成長著しい台湾ウイスキー業界について学ぶ2回シリーズ。栄誉あるマスター・オブ・ザ・クエイヒにも任命された「キングフィッシャー」こと姚和成が疑問に答える。

文:ガヴィン・スミス

 

スコッチウイスキーにとって、台湾はまことに魅力的な「儲かる市場」である。オロロソシェリー樽で熟成した「グレンリベット13年」、「ザ・マッカラン ブティック・コレクション 2017リリース」、そして台湾の信グループ限定発売「ウルフバーン シングルカスク835」など、ややマニアックな限定ボトルでもたくさん売れる。商品価値への理解度が高く、思考の幅も広いのだ。

わずか2,378万人の商域ながら、台湾はスコッチウイスキーにとって世界第4位の輸出先(金額ベース)となっている。数量ベースでは20位にすぎないことを考えると、台湾のウイスキーファンが高品質のウイスキーに喜んで対価を支払っているという市場特性も明らかだ。

スコッチウイスキー(SWA)によると、2011年から2020年まで、台湾に輸出されたスコッチウイスキーは、金額ベースで1億5,500万ポンドから1億8,00万ポンドに増加した(増加率17%)。そして、ことシングルモルトに限ってみれば、同期間で8,400万ポンドから1億2,000万ポンドに増えている。実に42%の増加率だ。

そんな台湾でも随一のウイスキー通として知られた一人が、「キングフィッシャー」こと姚和成(ヤオ・ホーチェン)である。2006年にキーパー・オブ・ザ・クエイヒに任命され、2018年には栄誉あるマスター・オブ・ザ・クエイヒに昇格した。台湾のウイスキー業界について、その内情を解説してもらう人物として不足はない。

姚和成の本業は、家業でもある老舗の家畜飼料メーカーの代表者だ。キャリアの前半では機械工学の学位も修めたが、ウイスキーへの情熱は一貫していたのだという。ニックネームの「キングフィッシャー」(メールアドレスにも使用)は、大学時代からの趣味だったバードウォッチングが由来なのだと本人が明かしてくれた(キングフィッシャーはカワセミの意)。

「そのまま、ウイスキー関連のイベントでもニックネームとして使い始めたんです。プライベートでウイスキーが大好きだということは、仕事仲間に内緒にしたかったので」
 

スコッチウイスキーへの愛をアメリカで探求

 
姚和成がウイスキーへの情熱を初めて感じたのは、1995年に「バルヴェニー ファンダーズリザーブ」のボトルをプレゼントされたときだった。

「強く心を惹かれるものがあって、シングルモルトについて調べ始めましたんです。その後、MBAを取得するために米国の大学院に行ったら、いろんなシングルモルトウイスキーをテイスティングするチャンスに恵まれました」

台湾きってのウイスキー通である「キングフィッシャー」こと姚和成。メイン写真は台北にあるカバランの「カスクストレングス・ウイスキーバー」。

姚和成は、ウイスキーへの情熱が爆発した米国留学時代を楽しそうに回想する。

「マイケル・ジャクソン著『シングルモルトウイスキー・コンパニオン』の第3版を片手に、シングルモルトの世界を探索し始めました。本に掲載されている未知のシングルモルトを見つけて、マイケル・ジャクソンのスコアを参考にしながら、自分でもテイスティングノートとスコアを書き込んでいきました」

あらゆる種類のウイスキーを飲んで、特に好きになったのはシェリー樽の影響が強いモルトウイスキーなのだという。シェリー樽熟成のウイスキーは、台湾のウイスキー市場でも一般的に人気が高い。

「ピーテッドであっても、ノンピートであっても、シェリー風味が自分の好みだとわかりました。ひとつの理想を挙げるとするなら、1970年代に蒸溜されたアードベッグですね」

それから間もなく、姚和成はウイスキーへの関心を公言するようになった。台湾で2002年に同好の士たちと会合を持ち、その2年後には台湾で最初のシングルモルトウイスキーを対象にしたテイスティングクラブを設立した。

「ちょうど同じ時期に、モルトマニアックスから認定会員への招待がありました。また地元台湾の雑誌に寄稿を始めたり、一般向けのテイスティングイベントを主催したりしながら、徐々にウイスキー業間のオピニオンリーダーとして認知されるようになったのです」

そして姚和成は、2005~2015年にモルトマニアックス・アワードの審査員となる。2015年に審査員を「引退」したのは、自身のウイスキー事業を始めたことが原因だ。

「現在はベリー・ブラザーズ&ラッド、デュワー・ラトレー、ハイコースト蒸溜所(スウェーデン)、ダッズハット・ライウイスキー、フラーズのビールなどを公式代理店として台湾に輸入しています」
 

白酒、コニャック、ウイスキー

 
台湾では、アルコール飲料関連事業に対する政府の規制が1990年にすべて撤廃された。これが台湾におけるウイスキー人気の出発点となっている。それまでのスピリッツ市場は、中国の白酒ブランド「金門高粱酒」にほぼ独占されていた。姚和成はスピリッツ市場の変遷を振り返る。

「スピリッツ市場で、おそらく金門高粱酒は現在も台湾のベストセラーです。それでも政府が民間に市場を開放していったことで、ウイスキーへの関心も大きく広がりました」

アルコール飲料がまだ政府専売品だった時代、ブラウンスピリッツは台湾で贅沢品だと見なされていた。1990年代前半に輸入市場が解放されると、台湾の輸入スピリッツ部門ではコニャックが一大勢力となる。

「世界中のXOは、ほぼすべて台湾で消費されていました。これは当時の業界筋がみんな言っていたことです。でも1995年頃になって、徐々にウイスキーの輸入量がコニャックに追いついてきました。価格や税制面でウイスキーに競争力があったことと、ビジネスマンの多くが『コニャックは甘すぎて健康に悪い』と信じていたことが原因です。今思えば、まったく根も葉もない噂なんですけどね」
(つづく)