世界のウイスキー、100人のレジェンド 最終回【全4回】

June 6, 2012

英国ウイスキーマガジン通巻100号を記念し、ウイスキーの輝かしい歴史を作った100名をリストアップ。全4回の最終話となる今回は、著述家を紹介する。

文:ガヴィン・スミス、イアン・バクストン(人名は項目別アルファベット順)

 

著述家

アルフレッド・バーナード Alfred Barnard

ヴィクトリア朝時代のジャーナリストであり『英国のウイスキー蒸溜所』(初版1887年)の著者として有名。本書は19世紀の産業を網羅し、詳解した信頼できる記録として今日でもよく読まれ、研究の対象となっている。英国のビール醸造所に関する著書もあり、醸造所や蒸溜所の宣伝用パンフレットなどに多くの紹介文を書いた。

 

ロバート・バーンズ Robert Burns

18世紀スコットランドの国民的詩人にして収税吏。『タムオシャンター』『スコッチドリンク』『ジョン・バーリーコーン』『著者より心からの陳情と請願』など多くの不朽の名作において、ウイスキーを賛美した。最も有名な対句は「自由とウイスキーは連れ立ってゆく/さあ汝のグラスを上げよ」 。毎年、彼の誕生日である1月25日には、世界中の人々がその言葉に従う。

 

デイヴィッド・ロイド・ジョージ David Lloyd George

英国の政治家で、財務大臣と総理大臣(1916~22年)を歴任したデイヴィッド・ロイド・ジョージは、強硬な禁酒家として知られる。過酷な酒税の上昇、熟成年数の制限(1909年)、蒸溜量の制限とアルコール度数を監視する中央酒類取締局の設置(1916年)などによってウイスキーの販売を制限した。

 

ニール・ガン Neil M. Gunn

1891年にケイスネスで生まれたガンは、20世紀のスコットランドを代表する小説家となったが、1937年に作家業に専念する以前は、1921年よりインヴァネスのグレンモール蒸溜所で収税吏を務めていた。彼が出版した27作品のうちのひとつは、1935年当時のウイスキーとスコットランドの状況について詳述した研究書である。

 

マイケル・ジャクソン Michael Jackson

ジャーナリストでライターのマイケル・ジャクソンは、ビールとウイスキーの世界に独学で取り組んだ。現代のウイスキー界にもっとも影響を与えたライターであり、 2007年8月に亡くなるまで、アイラモルト、シングルモルト、とりわけ独立系の蒸溜所を擁護する筆をふるった。彼の幅広い著作を読み、初めてウイスキーを飲んでみたという人は多い。

 

ヘンリー・ジェイムズ (ヘレフォード男爵) Henry, Baron James of Hereford

1905年に起きたイズリントンでの偽造酒裁判で持ち上がった議論を決着させるべく、「ウイスキーおよび飲用蒸留酒に関する王立委員会」で議長(1908〜09年)を務めたのがヘンリー・ジェイムズ男爵である。この委員会で、グレーンスピリッツが正式にウイスキーの一種であると認められ、ブレンディングが合法であるとのお墨付きを得たことが、近代スコッチウイスキー産業を定義づけた。

 

イーニアス・マクドナルド Aeneas MacDonald

スコットランド人ジャーナリスト、作家、民族主義者として知られるイーニアス・マクドナルド。ジョージ・マルコム・トムソンというペンネームを用い、ウイスキーについて消費者の立場から書いた近代で最初のライターとなった。1930年刊の『ウイスキー』が、史上もっとも詩的で叙情的なウイスキー関連書であることはほぼ間違いないであろう。同書はシングルモルトに対する現代人の関心について、少なくとも50年先んじて予言していた。

 

コンプトン・マッケンジー Sir Compton Mackenzie

人気小説家コンプトン・マッケンジーは、『ウイスキー・ガロア』の著者として知られている。同作は、第2次世界大戦中に貨物船「SSポリティシャン号」がエリスケイ沖で座礁した実話を題材にしたコメディ小説の傑作。後にイーリングスタジオに映画化されて古典的な名画となった。マッケンジーは後にグラントのブレンデッドウイスキー「スタンドファスト」の広告でも話題を呼んだ。

 

J・A・ネトルトン J. A. Nettleton

蒸溜技術に関する分野において、おそらくもっとも有名な作家。J・A・ネトルトンの名声は、長く定番として読み継がれた記念碑的作品『ウイスキーとプレーンスピリッツの製造』(1913年)で決定づけられた。もともとはロンドンの内国歳入庁の研究所で学んだネトルトンだったが、その後エルギンに住み、数々の蒸溜所の顧問を手広く引き受けた。

 

マイケル・スコット Michael Scot

13世紀初頭に、オックスフォード、パリ、トレドの大学で学んだ通称「バルウェリーの魔術師」。マイケル・スコットは蒸溜されたアルコールを意味する「アクア・アルデンス」について研究した人物である。1230年に帰郷したとき、蒸溜技術の秘密を持ち帰っていたと推測されることから、彼こそがスコッチウイスキーの始祖という説がある。

 

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