オーストラリアのバーボンブーム【後半/全2回】

October 2, 2017

禁酒法、大恐慌、世界大戦。さまざまな逆境を乗り越えて、バーボンが強力なスコッチの牙城を崩すことができた理由とは。世界のウイスキー市場のトレンドを占うモデルケースを分析。

文:クリス・ミドルトン

 

1960年代、バーボンはオーストラリアで特に目新しい存在だった訳でもない。バーボンがオーストラリアに初めてやってきたのはそれより120年も前で、ちょうどバーボン業界がシンシナティとルイビルで商品化され始めた頃のことである。だがその70年後には、禁酒法によって業界の門戸が一度閉ざされることになった。

バーボンを初めてオーストラリアにもたらしたアメリカ人は、1849年のゴールドラッシュでカリフォルニアに押し寄せた金探鉱者たちである。彼らの一部は、1850年代にオーストラリアで起こったゴールドラッシュにも参戦した。冷蔵庫が普及する前、夏のバララトでは裕福な金探鉱者たちが冷たいシャンパンとバーボンのカクテルを楽しんだものである。ミックスに使用されたのは、マサチューセッツ州のウォールデン池から切り出した氷だった。

樽入りであれボトル入りであれ、パイク(シンシナティ)の「マグノリア」やジョン・カッター(ルイビル)の「ルイビル」といったバーボンがオーストラリア国内でも販路を開拓していった。ブリスベンに住むドロリーという名のバーボンファンが、1867年に「バーボンは理想的なネズミ捕りの材料である」と推薦している。1883年までに、米豪では最初の多国籍バーボンブランドであるAPホタリングズ社の「カンガルー・レア・オールド・バーボン」が創設された。これはルイビルで蒸溜してサンフランシスコで瓶詰めされ、シドニーで販売されたバーボンウイスキーである。

そもそもオーストラリアはスコッチウイスキーの主要な輸出先であり、有力なオーストリア産のモルトウイスキー蒸溜所との競争もあった。そんなことから、当初のバーボンは市場拡大に苦戦が続いていた。そして禁酒法、大恐慌、第2次世界大戦という悪条件が立て続けに起きて、アメリカのウイスキー産業は外国市場に供給できるだけのストックを失ってしまう。禁酒法が廃止されたときには、オーストラリアがアメリカにウイスキーを輸出していたほどである。

第2次世界大戦が勃発すると、オーストラリアは国際収支を守るために連邦外との貿易を許可制にして取引を制限するようになった。このあおりで、バーボンは1962年までオーストラリア市場に参入できなかった。だが偶然にもバーボンはこの年までに国内で復活を果たし、輸出可能な量にまで生産を拡大していたのだ。それでも「ザ・バーボン&ビーフステーキ」の開業前までは、オーストラリアにおける年間のバーボン輸入量もわずか数千ケース。国際的なホテルや外交施設で、アメリカ人のビジネスマンや旅行者が消費する飲み物に過ぎなかったのである。

 

時代を先導したアメリカ文化のパワー

 

1960年代は社会の大変動が起こった時期で、バーボンは若々しい反逆と挑戦を象徴する手頃なアメリカのシンボルとなった。人々の好みも変化し、ジーンズ、バイク、ロックンロール、ファストフードなどのアメリカ文化が新しい流行を作っていた。たくさんの人々がバーボンに乗り換え始めた理由の一端はここにある。若い世代には、味覚だけではなく、心理的なアピールも大きな要因となるのである。

バーボンの甘くて力強いバニラやキャラメルの風味には、もちろん官能的なアピールもある。そしてバーボンはコーラの大波にも乗った。思春期から大人になる過程で、コーラの風味はバーボンへの橋渡し役を果たす。オーストラリアでは、バーボン消費の75%以上がコーラ割りだ。バーボン&コーラは、オーストラリアとアメリカで大人気のカクテルなのだ。そして今、新しいカクテル世代とプレミアム嗜好が、バーボンを楽しむスタイルに変化をもたらし始めている。

バーボンがオーストラリアで成功したのは、おそらく社会的な要因が大きいだろう。アメリカのポピュラー文化は、現代におけるバーボンのマーケティングを力強く後押ししてきた。アメリカの音楽、映画、食べ物、ファッション、独立志向、現代性、個人主義などが、新しい自己実現の形式を生み出したのだ。

バーボンは、消費者の態度を表明できるクールな飲み物である。イギリスのウイスキーには、堅苦しい決まりごとやスノッブなステイタス、伝統の世界、古いタータンチェックの兵士たち、王族や階級社会といったイメージがつきまとっていた。結局これは旧世界と新世界の戦いだったのだ。そしてこの新しい戦場で、古いスコッチブランドには役に立つ武器がなかった。旧世界のベルとデュワーが、新世界のジムとジャックに対峙する。だがそこでジムビームやジャックダニエルは極めて魅力的な広告キャンペーンを展開し、徹底した個人主義と現代的な希望を表現して勝利を収める。結果として、現在もこの2つのブランドがバーボンウイスキーおよびテネシーウイスキーの売り上げの70%を占めている(RTD商品も含む)。ビッグブランドだけではない。150種類以上のバーボンブランドと、400種類以上のボトルがオーストラリアのウイスキー市場でしのぎを削っている。

オーストラリアにおけるバーボンブランドの市場拡大は、他国のウイスキー市場のわかりやすい先例となるのかもしれない。かつてイギリスのウイスキーが90%以上のシェアを占めていた国が、わずか2世代でケンタッキーとテネシーのウイスキーを愛する国に変貌した。さらに現在、アメリカのクラフトバーボンブランドも続々と市場参入し、西海岸のOOLAから東海岸のバルコンズやミクターズ、さらにはキングスカウンティまでがオーストラリアの人々を魅了している。バーボンの進出はまだまだ続くだろう。

 

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