進化するワイン樽熟成【第3回/全3回】
文:クリストファー・コーツ
前回までは、現代のスコッチウイスキーづくりに使用される2種類のワイン樽について理解してきた。ならば「グレンフィディック グランクリュ」に使用されている「フレンチ・キュベー・カスク」は、どちらのカテゴリーに属するワイン樽なのだろう。短く答えるなら、どちらでもない。熟成に関心の高い人が「グランクリュ」に惹きつけられるのは、通常のウイスキー熟成に使用される樽とは完全に異なった種類の樽で熟成されたウイスキーだからだ。
「グレンフィディック グランクリュ」は、ヨーロピアンオークのシェリー樽とアメリカンオーク樽の組み合わせで23年熟成され、ヴァッティング後にファーストフィルとセカンドフィルのフレンチオーク樽(バリック)で6ヶ月間にわたって後熟されたウイスキーである。だがこのバリック樽が、実はワインの熟成ではなく発酵槽として使用されていた容器なのである。細かくいえば、果実から絞ったブドウ果汁をワインに変質させる「ヴィニフィカシオン」という行程で使われた樽だ。
グレンフィディックによると、原料となるブドウはフランス北部のブドウ畑で栽培され、「世界有数の品質を誇るスパークリングワインの原料」でもあるという。この説明は、いささか持って回ったような言い方にも聞こえる。というのもきらびやかなゴールドのパッケージや、「祝福」イメージの強調、ソーサー型のグラスなどといったマーケティングが、あからさまに誰もが知っているスパークリングワインを連想させるからだ。世界中で贅沢な祝祭のシンボルとして認識され、紛うことなきステイタスを持った超有名な産地ブランド。グレンフィディックは、ウイスキーにそんな高級なイメージを結びつけたのだ。
それでもボトルに書かれているのは、ウイスキーが「フレンチ・キュベー・カスク」で熟成されたという事実のみ。だがシャンパンの「シ」の字すら語れないのには訳がある。スコッチウイスキーもシャンパンも、世界的に有名なアルコール飲料のカテゴリーだ。どちらも厳しい地理的表示保護制度によって産地ブランドの価値が守られている。そのためマーケティングのコミュニケーションでは、不用意に表示してはいけない言葉があるのだ。
さらに言えば、あの誰もが愛するフランス産スパークリングワインは、瓶内二次発酵という特別な行程を済ませたものだけが「シャンパン」を名乗れることになっている。シャンパンの製造工程を知れば、技術的に「シャンパン樽」と呼べるものはありえないことに気付いてしまう。だからウイスキーの商品名に「シャンパーニュ」という地名が現れる度にちょっと驚いてしまうのだ。「グレンフィディック グランクリュ」は、最終的にはシャンパンとなるワインの一次発酵で使われたフランスのリムーザン産オーク樽(バリック)を軽くトーストして、ウイスキーのフィニッシュに使用した製品である。
ブナハーブンが2019年のアイラフェスティバルで発表した特別ボトルの他に、アランやダルモアにも「シャンパーニュ」の名を謳ったウイスキーがあった。グレンフィディックが「キュベー・カスク」という用語に落ち着いたのは、地理的表示保護制度への抵触を避けながら、それとなくシャンパンとの関連を示唆するためであろう。このようなややこしい事情はあるものの、使用された樽が興味深いものであることには違いない。
グレンフィディックの意図を正確に読み取る
非発泡性のスティルワインを熟成する樽は、使用期間がせいぜい数年である。水溶性の香味要素とアルコール性の香味要素の両方が、どちらも相当量含まれている。それに対して、発酵槽として使用された樽は、長年の使用によって水溶性の香味要素が枯渇しがちになる。ただしこれは樽にスピリッツを入れて引き出される香味が乏しいということではない。
今回の「グランクリュ」が熟成されたのは、10年分の収穫期で使われ続けてきた発酵槽である。それでもアルコール度数の高いウイスキーを初めて投入すると、樽が見事に活性化して、さまざまな風味を授けてくれるのだという。グレンフィディックでグローバルブランドアンバサダーを務めるストゥラン・グラント・ラルフが説明する。
「このキュベー・カスクは、コニャックやバーボンのようなスピリッツとの接触で香味成分が枯渇したことがありません。そのためアルコール度数の高いグレンフィディックの後熟に使用すると、タンニンやリグニンなどといったオーク材由来の香味成分がとても簡単に引き出されます。果醪やワインの影響は、熟成初期にほんの少しだけありました。でもそれよりはるかに大きな影響が、樽材そのものからもたらされます。つまりいまだに極めてアクティブな樽であるといえるのです」
かすかではあるが、ヴィニフィカシオン(一次発酵)行程からの影響と思われる香味も確かにもたらされた。詳しく言うなら、ウイスキーに一定量の酸味を感じさせる要素や、はっきりとわかるフローラルなアロマが加わったのだとストゥランが語る。
「もともとこの樽に入っていた弱酸性の発酵済み物質が、最終的なウイスキーに面白い酸味を加えてくれます。この酸味のバランスを整えるため、一度使用したキュベー・カスクのセカンドフィルでもグレンフィディックを熟成して、ファーストフィルのキュベー・カスク原酒とヴァッティングしました。こうすることで、あらゆるグレンフィディックにとってもっとも重要なバランスを達成できます。セカンドフィルのキュベー・カスクなしで仕上げると、最終的なウイスキーがややドライな印象になるのです」
現代ではとても稀な手法となった発酵槽で熟成する手法も、かつてはよくスコッチウイスキーに使用されていた。ただし当時の発酵樽は、フランス経由ではなくスペインからもたらされていた。シェリー用の若いワインを発酵させる容器である。完熟したシェリーはスコットランドへ輸出するときに樽詰めされるが、その輸送用の樽を用意する行程として、発酵用の容器に使用するのが習わしだったのである。
樽を繰り返し発酵槽として使用することで、最終製品であるシェリーに影響を与える可能性が限りなくゼロに近づけられる。当時の文書を紐解いてみると、そんな知恵が共有されていたようだ。酒精強化ワインとはいえ、シェリーのアルコール度数は最高で22%程度。そのシェリーをスコットランドへ輸送し、樽出しをすると空き樽ができる。この空き樽は次回の輸送用としてスペインに送り返されるか、スコッチウイスキーの蒸溜所に送られて熟成樽として再利用されるか選ばれた。この樽にアルコール度数の高いニューメイクスピリッツを入れると、シェリー自体の影響と樽材の影響がスピリッツに引き出されるのである。
発酵樽の衰退と希少性
1970年代後半までに、シェリーは金属製のタンクで発酵されるのが一般的になった。同時にシェリーの輸送でも、樽が使われなくなっていった。それでもシェリーのボデガとスコッチウイスキー業界の結びつきは強かったので、ヘレスにあるボデガの発酵棟を訪ねると、今でもスコッチウイスキーメーカーの名前が記された樽が積まれているのに気付いたりする。
このような樽は、シェリーの輸送に使われるはるか以前より、スコッチウイスキーメーカーの依頼で組み上げられた樽なのだ。現在、シェリーを発酵した樽はほとんど手に入らない。その代わり、ウイスキーの熟成に使用されるシェリー樽の大半はオーダーメイドだ(発酵槽としての使用はなし)。スペインの樽工房がオーク新材から樽を組み上げるのだが、この材料はアメリカンオークのこともあれば、ヨーロピアンオークのこともある。そして最低1年間にわたってシェリーでシーズニングされるのだが、このシェリーの多くは若くてドライなオロロソシェリーである。
今やウイスキー業界でワインの発酵樽が話題に登るのは希なことになってしまった。それでもグレンフィディックのモルトマスターであるブライアン・キンズマンは、もちろん発酵樽の存在や効果を知っている。エクスペリエンス・シリーズでは、以前に同様の発想でIPA樽でのフィニッシュを使用したくらいなのだ。ストゥランが語る。
「IPAビールの場合は、発酵槽として使用した樽にホップ由来の香味が染み込んでいました。ウイスキーのフィニッシュに使用することで、この香味が引き出せました。そもそも樽内の香味を引き出せるのは、アルコール度数の高いスピリッツだけなんです」
リンゴの花、焼きたてのパン、砂糖漬けのレモンのような香り。甘いブリオッシュ、サンダルウッド、洋ナシのソルベ、白ブドウなどの味わい。白ワインの発酵に使用されたフレンチオークからは、そんな魅惑的なフレーバーがグレンフィディックのウイスキーに溶け出している。ウイスキー界の「グランクリュ」は、アルコール度数40%でボトリングされて世界各地で販売されている。この時期に旅行できる幸運な方は、度数43%でボトリングされた免税店用の特別商品も手にできるだろう。
グレンフィディックのモルトマスターであるブライアン・キンズマンは、「グランクリュ」の商品化によって2つの偉業を成し遂げた。ひとつはグレンフィディックに新しいスタイルをもららしたこと。もうひとつは、ウイスキーファンに新しいワイン樽熟成の世界を教えてくれたこと。しかもそれは、祝宴に相応しい価値のあるワイン樽なのだ。