ウイスキーの含有成分を分析する専門家、ハリー・リフキン博士(タトロック&トムソン)と語り合う3回シリーズ。スコッチウイスキーの風味を進化させてきた科学研究の歴史を追う。

文:ガヴィン・スミス

 

新しいウイスキーのボトルを開封して、スピリッツのアロマとフレーバーに意識を集中する。この瞬間、ウイスキーの中に禍々しい異変がありはしないかと訝しむ人はもういないだろう。だが、ウイスキーの品質に油断がならない時代もかつてはあった。19世紀には、食べ物や飲み物に粗悪な混ぜものをする事件が珍しくなかったからだ。

グラスゴーで1872年に巻き起こったウイスキーのスキャンダルが動かぬ証拠である。ノースブリティッシュデイリーメール紙の編集者が、グラスゴーのパブで出されている20種類のウイスキーからサンプルをとって成分分析。その結果、本物のウイスキーはわずか2種類に過ぎなかった。他のサンプルは水で薄められていたり、あろうことかメチルアルコール、テレビン油、家具用艶出し剤、硫酸(!)までが混入されているという衝撃の結果が出た。

このような悪習は、粗悪品禁止法(1860年施行)が発効しているのにもかかわらず広まっていた。粗悪なウイスキーがスキャンダルとなった結果、英国中の公的機関が成分分析の専門家に調査を依頼。それにあわせて、当時のグラスゴーを代表する分析化学者だったロバート・ラトレー・タトロックと甥のロバート・トムソンが、1891年に食品や飲料の成分を分析する会社をバスストリートに設立した。

2人はパブリックアナリストとしてグラスゴー市の依頼に応え、食品メーカーが表示通りに合法的な商品を販売しているかどうかを検査した。同社のパートナーたちは、1908の王立委員会でスコッチウイスキーの定義が初めて明文化される瞬間にも立ち会っている。

このタトロック&トムソン社は、130年経った今でも事業を続けている。酒類メーカーがスピリッツの品質を総合的に維持したり、品質を目的にそって最適化できるようにサポートするのが主な業務だ。現在の本拠地は、ファイフ地方リーブン近郊のトーチャッツにある農場施設だ。

現在のタトロック&トムソンを率いるハリー・リフキン博士は、1993年後半にジム・スワン博士から同社の事業を買収した人物である。エディンバラのヘリオットワット大学で学び、その後エディンバラ大学で博士号を取得。 その後1985年に、ペントランズ・スコッチウイスキー・リサーチ社(現在のスコッチウイスキー・リサーチインスティチュート)に蒸溜部門のリーダーとして採用された。

 

ウイスキーに毒性物質が含まれる可能性を調査

 

リフキン博士が、ペントランズ時代に取り組んだ大きな問題について回想する。そのひとつは、スピリッツの品質だ。ニューメイクスピリッツから望ましいエステル香が失われれいることに気づき、窒素化合物である毒性のカルバミン酸エチルが含まれている可能性が浮上したのである。

創業130年のタトロック&トムソンを率いるハリー・リフキン博士。スピリッツの含有物に関する膨大な知識とデータをもとに、メーカー各社の高品質なウイスキーづくりをサポートしている。

「米国のバーボンに、高濃度のカルバミン酸エチルが含まれている。そうカナダの研究チームが指摘したんです。スコッチウイスキーに直接的な大問題をもたらす訳でもありませんが、熟成にバーボン樽を使用する関係から懸念が広がりました。樽1本あたり最大で18Lもの残留液が残されている可能性があるので、スコッチウイスキーがカルバミン酸エチルに汚染されているおそれもあったのです」

エステル香に欠けるアロマの原因が、アメリカ産の樽にあると決定づけることはできなかった。その代わり、1990年代初頭までに始まった研究で、納期の短さを重視した新しい糖化システムによって大麦モルトを以前よりも細かく粉砕できるようになったのが問題ではないかと目を付けた。

大麦モルトを細かく粉砕することによって、納期や収率での向上が見られていた。しかし納期優先で細かく粉砕したモルトは、麦汁を濁らせてしまう。この濁った麦汁が、エステルの生成を妨げていることが明らかになってきたのだ。麦汁の透明度が高いほど、エステルが多く存在するという事実にリフキン博士は気づいた。

「さらにわかったのは、もろみを蒸溜する初溜でうまく調整できていないと、ローワイン(初溜液)に含まれるカルバミン酸エチルの量が増えてしまう可能性があるということ。これは研究所が『第1級』と格付けていた有名な蒸溜所でも検出されました。透明ですっきりした麦汁は、濁った麦汁よりも蒸溜時の調整が難しくなることも判明しました。濁った麦汁を使用する蒸溜所は、同じ蒸溜所の1960~70年代と比較しても品質面でやや劣っていました。一方、旧式のマッシュタンで糖化にじっくり時間をかける蒸溜所(ブルックラディ、ディーンストン、グレンフィディックなど)は透明の麦汁を使用していましたが、その分、蒸溜時には細心の注意を払う必要があったのです」
(つづく)