テネシー州でウイスキーづくりが勃興したのはリンカーン郡とロバートソン郡。テネシー州内で品質を競いなながら、ケンタッキーバーボンに対抗していたアメリカンウイスキー史の一幕を紐解く。

文:クリス・ミドルトン

 

19世紀初頭のテネシー州では、古い南部のデントコーンであるホワイトコーンや、チェロキー族に伝わるレッドコブコーンの配合種が栽培されていた。レッドコブコーンの他には、ゴードシード、シューペグ、ヒッコリーキングなどのホワイトコーンの品種も好まれていたようだ。

デンプン質や糖分が豊富で、アルコール収率が高いウイスキー用のコーン。テネシー州では、マッシュビルの80%をコーンで賄うことができた。

テネシー州の農家は、油分の少ないホワイトコーンからひき割りトウモロコシを得るのが一般的で、ウイスキーのつくり手たちはオイリーなコーンが蒸溜酒に有害だという説を信じていた。

だが当時、アメリカの北部の州では、家畜の餌用に黄色いフリントコーンの品種が栽培されていた。テネシー州のウイスキーメーカーたちは、やがてこの安価な黄色いコーンの方が油分、デンプン質、糖分に富み、ウイスキーに適しているのではないかと気付く。蒸溜したときのアルコール収率が高く、甘い風味が得られると考えたのだ。

コーンが潤沢なテネシー州では、マッシュビルの80%をコーンで賄うことができた。ジョージディッケルなどは、現在でも原料の84%がコーンである。ライ麦の比率が低く、コーンの比率が高いウイスキーは、より甘みが強くてスパイスの穏やかな味わいになる。 

ロバートソン郡とリンカーン郡のライバル関係

 
ロバートソン郡とリンカーン郡で栽培されるコーンの品質は、テネシーウイスキーの人気の土台を作ったといえる。メーカーごとにマッシュビルの比率は異なるが、テネシー州ではみなサワーマッシュ製法を採用した。コーン以外の穀物比率は10~40%に留まる。

おそらく世界でもっとも有名なアメリカンウイスキーの蒸溜家であるジャック・ダニエル。禁酒法が開けて真っ先に蒸溜所を復活させ、現在に至る名声を築いた。

サワーマッシュ製法の発酵で小さな難点があるとすれば、発酵時間が最低でも72時間かかったことだ。ケンタッキー州のスウィートマッシュ製法なら、マッシュも酵母も新しいので発酵時間が48時間で済む。スウィートマッシュ製法の方がビア(もろみ)の粘度も高く、原料1ブッシェル(25kg)が5ガロン(23L)のビアになる。サワーマッシュのビアはそれよりもやや水っぽく、1ブッシェル(25kg)あたり6ガロン(27L)である。

リンカーン郡の蒸溜所よりも、ロバートソン郡の蒸溜所のほうが革新的な技法を使っていた。おそらくリンカーン郡は地理的に大都市から遠いため、新しい技術や資本やアイデアが流入しにくかったのだろう。小規模の蒸溜所では、容量30ガロン(136L)から40ガロン(182L)のポットスチルが使用されていた。昔ながらの素朴な蒸溜所では、ボイラー付きの木製蒸溜器も珍しくなかった。

比較的大規模な蒸溜所は、南北戦争後の数十年間で設備を新調することができた。それまでのポットスチル、タブスチームスチル、木製の三室式スチルなどを廃し、ブリキと銅のコラムスチルで増産を図ったのだ。このようなコラムスチルは、ルイビルやシンシナティなどの都市で製造されたものである。

当時は熟成樽にバレル、ホグスヘッド、貯蔵用のヴァット(大樽)のどれを使っているかで、蒸溜所の生産規模が推測できたという。濾過に使用する木炭パウダーの深さや粗さも蒸溜所ごとに異なり、チャコールベッドに蒸溜液を通す方法もまちまちだった。

現在でも濾過の技法は蒸溜所ごとにさまざまだ。コフィー郡のカスケードホロー蒸溜所では、スピリッツを冷却してから濾過用の木樽に注ぐ。またデービッドソン郡のグリーンブリア蒸溜所では、濾過用のバレルを使用している。
 

チャコールメローイングへの二重課税で苦境に

 

南北戦争後に新しい法律が発効したことで、テネシーの蒸溜所には厳しい時代が続いた。1869年5月、内国歳入庁は木炭を使用した風味調整に課税する法律を施行。だがこの法律は、事業の主体について明記していなかったため、濾過、ブレンド、蒸溜をおこなうそれぞれの業者が重複して課税される事態が発生したのだ。「風味調整とは木炭濾過の担当者に限らず、スピリッツの風味を何らかの形で浄化したり調整したりすることすべてを指す」という法解釈がなされた。テネシー州内の蒸溜所が実践していたチャコールメローイングが、新たな追加課税の対象になった。

ジャックダニエルのマスターディスティラーを務めるジェフ・アーネット。200年以上におよぶテネシーウイスキーの伝統を受け継いでいる。

さらに「連続蒸溜」という言葉の定義も問題を引き起こした。当時の解釈による連続蒸溜は、「クローズドなシステムでの複数回蒸溜」を意味している。つまりポットスチル、コラム付きポットスチル、再溜器が付いた木製の三室式スチルなど、蒸溜装置をパイプやチューブで繋いでいるすべてのスチルが対象になる。議会では「1回蒸溜してスピリッツができたら(通常はアルコール度数20%ほど)、それはひとつの完結した工程と見なす。それ以上に連続して蒸溜を繰り返した場合は、政府による課税の対象になる」という記録がある。この定義が生まれたことで、テネシー州にある多くの伝統的な蒸溜所が経済的な負担を余儀なくされ、独自の生産工程による不利益を被った。

このような定義の曖昧さを解消するため、テネシー州で蒸溜所の検査官をしていたウィリアム・バセットが一肌脱いだ。ナッシュビルを訪ねたとき、税務課のキャプテン・チャーチにロビー活動をおこなって、木炭濾過への課税を訴えたのだ。

1870年11月、 内国歳入庁はそれまでの定義を修正し、「蒸溜者は伝統的蒸溜または連続蒸溜によって、蒸溜液たるスピリッツを純化または精製することが認められる」と定めた。さらに政府は「再蒸溜、濾過、気化による木炭濾過、 おがくずやフランネルなどを使用した濾過」も非課税にした。これがロバートソン郡にある蒸溜所の革新を後押しすることになる。
(つづく)