静かな自信 ― ラガヴーリン蒸溜所 【前半/全2回】

July 3, 2013

 シングルモルトの聖地・アイラ島に君臨するラガヴーリン蒸溜所。その佇まいはあくまでひっそりとしながらも、自信に満ちている。シーニーン・サリバンのラガヴーリン蒸溜所レポート、前半はその歴史を静かに紐解く。

アイラ島に行くなら、夕暮れ時がいい。
午後の陽射しが糖蜜のように島全体に降り注ぎ、木のない奇妙な風景を包み込む中、冷気が湾を渡って来る。至る所にピートの香りが漂い、海、陸、大気、そしてウイスキーに浸透している。静かに、泰然と。しばらく経たないと気付かないほどだ。スモークの芳香が染みつき、からみついて、自分がどこにいるのかを思い出させてくれる。

私がダニヴェイグ城跡に近い低地に立つ白塗りの建物群、ラガヴーリン蒸溜所に着いたのは午後も遅くなってからだった。蒸溜所は湾の端に根を下ろし、自分の場所に確信を持って堂々と立っている。

この土地にはウイスキーづくりの歴史が染み込んでいる。
1742年から蒸溜が行われ、現在のラガヴーリン蒸溜所付近では18世紀後期までに10基の違法スチルが稼働していた。その後、1830年代まで湾沿いの低地にひっそりと2ヵ所だけ残っていた蒸溜所が合体して、「ラガヴーリン蒸溜所」になった。

アイラ島の大部分の蒸溜所と同じく、ラガヴーリン蒸溜所の成功はブレンデッドウイスキーの成功と結びついている。ほとんどのシングルモルトが享受してきた、ブレンデッドウイスキーとの相互依存関係というお馴染みの物語だ。この場合のウイスキーは、ピーター・マッキーが1890年に市場に出したホワイトホース。今日までその中心にラガヴーリンモルトのスモーキーな暖かさを包含するブレンドだ。

このピーター・マッキーが、主に遺恨から(そしておそらくは隣人のラフロイグ蒸溜所を訴える裁判費用にあてるために)1908年モルトミル蒸溜所を建設することになる。
1907年まで、ラガヴーリン蒸溜所はキルダルトン沿岸地域の仲間がつくるウイスキーの販売代理店として機能していたが、ラフロイグ蒸溜所の方針が変わったためにこの有利な仲介業は終わりを迎えた。そこでラガヴーリン蒸溜所は先ず、契約問題に関してラフロイグに対し訴訟を起こしたが、敗訴した。そして今度は逆に「ラフロイグ蒸溜所への給水を阻止した」と告発された。
この裁判でも満足のゆく結果を得られなかったピーター・マッキーは、隣人に仕返しするために、初期の企業スパイ活動とも言うべき行動に出た。
ラフロイグ蒸溜所の内部事情に関する知識を利用して新たな蒸溜所(モルトミル)を建設し、ラフロイグと同一のモルトをつくって、その市場シェアを乗っ取ろうとしたのだ。モルトミル蒸溜所のためにラフロイグ蒸溜所のディスティラーを引き抜き、さらにはスチルの複製を作らせたにもかかわらず、結局この企ては成功しなかった。ウイスキーは単にレシピだけで出来るのではなく「それ以上のもの」。それがつくられる場所のエッセンスだという教訓だろう。

後半に続く

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