個人、団体、企業、メディアから、定期的にその専門的な知見を求められるようになっている。
2003年には「ザ・ウイスキー・エクスチェンジ」から派生した卸売業の「スペシャルティ・ドリンクス」を立ち上げ。事業は着実に成長し、現在では独立したボトリング部門、蒸溜部門(エリクサー・ディスティラーズ)、レアなウイスキー専門のオークションサイト(Whisky.Auction)も運営している。最近もWhisky.Auctionのチームと力を合わせ、ロンドン警視庁の捜査に協力してウイスキー偽造に関わる大規模な詐欺グループを突き止めた。
 

 

ハンス・オフリンガ

(ウイスキー作家・評論家)

医療関係者の息子として生まれたハンス・オフリンガは、若い頃から作家業を志した。高校では学内新聞の編集長を務め、地元の新聞社でコピーエディターに。ウイスキーにも強い関心を持ち、1984年には母国オランダで初めてセミナー形式のテイスティングを開催している。1990年よりウイスキー関連の記事を書き始め、書籍の印刷と流通を担う「オンデマンド出版・印刷」の事業モデルも創始した。
ハンスにとって初めてのウイスキー関連著作が出版されたのは1998年のこと。それ以来、ウイスキーに関する書籍40作品を上梓し、他のウイスキー評論家との共著も16作品にのぼる。オランダ語への翻訳は9作あり、自身の著作は5カ国語に翻訳されている。2006年からは妻のベッキーもリサーチ管理者、寄稿編集者、共著者としてハンスと行動を共にしており、2人は「ウイスキー・カップル」の名でさまざまなメディアに登場している。
主な著書に『A Field Guide to Whisky』(累計10万部)、自伝的作品『The Road to Craigellachie』、2007年に料理とウイスキーのペアリングを論じた先駆け『A Taste of Whisky』など。雑誌や新聞の連載11本を抱え、ウイスキーマガジン欧州版の寄稿編集者でもある。
2002年からは、ワールド・ウイスキー・アワードをはじめとする国内外のウイスキー・コンペティションで司会や審査を担当。2006年から2022年までは、ウィスキー・フェスティバル・ノールド・ネーデルランド(WFNN)に共同設立者として出資した。2009年の同フェスティバルでは、英国のウイスキー評論家マイケル・ジャクソンに敬意を表して「インターナショナル・ウイスキー・デー」を創設している。
バーボンの伝統にも貢献が認められ、2014年にはケンタッキー州知事からカーネルの称号を贈られた。スコッチウイスキーの熱心な普及活動も高く評価され、2016年にキーパー・オブ・ザ・クエイヒに任命。スピリット・オブ・スペイサイド・フェスティバルの終身国際大使、スコッチモルトウイスキー協会の名誉大使、米国ウイスキーマスターズ協議会の理事も兼任している。

 

2004年に創設されたウイスキーの殿堂「ホール・オブ・フェイム」の全表彰者はこちらから。

 

 

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