小さく構え、大きく跳べ【前編】
地球の裏側ほどに離れた地で誕生した2つの蒸溜所には、実に多くの共通点がある。すべてに手が届く小さな規模。原料から生産する強いこだわり。キルホーマン蒸溜所のアントニー・ウィルズが秩父蒸溜所を訪れた。
対談:肥土伊知郎(秩父蒸溜所)+アントニー・ウィルズ(キルホーマン蒸溜所)
肥土伊知郎(以下I) 一回りされたところで、ご自分の蒸溜所と比べていかですか?
アントニー(以下A) 規模はとてもよく似ています。私の蒸溜所にはもう少しだけ大きなマッシュタンがあり、ウォッシュバックはステンレス鋼ですが、それ以外はほとんど似たようなもの。お互いに目指すものが近いのでしょうね。小規模ユニットによる蒸溜に、スピリッツへの深い愛情や気遣いが感じられます。やはり自分のこだわりに忠実でありたいという気持ちの現れですか?
I そうですね。さらにいえば、ウイスキーづくりは蒸溜所の中だけで完結するものではなく、大麦の栽培とカスクを作ることもウイスキーづくりの重要な一部分だと思っています。大麦は地元産を年間で5〜10tほど使っています。去年はとても良い大麦が穫れたので、今年は地元の農家に多めに作付をしてもらいました。また、80歳を超えた樽職人の方に、樽づくりを習っている最中です。
A 私より一歩先を行っていますね。スコットランドでは、日本のような個人の樽職人がいません。カスクは最終的な製品に多大な影響を及ぼすので、製造に関わってみたいもののひとつです。大麦は私も栽培していますよ。地元の大麦から麦芽を作るのが、キルホーマンを設立する上で一番魅力的なことでした。最初から最後まで、すべての工程を自分で手がけたウイスキーづくりに憧れる人は増えていますね。フロアモルティングを始めるつもりは?
I あります。おそらく今年、ここに麦芽製造所を作ります。これまでも英国の「モルトスター」を3年連続で訪ね、フロアモルティングを学んできました。昨年は近所で場所を借りて、地元産の大麦をフロアモルティングしました。水に浸し、ひっくり返し、乾かして自分たちで作った麦芽です。蒸溜したらスピリッツの出来映えは上々で、ますます地元の大麦を使いたくなりました。
A ピートは使えるのですか?
I 近い将来に使うつもりです。埼玉で掘れるのはちょっと特殊なピートで、燃料用ではなく水のろ過材、飼料、土地の改良材などに使われているもの。少量を分けてもらって燃やしてみたら煙の具合はとてもよく、まるで香木のような非常に個性的な感じでした。このピートを使えば、おそらくみんなが「これぞ秩父産」と思ってくれるのでは。キルホーマンを始めるときは、市場の動向などを気にされましたか?
A 何か特別な要素を持った、熟成期間が短くて済むウイスキーをつくりたいと思っていました。ウイスキーは10年以上熟成しなければならないという風潮が、かつてよりも弱まっていたからです。今では5〜10年の若いウイスキーを試してみようという方も多いのですが、私たちはそれよりもずっと若いウイスキーを発表して多くの人から好意的なコメントを貰いました。ここ秩父のように甘くフローラルなニュースピリッツを使えば、それほど長く熟成しなくとも風味は豊かになります。新しい蒸溜所を始めるには莫大な予算がかかるので、若くて良質なウイスキーをつくれたら経営上も大助かりです。
I 私は秩父のスタイルを模索し始めたばかり。大麦とカスクの種類をどう組み合わせるかが、目下の最重要課題です。最後には特別な物をつくるため、こうするんだと決めずに色々のタイプを試したい。時間がかかるかも知れませんが、組み合わせは自ずと決まってきて、おそらく10年ぐらい経てば秩父スタイルが明らかになるだろうと思っています。
◉波瀾万丈の開業記
A スチル選びはどうしましたか?
I ヘビーでリッチな味わいが欲しかったので、小型で直立のストレート型にしました。すべてが濃厚なスピリッツを得るための設計です。
A 私も専門家に委ねましたが、スチルは実際に稼働させてみないとどんなスタイルのスピリッツができるかわからないものです。欲しかったのはピート香のある軽めのフルーティーなスタイルだったので、背の高い、首の細いタイプにしました。色々な人に相談しましたが、人によって言うことがまちまちでしたね。蒸溜所建設で一番大変だったのはどんなことですか?
I たくさんありますが、特に当局との折衝です。日本で最も新しい蒸溜所が1973年の白州蒸溜所なので、役所もウイスキーの製造許可を出すことになれていませんでした。何度も説明し、膨大な書類を用意しました。
A 私の場合、役所関係は簡単でしたが資金繰りに難航しました。4年かけても目標には届かず、「どうせやるんだから、もう始めちゃえ」と。3〜5年で投資額の回収を目指しましたが、新しい蒸溜所建設はそんなに甘くありません。そこで蒸溜所のオーナーとなってくれる資産家を探しました。蒸溜所を保有することに喜びを感じ、結果的に投資が失敗しても納得してくれるような人たちです。でも今では将来に希望が見えてきたので、みなワクワクしています。
I 私は投資家ではなくウイスキーのストックが必要でした。祖父が残したウイスキーをボトル詰めして販売しようと決めたのですが、自分が今ここに蒸溜所を設立しないと将来にストックが尽きてしまうという状況だったのです。蒸溜所が動き始めてからは順調でしたか?
A キルホーマンは多難の船出。まず窯が火事になりました。無煙炭で麦芽を乾かそうと考えたのが大間違いで、温度調整できなくなったのです。火をつけて2時間ほど留守にしたらもう火の手が上がっていました。よくよく考えていたら防げたことでしたが、何しろ経験がなかった。今では温風乾燥に切り替えてうまく動いています。
I それは災難でしたね。
A 新しい発電機と、新しいボイラーも必要でした。パイプがうまくフィットせず、毎週のように破裂を繰り返しました。ボイラー室はとても蒸溜所と呼べる状態ではなく、最適の温度のスチームを得るのに四苦八苦。何時間も格闘しました。今でも色々と日々の調整をしています。秩父でも同じようなことが起こるのでは?
I ここは圧力バルブを交換した程度で済んでいます。
◉場所選びと人選び
A 蒸溜所の場所はどうやって選んだのですか?
I 私の家族は秩父で日本酒を造っていましたので、ここの水が発酵に適していることを知っていました。蒸溜所を建設するにはたくさんの規制がありましたが、私が秩父生まれということもあって地元の人たちが助けてくれました。
A 私がアイラ島を選んだのは、象徴的な産地なので真剣に注目してもらえると思ったからです。重要な決断でしたが、当地に大麦を作っている友人がいたので、彼と一緒に自然な形で始められました。彼がウイスキーのための大麦を育て、私たちは彼から建物を借りています。古い製粉所だった建物にスチルを置き、古い牛舎をビジターセンターにしています。環境は素晴らしく、今も現役の農場と、蒸溜所は快適に連結しています。秩父の生産量は、実際の生産力に対して控えめですか?
I はい。将来は増産しようと思っています。最大で8万ℓぐらいになるでしょうか。
A 私たちは現在が最大です。10万ℓという生産量は、希少価値を保つ上でもちょうどよい上限だと考えました。5,000ℓのウォッシュバックが4つあるだけなので、物理的にそれ以上は生産できないということもありますが、それでいいと思っています。従業員はどうやって見つけましたか?
I 自然に集まってきました。現在4人ですが、みなウイスキーを愛し、ウイスキー産業で働きたいという強い意思を持ってきたメンバーです。まだ蒸溜所ができる前から働かせてほしいと言われ、最初は断りましたが彼らも諦めませんでした。大メーカーに入社しても、ウイスキー部門で働くのは難しいのです。私がサントリーに勤めたときも山崎蒸溜所で働きたかったのですが、輸入酒のマーケティングに配属されました。
A 私たちは従業員に関しては幸運でした。他の蒸溜所を辞めて私の許に来るのはかなりのリスクがあったはずですが、アードベッグのスチル技術者を説得して蒸溜所の設営をしてもらいました。彼はもう去りましたが、その後この蒸溜所に注目が集まった頃に蒸溜所のマネージャーを募集したところ、非常に有能な人々が応募してくれました。ブナハーブンに22年勤め、蒸溜所マネージャーだったジョン・マクレランはとても熱心で、同僚のスチル技術者のひとりを連れてきました。現在は3人の常勤スタッフと私で回しています。