ホワイトオーク 「あかし」
最近、静かなブームを巻き起こしている「あかし」。国内外からの注目を集めつづける江井ケ嶋蒸溜所を海外のジャパニーズ・ウイスキー愛飲家から支持の高い、クリス・バンティングが訪れる。
兵庫県明石市にあるホワイトオークのウイスキー蒸溜所をたずねると、目の前に広がる海が何やらざわついていた。私は昔から海の音に耳を傾けるのが好きだ。小石と戯れるさざ波の音、防波堤に寄せては返す波の音、荒れ狂う海の唸り声。しかし3月に訪れた明石では、海の音は鳴り響く機械音にかき消されていた。止むことのない耳障りな音は、背後の陸からではなく、海そのものから聞こえてきた。しかも1ヵ所からではなく、あたり一面から。
しばらくの間、望遠レンズで観察しているうちに、その音の正体が、沖合50メートルから1キロメートルの間に点在するモーターボートであることに気がついた。何十隻ものボートがまったく不可解な動きを繰り返している。ネットに近寄っては、その下をくぐる。ネット沿いに走るのでもなければ、ネットの上を超えるのでもなく。船首にネットを引っ掛けて、文字どおりその下をくぐって反対側に出る。そしてモーター音をとどろかせて180度旋回し、また同じようにネットの下をくぐる。ボートはどこにも進むことなく、ただ同じネットの下を前へ後ろへとくぐり続けるだけだった。
ついに好奇心に負けた私は、側にいた釣り人に声をかけた。彼は皺の刻まれた顔に油染みのついた野球帽をかぶり、2本の釣り糸を垂らしていた。「あの人たちは何をとっているんですか?」「海藻だよ」口にくわえた煙草がかすかに揺れ、ぶっきらぼうな答えが返ってきた。彼が海面から目をそらすことはなく、我々の会話はこれで打ち切られたようだった。
後になって、江井ヶ嶋酒造取締役社長の平石幹郎氏が、あれは海苔の養殖なのだと説明してくれた。海に張られた海苔網で生長した海苔を、生産者が収穫しているのだと。
どこもかしこも磯の香りが漂っていた。明石海峡は日本有数の海苔の産地であるだけでなく、海の幸の豊かな漁場としても有名だ。タイ、タコ、アナゴ、イカナゴ、サバなどなど。その種類の多さと言ったら枚挙に暇がないほどだ。
けれども、明石は漁師だけのものではない。日本に文学が生まれたその昔から、日本人は明石の海を題材にしてきた。7世紀の歌人、柿本人麻呂が古今和歌集で「ほのぼのとあかしの浦の朝ぎりに島がくれゆく船をしぞ思う」という有名な歌を詠んでいるのを筆頭に、多くの歌人たちが、競うように明石に題材を求めている。かの松尾芭蕉も明石滞在中に「蛸壷やはかなき夢を夏の月」という句を残している。
江井ケ嶋は日本でもっとも海に近い蒸溜所だ。ウイスキーだけに特化した会社ではなく、敷地内の中央には美しい木造蔵が並び、そこでは日本酒が醸造されている。道を渡った所に建っているトタン張りの大きな建物が焼酎蒸溜所で、酒蔵の向かいにある洒落た白壁の建物がウイスキー蒸溜所だ。仕切りのない広いホールでウイスキーづくりの全工程が行われるこの建物は1984年に竣工された。しかし、この会社のウイスキーづくりの歴史はもっと古くに遡る。
ホワイトオークを所有する江井ヶ嶋酒造株式会社が創立されたのが1888年。そして1919年にはウイスキー製造免許を取得している。一般的に、日本のウイスキーの歴史の幕開けは、1924年にサントリーの山崎蒸溜所が作られたときだと言われていることを考えると、これは驚きに値する。1919年と言えば、ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝氏が、ウイスキーの製造法を学ぶためにスコットランドに留学していた頃だ。つまり、江井ヶ嶋酒造はサントリーやニッカウヰスキーよりも昔からウイスキーをつくってきたと主張することもできるのだ。しかし江井ヶ嶋酒造はあくまでも控えめだ。私の質問に対し、平石さんは生真面目にこう答えた。「その当時、うちにはポットスチルがなかったみたいですから。いったいどんなウイスキーだったんでしょうね」
当時の商品がどんなものであったとしても(もしかしたら本物のウイスキーではなかったかもしれないし、輸入物の蒸溜酒を詰め替えただけのものだったかもしれないけれど)、明石に90年以上ものウイスキーの伝統があるのは確かな事実だ。その後、きちんとしたポットスチルが導入された。小さな古い銅製ポットスチルが蒸溜室へつながる階段に展示されている。1981年、戦後の経済成長とウイスキーブームに乗じて、生産量を増やそうと、会社は蒸溜所の施設を一新した。
それは、あまり良いタイミングとは言えなかった。日本におけるウイスキーの消費量は、1982年から1983年にかけてピークを迎え、その後は下降線をたどる一方だったのだ。売上高で比べるならば、去年は1981年の20%ほどにとどまっている。WTO協定や日本国内の法改正などによって、海外の上質なウイスキーが消費者の手に届く価格になったうえに、国内メーカーに対する税制優遇措置も廃止された。
ホワイトオークのような、お手頃価格で比較的課税率の低いウイスキー(二級ウイスキー)を扱っている会社にとっては大打撃だった。容量4,500リットルのウォッシュスティルも、3,000リットルのスピリットスティルもフル稼働したことがない。今では、日本酒と焼酎の醸造シーズンが終わったあとの6月〜7月の期間だけでウイスキーの蒸溜が行われている。そう、ここのウイスキーは日本酒の醸造を終えた後の杜氏によってつくられているのだ。竹中健二杜氏と、3人の蔵人によって。
安価なブレンデッドウイスキーを多く手がけてきたホワイトオークだが、このところわくわくするような変革の時を迎えている。2007年に初めてのシングルモルトウイスキー、「あかし」シングルモルト8年(500ml、2,500円)が発売され、これがなかなか良い評価を得ている。そして今年1月には、5年熟成のシングルモルト(アルコール度数45%)も商品目録に加わる。
かつてブレンデッドウイスキーを商品展開の中心に据えてきたホワイトオークには、熟成年数の長いウイスキーが非常に少ない。それでも数年前までは、8%だったというエンジェルズシェアが、今では3%という妥当な数字に抑えられているそうなので、今後はさらに熟成されたウイスキーの登場に期待が持てる。5年熟成の「あかし」を手頃な価格で市場に出している間に、倉庫では続々とウイスキーが長期熟成されていくというわけだ。数少ない古い熟成樽の中から、14年モノの「あかし」(アルコール度数58%)が限定販売された。
「我々は酒造メーカーで、扱う商品の中でもウイスキーの占める割合はほんの一部なのです。そのおかげで売り上げをさほど気にすることなく、こつこつとウイスキーをつくり続けることができました」平石さんはそう語ってくれた。「今までは手頃な価格のウイスキーをつくってきましたが、これからは徐々にシングルモルトを増やしていくつもりです」
ホワイトオークは90年にもわたるウイスキーの歴史を経て、ここで初めて「あかし」というシングルモルトのブランドを世に送り出した。道は平たんなばかりではないだろうが、日本のウイスキー業界の名立たる人たちが、今後のホワイトオークのウイスキーに多大な期待を寄せている。
瀬戸内海に面したこの前向きで技術に裏打ちされた蒸溜所は、肥土伊知郎氏が秩父に構える非常に刺激的な新蒸溜所とあいまって、日本のウイスキーシーンに今後、面白いほどの多様性をもたらすだろう。ここ10年、ウイスキー界は大きな会社(サントリー、ニッカ、キリンなど)のウイスキーに高い評価を与えてきた。しかし、この次の10年はホワイトオークのような小さな蒸溜所が世界の注目を浴びることになるのかもしれない。
〈テイスティング〉
ホワイトオークは日本で最も海に近い蒸溜所だが、「あかし」シングルモルト8年は、その特徴を特に日本らしいやり方で表現している。海風に含まれるような潮の香りを期待していたとしたら、がっかりするだろう。「あかし」のトップノートはパンと青りんごの穏やかな香りがする。口に含むとまろやかで甘い飲み口。微かにリコリスの風味がし、後味がとてもすっきりとしている。
にもかかわらず、「あかし」はとても海に近いウイスキーなのだ。私がそれを理解したのは、人々で賑わう「魚の棚商店街」で買い求めた地元の海の幸を前にしてのことだった。このウイスキーもまさに食中酒としてつくられている。「あかし」のスタイルはまぎれもなくウイスキーでありながら、日本酒や軽やかな麦焼酎に通じるものがある。まろやかさと計算しつくされたほのかな甘み。ヘタをすると料理の味を負かしてしまうピリッとした舌ざわりは、極力押さえてある。
明石産の焼き海苔でクリームチーズとワサビを巻いて食べたりしているうちに、「あかし」にぴったりの組み合わせにたどり着いた。それは薄く削ったパルメザンチーズと海苔。チーズの塩気と海苔の風味で、「あかし」の甘みがふんわりと口の中で広がるのだ。同じ海藻でも茎わかめの佃煮は、甘過ぎてあまり合わなかった。歯ごたえあるイイダコの煮付けはあとを引く美味さだが、これも味付けに使われる砂糖がウイスキーとの組み合わせをつまらないものにしてしまっている。大当たりだったのが、明石海峡でとれたアナゴだ。アナゴと言えばたれをつけたものが多いが、漁師たちはアナゴその物の味を楽しむために白焼きで食べることが多いという。私はアナゴにたっぷりと塩を振り、「あかし」シングルモルトと一緒に食してみた。そして、一瞬にしてこの口当たりの良い端正なウイスキーに抱いていた疑念は払拭された。「あかし」はアナゴの持つ海の香りをうまく引き立ててくれる。
あの源氏物語でも明石が舞台となる巻がある。優美な恋人を都に残してきた光源氏は、海辺の町ではがさつで無粋な人との出会いしかないだろうと高をくくっていた。が、そこで彼は明石の方と出会う。都から遠く離れた場所だというのに、明石の方は驚くほど洗練された女性だった。
ホワイトオークはシングルモルトに力を入れ始めたばかりだ。評価を下すには、時期尚早かもしれない。しかし、「あかし」シングルモルト8年を飲んだ感想を敢えて言わせてもらうならば、どうやら明石が誇るのは海苔と女性だけではなさそうだ。
INFO
クリス・バンティングによる日本のお酒ガイド「Drinking Japan」は、タトル出版より2010年に発売予定。管理するウェブサイトwww.drinkingjapan.comには、ジャパニーズ・ウイスキーのブログwww.nonjatta.blogspot.comもある。現在、ジャパニーズ・ウイスキーを「Drinking Japan」に追加すべくリサーチ中。