氷の彫刻家

April 6, 2013

宝石細工のようなオブジェから、見上げるような大作まで。厨房の芸術として発達した氷彫刻は、水から生まれ、水に帰るという宿命的な儚さが美しい。名人に会うため、冬の札幌を訪ねた。

うなるようなチェンソーの音。冷たい飛沫を上げながら、慎重に、しかし一切の迷いもなく、はがねが氷を削っている。ノコギリ、ノミ、電動ドリルなど、道具は木彫とほぼ同じだが、刃の硬度に工夫がしてある。直方体の氷柱は、みるみるうちにしなやかな丸みを帯びてゆく。やがて取り出されるかのように出現した像の、驚くべき生命感に息をのんだ。

遡上する鮭の力強いジャンプ。鮮やかな色彩の氷中花。クラシックな切り子模様のタンブラーグラス。これだけの作品が、1本の氷柱からわずか1時間で魔法のように削り出された。

しかし驚くのはまだ早い。氷彫刻の本当の美しさは、ここからさらに研ぎすまされるのだ。加工し終わったときには白かった切断面が、氷がゆっくり溶けるにつれて滑らかになる。クリスタルガラスのような輝きを放ちはじめた氷像を見て、この彫刻の素材は水なのだと改めて思い出す。そもそも人間が水晶を愛でるのは、水のように透明な輝きを内に秘めた鉱物だからである。

削って1時間ぐらいで完成するように作っています。細い部分は溶けて小さくなるので、あらかじめ粗く彫るのがコツ。例えば、鷲のクチバシなどもやや大きめに彫っておくと、しばらくして理想的なフォルムになって、その状態を持続してくれます」

制作を終えた古屋光行(こやみつゆき)さんが、説明してくれる。彫り上げた後には人間の手を離れ、素材である水がみずから仕上げをする—なんと繊細な芸術だろう。

「ただし氷が溶ける心配のない場合、例えば真冬の屋外などに設置する彫刻の場合は、溶けることを想定しないで細部まで作り込んでいますよ」

 

日本で発達した厨房の芸術

氷彫刻のルーツには諸説ある。ロシアの皇帝が、キャビアを盛りつけるために氷の器を作らせたという説。さらには、楊貴妃がデザート用に氷の器を所望したという説。いずれにしろ、たった一度の食事で使うための食器を毎度わざわざ装飾まで施して作らせるのは、贅沢の極みというしかない。

冷たいものを冷たく食べるため、氷で食器を作ることは確かに合理的だ。フランス料理の巨匠オーギュスト・エスコフィエサヴォイホテルで生み出したデザート「ピーチメルバ」は、氷で作った白鳥の両翼の間に穴を彫り、そこに入れた器に桃やアイスクリームを盛りつけるのがオリジナルの作法である。白鳥のモチーフは、オペラ歌手ネリー・メルバがロンドン公演で演じたワーグナーの歌劇「ローエングリン」から着想を得たものだ。

古屋さんによると、日本に氷彫刻を持ち込んだのは、天皇の料理番として知られる秋山徳蔵であるといわれている。ヨーロッパで学んだ氷彫刻を帰国後に各所で披露したところ、その華やかさに魅せられた調理人たちがホテルや高級飲食店などで実践するようになった。もともと飾り包丁が得意な日本の料理人たちにとって、氷の細工は道具さえあればさほど難しくはない。さらには帝国ホテルのために大掛かりな氷彫刻を制作した彫刻家の小林秀江も、日本における氷彫刻の始祖の一人に数えられる。

そのような先人の熱意もあって、今や日本の氷彫刻のレベルは世界屈指であるという。特定非営利活動法人である日本氷彫刻会は、全国で約830人の会員を抱える。会員たちの本業は、ホテルの調理人、氷屋、塗装屋などとさまざまだ。氷彫刻が最も盛んなのはやはり北海道で、道内に約150人、そのうち札幌支部には88人の氷彫刻家がいるという。その札幌で、支部長を務めているのが古屋光行さんなのである。

 

世界チャンピオンの技を伝える

古屋さんの本業は調理人であり、肩書きは札幌パークホテルの宴会課長。昭和51年からこのホテルの調理場で働くベテランだ。

「私の入社当時から、さっぽろ雪まつりのシーズンになると、札幌パークホテルは玄関に時計台の氷像を設置していました。先輩に『手伝えよ』と頼まれて、時計台の制作を手伝ったのが氷彫刻との出会いです。基礎的な技能を身につけるまで、2年くらいはかかりましたね」

氷彫刻の美しさと奥深さに魅了され、練習を重ねた古屋さん。コンテストにも積極的に参加し、30代の頃には世界大会に出場するために海外を転戦した。そして1982年には、札幌でおこなわれた世界大会で優勝。世界チャンピオンになると同時に、日本で最高の栄誉とされる秀江賞にも輝いている。

現在の古屋さんは、普段の業務や雪まつりなどのイベントで氷彫刻を制作するかたわら、日本氷彫刻協会認定の師範として後進を指導する立場にある。年に一度は調理師学校で氷彫刻の指導をする機会があり、授業で氷彫刻に憧れた生徒たちが同じ職場の門を叩く。このような徒弟制度の基盤があり、指導者にも恵まれた北海道は、若い氷彫刻家の層も厚い。古屋さんは、彼ら若手に技術を伝承し、発展させる重責も担っている。

「本人たちが技術をある程度身につけたら、あとは若い世代の発想を大切にして、自分が彫りたいものを彫ってもらうようにしています。あまりに細かく指導しすぎると、同じような題材を押し付けてしまうことになって面白くない。かつて私自分も、自分の個性を存分に発揮できたことが、大会での優勝につながりました

 

氷彫刻を観にいこう

ホテルで注文すれば相応の値段がつく氷彫刻だが、誰でも気軽に一流の作品を鑑賞できる機会がある。日本氷彫刻会は定例の大会を開催しており、その最大規模のものが毎年2月に旭川で開催される「氷彫刻世界大会」。また、夏には毎年7月の第1日曜日に「全国氷彫刻展夏季大会」が開催され、東京の上野恩師公園に全国から約100人の氷彫刻家が集う。冬には冬の、夏には夏の楽しさがあるのも氷彫刻の魅力だ。

そして何といっても「さっぽろ雪まつり」を開催中の札幌は見逃せない。1本135kgもある氷柱を約1,000本も使用した大作が、大通りの5丁目付近に設置されるのが慣例だ。それに加えて「すすきの氷の祭典」では、氷柱20本〜30本を使った氷像が約80体も並ぶ。夜間のライトアップはとりわけ幻想的で、冬のすすきのの風物詩として市民に愛されている。これらの氷彫刻は全国からやってくる日本氷彫刻会のメンバーたちが3〜4日かけて公開制作するもので、制作の一部始終を眺めることができる。

もちろん全国のホテルでも、氷彫刻は注文できる。札幌パークホテルには古屋さんをリーダーとする氷彫刻のチームがあり、リクエストへの対応も柔軟だ。刺身の台、オードブルを背後から冷気で冷やすためのオブジェなど、大小さまざまな氷彫刻をホテル内で自在に制作できるのが強みだ。結婚式など一生の記念には、オリジナルの氷像をリクエストしてみるのもいいだろう

究極の自然物ともいえる水を素材に、うたかたの美を表現する氷彫刻。その命は短く、あまりにも儚い。作品の完成と同時に、別れはもう始まっているのだ。一世一代の傑作を仕上げ、それが数時間のうちに溶けて崩れてしまうことに、古屋さんは未練を感じないのだろうか。

「たとえ溶けてなくなっても、見た人たちの心には残る。溶けてなくなるからこそ、見る人が心に刻んでくれる。氷彫刻家として、私はそれで十分に満足です

そんな素晴らしい氷の彫刻を来年の2月に札幌で見るまで我慢する事はない。
近日開催のTokyoインターナショナル・バーショーにも氷の彫刻がステージで登場するからだ。今回は諏訪部 竜也氏がその素晴らしい技術をメインステージで披露してくれる(4月20日16:00~、メインステージ「Ice sculpture」プログラム)。昨今テレビなどのメディアでも多く取り上げられているこの芸術を間近で見たい方は是非足を運んでいただきたい。

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