ベルベットの手袋に隠された鉄拳 ビル・ラムズデン博士インタビュー【前半/全2回】
9月の初旬に、ビル・ラムズデン博士が来日した。目的のひとつは、新しい定番商品「アードベッグ アン・オー」のお披露目。多忙なスケジュールの合間におこなったインタビューを2回シリーズで完全公開。
聞き手:ステファン・ヴァン・エイケン
取材協力:MHDディアジオモエヘネシー
ようやくビル博士をつかまえたのは「モダンモルトウイスキーマーケット」の空き時間だった。スコットランドから来日中のブランドアンバサダーたちを会場で見つけ、モナコのテイスティングイベントでの笑い話を語りだす。別々の会社から派遣された2人のブランドアンバサダーと共謀して、互いのブランドをプレゼンテーションするという悪戯をしたのだという。ビル博士とモナコとのつながりはかなり深い。シングルモルト通として知られるモナコ大公アルベール2世が、12年熟成のグレンモーレンジィのシングルカスクを選定した2015年の思い出から話は始まった。
プライベートディナーでのテイスティング会に招かれて、大公宮殿まで出かけていきました。会場には金持ちのお友達が勢揃い。元F1ドライバーのデビッド・クルサードもいました。彼は気取らない性格で、僕と気が合うんです。会合の最後に、大公に連れられて亡くなられたお母様のバーに入りました。グレース妃は、個人用のバーも所有していたんですね。晩年はこよなくお酒を愛されたという逸話を聞かされました。ともあれ、バーのキャビネットには希少なウイスキーの膨大なコレクションが並んでいます。そして大公は「ビル、なんでも好きなボトルを開けてくれ」なんて言うんです。そこにいる誰もが、僕が40〜50年ものを選ぶだろうと思っていたようです。でも僕は古いウイスキーのファンじゃないので、リンクウッドの12年ものを開けることに。「花と動物」シリーズのボトルですが、みんな気に入ってくれましたよ。これ見よがしなチョイスをしなかったことで、大公もいっそう僕のことを信頼してくれたんじゃないかな……。
アードベッグのコアな商品群を、家族に例えて説明していただけますか? 家族写真を見ながら、面識のない人に各ボトルの個性を解説するような要領で。その家族のなかで、新顔のアン・オーはどのように位置づけられるのでしょうか?
そうですね。まず家長は「アードベッグ10年」で決まり。みんなに顔を知られた父親で、ちょっと着古したツイードのスーツに人柄がにじみ出ています。「ウーガダール」は、物腰の柔らかい長男。イタリアやフランスでの海外生活が長くて、なかなかオシャレな男です。「コリーヴレッカン」は荒くれ者の従兄弟で、服役から戻ってきたばかり。常習犯からエスカレートして、とうとう大それたことをやっちゃいました。そして「アン・オー」は若い従兄弟で、まだ家族の一員になったばかり。目をぱっちりと見開いて、幸せな将来を思い描いています。
限定品のリリースと違って、コアレンジのボトルを加えるのは重大な変化です。継続的に販売するための原酒ストックはもちろん、戦略的な意図をふまえての発売決定だったのでしょう。今回のアン・オーは、どのように企画されて発売に至ったのですか?
おっしゃる通り、もちろん継続可能性は押さえておかなければなりません。ちょっと本論から外れますが、ある逸話を教えてあげましょう。かつて僕の部下だった、レイチェル・バリーのことはご存じですね。意見の相違から移籍してしまいましたが、グレンモーレンジィ シグネットの成功に大きく貢献してくれました。あのアイデアを実行に移したのは僕ですが、製品管理はレイチェルの仕事。じゃあやってみようと、まずレイチェルが最初のプロトタイプのレシピを組み上げました。でも彼女の流儀は、商業主義との相性が悪すぎるんです。最高に美しいレシピを完成させるのはいいのですが、継続的に再現するのが不可能なレシピなので、僕が仕事を取り上げて実行可能なレシピを組み直すことになります。いつも彼女には、もう少し先のことも見通したほうがいいとアドバイスしたものですが、あの通りの芸術家肌なので聞く耳持たず(笑)。まあ、そんな話もありました。
アン・オーについて説明しましょう。僕がおこなう実験には2種類があります。そのひとつは、ストックの量が希少な原酒でおこなう実験。その量は12樽だったり6樽だったり、なんとか確保した1樽だったりとまちまちですが、要するに商品化の可能性はないだろうと知りながら、自分の学習のためにおこなう実験です。もうひとつの実験は、今までにないレシピで、かなり大量のストックを使用しておこなうギャンブルです。その量は一度に数百樽に及ぶこともあります。このような実験は、ひょっとしたらこのレシピは定番化できるんじゃないかという勘を働かせながら実行に移すものです。例えばここに300樽のシェリーバット原酒があるとしましょう。10年の熟成で蒸発した分を差し引くと、ここから9Lケースで25,000箱分のウイスキーがつくれることになります。でも「ウーガダール」や「コリーヴレッカン」のようにバーボンバレルで熟成したクラシックなアードベッグとヴァッティングしたら、それよりもはるかに大量のウイスキーが出荷できることも見込めます。何年も温めてきた原酒については、このような計算がすぐに働きます。
使途が決まっていない大量の原酒は、存在をいつも意識してきました。これを自社ブランドで商品化しなければ、いずれブレンド用に売却することになるという現実にも要注意です。自社にブレンデッドスコッチのブランドがあればいいのですが、現実は違うのでそうもいきません。余ったら他のウイスキーブランド用のヴァッティング行きです。今回の新商品については、それなりにバラエティ豊富な原酒のストックが十分に熟成されていたので、最初から安定した基盤がありました。
私の原酒ストックの大半は、レシピの中核となるバーボンバレルです。そこにペドロヒメネスのシェリー樽でアクセントを加えてみようと考えました。オロロソとフィノも試しましたが、望んでいたまろやかで飲みやすいフレーバーは得られなかったのです。フレーバーの背後に活力を与えるため、チャーを施した新樽をかなりの量で用意しました。念のため断っておくと、アリゲーターカスクではありません。濃厚なフレーバーのアリゲーターカスクには、新しいスピリッツをリフィルしてあります。アリゲーターのチャーレベルは5ですが、今回の樽は標準的なバーボンバレルと同じレベル3〜4のチャーを施したものです。
この方向性に脈があると感じ始めたのは、今から3年ほど前でした。未来を見通しながら、2種類のエクストラタイプのバレルを何百樽も購入してニューメイクスピリッツを貯蔵しました。実験的な新商品を開発する際には、いろいろと事前の計画も必要なのです。
「アン・オー」のことを「ベルベットの手袋に隠された鉄拳」と表現されました。このスタイルは、社内の人々の要望に基づくものなのでしょうか?
最高経営責任者との議論のなかで生まれました。彼自身を含めたフランスの同僚たちに、いくつかのアードベッグ製品は個性が強すぎるという意見が多いというのです。だからまず僕は、彼らのような人々を新たなターゲット層に設定しました。ご存じの通り、僕は率直にいって他人から商品に注文をつけられるのは好きじゃありません。その意味では、ボスである彼が注文をつけてくる唯一の人物なのです。まず必要なのは、マーケットマネジャーたちと話し合って、ある特定の市場が好む風味を感覚として理解すること。その後はすべて任されて、内容は僕次第になります。それで例のボスとの話し合いの後に、アードベッグに4つめの定番品を加えたいという考えを理解してもらいました。長期熟成のボトルを出すという平凡な方向性もありましたが、それは現段階ではまだ可能じゃない(今言えるのはそれだけ)。ボスは新商品をかなりの数量で生産したいと伝えてきましたが、現実的に難しい数字でした。
「アン・オー」はまず4つのレシピをつくって、そこから2候補に絞り込んだそうですね。その最初の4つのレシピは、互いに似たようなものだったのですか? それともまったく違うタイプでしたか?
4つのうち、ひとつだけ変わり種がありました。でもそれは「まろやかでスムーズ」という目的に合わないとわかったんです。他の3つのレシピは、同じカスクの構成で比率を変えたものです。
「アン・オー」のレシピには、「ケルピー」に使用したロシア産のカスクも含まれていますか?
今のところは含まれていません。今後も含まれるかどうかはわかりません。あれは「ブラックシーオーク」の新樽なので、引き続き様子を見るために新しいスピリッツをリフィルしました。今後のヴァッティング要素に加えることを完全には否定できませんが、ファーストフィルと同じような特徴ならば、「アン・オー」には向かないと判断するでしょう。
「アン・オー」に使用したヴァッティングタンは、どんなサイズなのでしょうか?
写真があればいいのですが、まず「マリーイングヴァット」と呼んでいるヴァットが中心にあります。マーケット用語では「ギャザリングヴァット」と呼ばれるのですが、僕たちはマリーイングという用語を使います。このヴァットが約35,000バルクリッター。現在はそれに加えて16,000リッターの「フィーダーヴァット」が2槽あり、あと3槽のフィーダーヴァットが追加される予定です。上から見ると、真ん中のマリーイングヴァットを花びらのようにフィーダーヴァットが囲む感じ。ビジター用に台を設置して、実際に見学できるようになります。
そのヴァットはフレンチオーク製ですか?
フレンチオークを使用しています。オーク自体はフレーバーに影響を与えるものではありません。ここで後熟効果を加えるのも僕の意図するところではない。自分自身の経験と、偉大なるジム・スワンら信頼できる数人のアドバイスを参考にして、フレンチオーク製が最良の選択であろうと判断したのです。多孔質なので、たぶんウイスキーが呼吸できるだろうという考えもあります。「本当に呼吸なんかするの?」と真顔で聞かれても、真相はわかりませんよ。とにかくこれが望ましい素材だと思ったのです。ポルトガルで使用されてきた古いワインタンの樽材から造られています。内部もきれいに洗い出したのでワインの残留物もないし、フレンチオークが熟成に及ぼす影響も皆無です。
ウイスキーはそのヴァットで3カ月熟成されるのですね?
大きなヴァットに最低3カ月です。
マリーイングの前後でウイスキーを比較されたことと思います。はっきりとわかる違いはありますか?
僕には本当に大きな違いが感じられます。マリーイングの前でもかなり良かったし、自分の好みでもあるのですが、最終的な商品が持っているシルキーな舌触りに欠けているんです。
(つづく)