シングルモルト商品は希少でも、個性的なモルトウイスキーをつくり続けているスコットランドの蒸溜所。スペイサイドで、インチガワー蒸溜所を訪ねる2回シリーズ。

文:ガヴィン・スミス

 

スコットランドのマレイ郡にあるインチガワー蒸溜所は、メディアで紹介されることも滅多になく、ほとんどのスピリッツがブレンデッドウイスキーに使用される。しかし、だからこそ伝えたい物語もたくさんある。

ウイスキー界随一の大資本で運営されるディアジオは、いくつものモルトウイスキー蒸溜所を保有している。すぐ頭に浮かぶのは、タリスカーやラガヴーリンなどのシングルモルトで有名な蒸溜所だ。しかし他にも、ブレンデッドウイスキー用のスピリッツをつくる蒸溜所はたくさんある。そのほとんどは、あまりスポットライトが当たらないため知名度も低い。ディアジオ傘下でいえば、グレンロッシー、グレンスペイ、インチガワーなどが、そんな日陰者の代表といっていいだろう。

そんな中でも、今回はインチガワーに注目しみよう。 スペイサイド地方の北東端にある蒸溜所で、今年がちょうど創業150周年にあたるのだ。この記念すべきアニバーサリーでも、インチガワーは他の有名な蒸溜所のように派手なお祝いとは無縁だ。

だがインチガワーでつくられるモルトウイスキーのスタイルは、数あるディアジオのブレンデッドウイスキーに欠かせない存在となっている。知名度が低いからといって、スコットランドのモルトウイスキー蒸溜所を決して侮ってはならない。

インチガワー蒸溜所の創業は1871年。創設者は、アレグザンダー・ウィルソン&カンパニーだ。所在地は、フォッシャバーズとフレーザーバラを結ぶ現在の国道A98号線沿い。バッキーの町の中心から1km近く離れていて、かつてこの辺りは蒸溜酒の密造で知られた土地柄でもあった。バッキーはマレイ湾に面しており、活気のある港町として栄えてきた。だがここ数十年は、スコットランドの漁業もさまざまな問題を抱えている。

インチガワー蒸溜所を創設したとき、同じくウィルソン社が経営するトヒニール蒸溜所から生産設備が移設された。トヒニール蒸溜所は、バッキーから十数キロ離れたカレン近郊のリントミルにあった。

このトヒニールは、アレグザンダー・ウィルソンの先代にあたるジョン・ウィルソンが1825年に建設した蒸溜所だ。だが1871年までにトヒニール蒸溜所の建物はかなり手狭となり、1825年に始まった事業も大きな見直しを迫られていた。ある資料によると、水の調達に関する問題が浮上していたようである。トヒニール蒸溜所の遺構は今でも残されており、蒸溜所の機能を失ってからは農業用の施設として使用されてきた。

 

町議会の公営からベルズの傘下に

 

インチガワー蒸溜所は、ウィルソン&カンパニー社によってしばらく運営された。しかし1936年に同社が破産すると、工場とオーナーの自宅をバッキーの町議会が1,000英ポンドで買い取った。これによってバッキーは、スコットランドで唯一、町議会が蒸溜所を保有する町になったのである。

町議会の介入によって、インチガワー蒸溜所で働く人々の雇用は守られた。設備投資によって収益も増し、わずか2年後にはパースにあるアーサー・ベル&サンズ社に蒸溜所を6,000英ポンドで売却している。

アーサー・ベル&サンズ社は、その4年前にブレアアソール蒸溜所とダフタウン蒸溜所の買収に56,000英ポンド以上を費やしていたので、インチガワー蒸溜所に6,000英ポンドを払うのは悪い取引でもなかっただろう。

スペイサイド地方の北東端、マレイ湾に面しているバッキーの町。塩気を感じさせるインチガワーのモルト原酒は、ベルズやJ&Bなどのブレンデッドウイスキーに欠かせない要素だ。

その後、アーサー・ベル&サンズ社の売り上げが最高潮に達したのは、レイモンド・ミケルによる功績が大きい。ミケルは惜しくも今年89歳でこの世を去った。

レイモンド・ミケルは1956年にアーサー・ベル&サンズに入社し、わずか12年で社長の座にまで上り詰めた。規律にうるさい厳格な性格だったため、ミケルを慕う者もいれば、疎んじる者もいた。パースでおこなわれる試験蒸溜のため、クリスマス当日に管理職全員を同行させようとした逸話まである。

だがこのレイモンド・ミケルのリーダーシップのもとで、ベルズは1970年までにスコットランド随一のブレンデッドウイスキーブランドとなった。1978年には英国におけるスコッチブレンデッドウイスキーの売上ナンバーワンを記録し、10年で約800%の売上増という驚異的な成長を遂げたのである。

このような成長に伴って、インチガワーの生産力にも拡大が求められることになった。1966年には新しいスチル1組を増設して生産量を倍増。その2年後にはダフタウン蒸溜所の生産量も倍増させ、1973年にはブレアアソール蒸溜所も後に続いた。さらにその翌年、ピティバイク蒸溜所(すでに解体)がダフタウンに建設され、ベルズのモルトスピリッツ生産量は約3倍にまで増えた。

レイモンド・ミケルは、蒸溜所の機能も人員の労働もフル回転して生産量の極大化を図った。その過程で効率を重視し、発酵時間を短めにして、蒸溜も迅速におこなうのがベルズの流儀となった。これがナッツやスパイスの香味が効いたインチガワーのハウススタイルにつながり、現在でもこの方針が蒸溜所内で守られている。

アーサー・ベル&サンズ社は、1985年の敵対的買収によってギネス傘下に入る。この取引には、インチガワー、ブレアアソール、ダフタウン、ピティバイク、ブラッドノックという5軒の蒸溜所も含まれていた。ブラッドノックは買収の2年前にアーサー・ベル&サンズ社が購入していたローランドの蒸溜所である。

ギネスは1986年にディスティラーズ・カンパニーも買収し、新しくユナイテッド・ディスティラーズに改組された。これが現在のディアジオの前身である。そのような歴史を経て、インチガワーは、ディアジオが保有する28軒のモルトウイスキー蒸溜所のひとつとなった。
(つづく)