バニラ香は、世界で最も人気の高いフレーバーかもしれない。モルトウイスキーの風味としても多彩な存在感を発揮し、その役割にも複雑なメカニズムと多様性がある。

文:イアン・ウィズニウスキ

 

モルトウイスキーの世界で、もっとも愛されるフレーバーのひとつがバニラ香であろう。口に含んだとき、真っ先に感じられることから特別な地位を与えられたフレーバーでもある。

バニラ香は、テイスティング時にさまざまな別の形をとって表現されることも多い。バニラカスタード、カスタード、クレームアングレーズ、クレームカラメル、クレームブリュレ、ハイランドトフィー、バタースコッチ、クリームソーダなどなど。それだけでなく、バニラ香は甘味の印象も加える。

この甘味は単体でも楽しめる特性だが、ドライな風味要素に対比する存在でもある。この甘味とドライな印象が一体化した感覚が、「リッチな風味」と呼ばれる別の魅力も生み出してくれる。

オーク材の中にあるバニリンを引き出すには、樽材の内側を直火で焦がす「チャー」やじっくりと加熱する「トーストが不可欠だ。チャーはバーボンづくりにおいても必須とされる工程である。

バニラ香は、スピリッツを熟成している間に樽材から引き出される。樽入れから2〜3ヶ月で、最初のバニラ香の兆候が認められるのが普通である。バニラ香が抽出されるスピードは最初の2〜3年でピークを迎え、その後は著しく低下していく。引き出されるバニラ香の量は、オーク材の内部にあるバニリン(香味成分)の含有率によって決まってくる。

ウイスキーの熟成樽といえば、バーボンバレル(アメリカンオーク)とシェリー樽(アメリカンオークまたはヨーロピアンオーク)が一般的である。アメリカンオークはヨーロピアンオークに比べてバニリンの含有濃度が高いことが多い。またヨーロピアンオークはアメリカンオークよりも「ウッディー」な香味成分を多く含むので、バニラ香がこのウッディーな成分に覆い隠されてしまう傾向も強い。

シェリーで樽をシーズニングするとレーズンや英国式クリスマスプディングなどの濃厚なフレーバーを獲得するため、これらの香味要素がいっそうバニラ香を隠してしまいがちになる。それに対し、バーボンでシーズニングされたバレルは甘味を補強するようなハチミツやココナッツなどのフレーバーを獲得する。

バニリンの含有量は、フィル(モルトウイスキーを熟成した回数)によっても異なる。モルトウイスキーを初めて熟成するファーストフィルの樽は、もっとも多量のバニリンを授けてくれる。すでにモルトウイスキーの熟成に使用されたセカンドフィルやサードフィルの樽は、徐々にバニリンの供給量が少なくなっていく。もちろんこの減り方は、各フィルの熟成年数によって異なる。数年で終わる熟成は、それより長い年月の熟成よりもバニリンの放出を抑えられる。

だがここで指摘しておきたいのは、バニリンの分量が少なくても十分に香味への影響をもたらすことができるという事実だ。インバーハウスでマスターブレンダーを務めるスチュアート・ハーヴェイ氏が説明する。

「わずか0.2ppmの含有量でも、バニリンの存在感は顕著です。スモーキーな香味成分と比べてみると、フェノール値0.2ppmのピーテッドモルトは、はっきりと認識できる軽やかなピート香を生み出します。ファーストフィルのバーボンバレルだけを使用すれば、バニリン値は4ppmにまで達します。しかしここまで熟成を進めると同時にオーク材が持つ他の特性も強く引き出してしまうので、タンニンの渋味が強すぎるなどのリスクも抱えることになります」

 

風味の強度だけでなく品質全体が変容

 

フィルが異なることで、バニラ香の強さだけでなく表現のニュアンスも変化してくる。グレンモーレンジィの熟成を指揮するブレンダン・マキャロン氏が語る。

「グレンモーレンジィ・オリジナルには、ファーストフィルとセカンドフィルのバーボンバレル原酒をブレンドしています。この両者の原酒が表現するバニラ香は、互いに異なっているのです。ファーストフィルはバニラポッドを削ったような香りがしますが、セカンドフィルはバニラアイスクリームのような感じ。この両者を同時に使用することで、グレンモーレンジィに必要なバランスが得られるのです」

またシーズニングをしていないオーク材の新樽で熟成した原酒も加えると、バニラ成分の含有率が変わってくる。ウィリアム・グラント&サンズのマスターブレンダー、ブライアン・キンズマン氏が語る。

バニラはマダガスカル産が有名なラン科バニラ属の蔓性植物。タバコやチョコレートの香り付けで世界に広がり、アイスクリームなどの洋菓子に不可欠な香りになった。この香りの元であるバニリンという成分が、ウイスキーを熟成するオーク樽の材木にも含まれている。

「私たちの『グレンフィディック15年ソレラ』のレシピには、ファーストフィルのバーボン樽、セカンドフィル以降のバーボン樽、それに一定のフルーティーな甘味をもたらすヨーロピアンオークのシェリー樽がヴァッティングされています。ここに加えるのが、15年熟成したグレンフィディックをアメリカンオークの新樽(バレル)で4~5ヶ月後熟した原酒。こうすることでバニラの甘味が一段と増え、フルーツ香を高揚させてスパイシーな風味を強調できるのです」

アメリカンオークの新樽だけで熟成したモルトウイスキーの成果は、シングルモルトウイスキー「ベンロマック オーガニック」で顕著に現れている。ベンロマックを保有するゴードン&マクファイルで業務部門を統括するスチュアート・アーカート氏が語る。

「バニラ香ははっきりと濃厚になり、樽材とスピリッツの両方に由来するココナッツやトロピカルフルーツの風味も伴っています。この商品を7年の熟成でボトリングしているのは、これ以上長く熟成しても樽の風味がスピリッツを圧倒してしまうからです」

またニューメイクスピリッツの特性によっては、バニラ香がはっきりと感じられるようになるまで長い年月を要する場合もある。デュワーズのマスターブレンダー、ステファニー・マクラウド氏が語る 
 
「ティーンエイジャー時代(13〜19年熟成)のクライゲラキには、はっきりとわかる硫黄の感触があります。ちょうど焚き火の夜を思い出させるような匂いで、このアロマにはバニラ香を覆い隠してしまう力があります。これがクライゲラキ23年になると、まだ焚き火の余韻はかすかに残っているものの、ようやくバニラ香がはっきりと顔を出してクレームブリュレのように甘美な味わいを表現し始めるのです」
 
またステファニー・マクラウド氏は、飲用時の度数によってもバニラ香の影響が異なってくることを指摘する。

「バーボンバレルで熟成したモルトウイスキーは、アルコール度数が高いほどバニラ香を強く感じさせてくれます。これに水を加えて薄めることで、相対的にフルーツ香が強まることがわかっています。一方、シェリー樽で熟成したモルトウイスキーは、高い度数のまま味わってもバニラ香の存在を確認することが困難です。なぜならクローブやアニスなどのスパイス風味がバニラ香を覆い隠しているからです。でも加水して度数を落とすほど、バニラ香が顔を覗かせてきますよ」

 

バニラ香を引き出すチャーとトースト

 

バーボンバレルの内面には、直火を短時間当てることで焦がす「チャー」が施される。炎は水で消されるが、このチャーによってオーク材の内部の成分が抽出されやすくなる。チャーによってできる炭化層は深さ2mmくらいだが、さらに2〜3mm奥まで加熱によるトースト効果が及んでいる。シェリー樽には直火を樽材に当てないトーストがおこなわれ、深さ2~3mmのトースト層が形成される。

このように熱を加えることでオーク材の組織が一部破壊され、トースト層の香味成分が活性される。チャーやトーストにはライトからヘビーまでさまざまな度合いがあり、クーパレッジ(樽工房)が注文に応じて加熱の程度を変える。フランスにあるASCバレルズの創業者兼オーナー、アレグザンドル・サコン氏が説明する。

「トーストのレベルを変えることで、バニリンの風味表現は複雑かつ多彩な変化を見せてくれます。トーストを軽くすれば、フローラルで軽いバター風味。ミディアム以上のトーストはバニラポッドの香りやスパイシーな風味を引き出します。でもこのトーストの時間や温度には一定の水準といったものがなく、クーパレッジごとに微妙に異なった時間や温度でトーストをおこなっているのが実情です」