アメリカンウイスキー新時代2 / FEWスピリッツ
デイヴ・ブルームがレポートするアメリカンウイスキーの現状。シリーズ2弾目の今回は大都市シカゴを州都とするイリノイ州のFewスピリッツに着目する。
酒類不毛の地に生まれた新鋭 ポール・ホレッコ
(FEWスピリッツ、イリノイ州エヴァンストン)
かつての本業は法律家、それも「権利奪還が専門の弁護士」であったと自任するポール・ホレッコは、FEWスピリッツを始めるために2010年に職業を変えたばかりでなく、市の政治史をも大きく塗り替えた。
イリノイ州エヴァンストンは19世紀における禁酒運動の発祥地であり、1858年に市が創設されてから1972年までアルコールから絶縁されてきた「ドライ・シティ」である。酒好きには肩身の狭いこの街に、ようやく最初の酒屋ができたのは1984年のことだった。もちろん酒づくりなどはもってのほかで、FEWスピリッツができるまで蒸溜所はひとつもなし。大胆にもこの地で起業を決意した理由を、ホレッコは語る。
「何か新しいものを創造し、築き上げたいという欲求から、この蒸溜所を始めました。転換点は20年前、自分が生まれ育った場所が、それまでの10年間でまるで変わっていないことに気づいたときでした」
クラフトディスティラーは、夢のある仕事だ。だが例外に漏れず、ホレッコもまた蒸溜ニューウェーブの騎手たちが直面するジレンマに直面している。すなわち、まずは大手メーカーと差別化した製品をつくらなければならないこと。それだけではなく、いかにして他の有名なクラフトディスティラーたちとも一線を画したユニークな独自製品をつくるかという問題だ。ホレッコは説明する。
「私たちのアプローチは、大手と少し違います。それは収益よりも製品の品質にフォーカスしていること。だからこそ、四半期の売り上げ目標を気にせずに、すべての努力を手作業でおこなうことに集中できるのです」
現在、彼が保有する400ℓのスチルは、「ホワイトウイスキー」、「熟成バーボン」、「熟成ライ」として製品化されるためのスピリッツを生み出しており、近い将来には「シングルモルト」も計画中だ。すべてのスピリッツが、アメリカンオークの5ガロン樽と15ガロン樽によって貯蔵される。もちろんみなスモールバッチだ。
手づくり原理主義
「正しい仕事さえしていれば、クラフトディスティラーは穀物や果物を材料にして芸術を表現できる職人でいられます。周囲を見渡せば、スチルを備えたビール醸造所や、マーケティング予算を持っているムーンシャイナーのような会社もあって、同じカテゴリーで語られることにはちょっと疑問もあります。それでも、数こそ少ないのですが、本当に見事なスピリッツを製造している蒸溜所もあるのです」
ホレッコが参考にしたいと思っているのは、コーヴァル蒸溜所のリキュール、ピーチストリート蒸溜所のブランデー、コルセア蒸溜所のウイスキー、カトクティンクリーク蒸溜所のジンなどだ。
「探してみると、まったく新しい、今までとはまったく違う品質の、素晴らしいスピリッツをつくっている人々がたくさんいます。費用効率だけを考えると、ニュートラルなグレーンのスピリッツを抽出して『ムーンシャイン』と謳ったり、変わり種のウォツカとして売り出したりする方が成功できるでしょう。しかし本物の手づくりでスピリッツをつくることを深く追求する方が、僕にとってはずっとやりがいがあるのです」
彼のような志を持つ人は、きっとこれからも世界中で現れてくるだろう。これから蒸溜を始めようとしている人へのアドバイスを訊いた。
「まずは準備を怠らないこと。リサーチと準備です。十分だと思っても、さらに準備を進め、さらにリサーチを続けます。クラフトディスティラーの人生は、決して華麗なものではありません。その中心にあるのは、きつい肉体労働です。蒸溜所を一歩外に出ると、スピリッツはずっとグラスの中にあるものだと思われているのがわかります。でも私は午前2時に起きてスチルを掃除して、蒸溜液をつくり終えたら、今度は床をごしごし磨く。それを毎日欠かさず続けるのがディスティラーの人生ですが、これが想像できるもっともやりがいのある生活でもあるのです」