木桶職人の多忙なる日々【前半/全2回】
マッシュタンとウォッシュバック- ウイスキーづくりに欠かせない、重要な設備だ。しかし、誰がどのようにして造っているのかは、あまり知られていないのではないだろうか。英国版本誌記者が、スコットランドの伝統的な木桶職人たちの現場をレポートする。
どの蒸溜所を訪れても、見学者の心を捉えるのは常に銅製ポットスチルだ。何と言っても蒸溜所の心臓であり、最もドラマチックで目を引くうえ、各蒸溜所の個性ともなっている。
しかし蒸溜所を機能させるには、スチルに限らず多くの設備を必要とする。生産能力を拡張するためには、スチルの数よりもウォッシュバック(発酵槽)の数を増やさなければならない。今ではウォッシュバックの多くがステンレス製だが、伝統的な木製を好むウイスキーメーカーも少なからずいる。そんな時は、ダフタウンのジョゼフ・ブラウン・バット社の出番だ。
ロンとキャリー・ロウ夫妻が所有、経営するこの会社は、1920年代にブラウン一家が設立したパークモア・クーパレッジに始まる。
最初のクーパレッジ施設はパークモア蒸溜所を基盤としていたが、1931年に停止。その後、スペイサイドの「モルトウイスキーの聖地」、ダフタウンの中心部に近いところに移った。
アバディーンシャーのストラスドンで生まれたロン・ロウは、父親がウィリアム・グラント&サンズ社で運送部門の仕事に就いたために、8歳でダフタウンに越してきた。そしてまだ若かった1984年にこの場所でキャリアをスタートした。
ロン・ロウは当時を振り返ってこう語る。
「仕事を始めた頃、ブラウン社では樽の製造に加えてバット(WMJ註:ここでは、『シェリーバット』等の樽ではなく、ウォッシュバックやマッシュタンなど、仕込みに使用する大きな槽のこと)も造っていました。イアン・ブラウンが私の‘師匠’で、2つの技術を教えてもらいました。つまり、樽を手造りしつつ、バット造りにも関わっていたんです。同社の3人のパートナーのうち、まずサンディ・スマートが引退し、次いでイアン・ブラウンが、そしてついに3番目のパートナーでイアンの弟のアーサーも引退しました。それで、バットを造れるのは私だけになってしまったので、妻と私は、アーサー・ブラウンから作業場をリースしてもらって、ビジネスを続けることにしました」
ロウ夫妻は2002年10月に事業を引き継ぎ、間もなく重要な決断を下した。
「バットの事業は繁盛していて、そのままで十分に維持できたので、樽造りの方を止めることにしました」
-つまり、木製のマッシュタンとウォッシュバック専門の「木桶職人」になると決めたのである。
まもなく夫妻の会社はスコットランドとアイルランドの大部分の蒸溜業者を相手に仕事をするようになり、直近ではスコットランド南西部のアナンデール蒸溜所のために木製ウォッシュバックを造り、設置した。
「仕事のほとんどはウォッシュバックですが、木製マッシュタン(仕込み槽)も、アイルランドの蒸溜所のためにひとつ、それからビールなどの醸造メーカーのためにも幾つか造りました。スピリッツの貯蔵タンクも造りますし、日本向けに酒用の仕込み槽とスウェーデン向けにウイスキーのウォッシュバックも手がけました。ヘレフォードシャーのマッチ・マークルにあるヘンリー・ウェストンズというサイダー(WMJ註:りんごの発泡酒)メーカー用の貯蔵・コンディショニングタンクも。まったく違う分野では、水中ソナー(音波探知機)をテストするための大型タンクや化学産業向けのものも造りますよ」
新規の製造に加えて、スコットランド中だけでなく世界各地の蒸溜所にあるバットの点検が、同社の年間業務の相当な部分を占める。検査し、必要であればその場で修理を行う。
忙しいと言っても、そう頻繁に新しいウォッシュバックの注文が入ることなどないだろうとお思いの方も、これで彼らの忙しさの理由はお分かりいただけただろう。
しかし、今スコットランド国内だけでも、非常に大規模な依頼が入ることが多いという。 一体どこで、そんなに大量の新しいウォッシュバックが必要となるのだろう?
【後半に続く】