世界が認めたインド産ウイスキー

May 18, 2012

インド産シングルモルトの最高峰といえばアムルット。高原の風が渡るバンガロール近郊に、その本拠地がある。(文:ダヴァン・ドケルゴモー)

アムルットとは、サンスクリット語で「人生の霊酒」を意味する言葉。1948年にラダクリシュナ・ジャグダルが創業した当時、アムルット社は簡単なブレンディングとボトリングの機械を備えた小さな工場に過ぎなかった。

他の蒸溜所から購入したアルコールをブレンドして販売するビジネスで成功したラダクリシュナは、70年代に地元産のブドウ品種「バンガロールブルー」でオリジナルのブランデーをつくろうと連続式蒸溜機を導入。やがて80年代初頭にはモルトウイスキーも生産するようになった。

最初のモルトウイスキーは18ヶ月で出荷可能になったが、当時のインドにはシングルモルトの市場がない。そこでサトウキビを蒸溜したアルコールとモルトウイスキーをブレンドした「マッキントッシュ・プレミアムウイスキー」を生産するとこれが大ヒット。1987年には現在のアムルット蒸溜所を新設することになった。1989年には、英国から蒸溜酒コンサルタントのジム・スワン博士とハリー・リフキン氏を招聘。製造工程を改善して品質に磨きをかけた。

世界が認めたシングルモルト

経営は創業者の息子であるネール・ジャグダルに引き継がれ、やがて時代は21世紀に。ネールの息子であるリック・ジャグダルが留学先の英国からバンガロールに帰る頃、大きな転換期がやってきた。

リックが学生時代に英国でおこなった市場調査から、父ネールはシングルモルトで勝負する機が熟したことを察知する。2004年、リックは再び英国に渡り、留学時代の同級生であるアショク・チョカリンガムと共にグラスゴーでシングルモルトウイスキー「アムルット」の発売を公式発表したのである。

最初の数年間、リックとアショクはあらゆるウイスキーのイベントに参加してアムルットの認知度アップに奔走した。ブラインドテイスティングの後でインド産ウイスキーであることを明かすと、多くの愛好家が驚きのあまり絶句したという。そして2008年、ブラックアダーがボトリングしたアムルットが、モルトマニアックスアワードにおける最高賞「ノンプルスウルトラ賞」を獲得。アムルットは、世界のウイスキー関係者にその品質を認められるようになった。

急速な熟成とユニークな風味

インド南部、カルナータカ州の州都バンガロールは標高920m。インドの中では湿気も少なく、年間降雨量もわずか860mmで、気候にも恵まれている。それでも冬17℃、夏32℃という温暖な気候は、ウイスキーづくりの環境としては特殊だ。

マスターディスティラーのスリンデル・クマールが説明する。「ウイスキーは必ず4年で熟成のピークに差し掛かり、そこからは絶えずテイスティングで品質を監視しなければなりません。なぜなら5年に達する頃までに、タンニン過多の傾向が始まるからです。いわゆる天使の分け前も多く、毎年11%もの水分がウイスキーから失われます」。

大麦麦芽はインド北部のラジャスタン地方やパンジャーブ地方から調達してきたが、英国産も輸入するようになった。水は24km離れた自社所有の井戸からトラックで輸送。1万ℓのステンレス製発酵槽が6槽あり、槽内を28℃以下に抑えるために水冷式のカバーをかけている。発酵は業務用ディスティラーズイーストで6日間。450人の従業員が年間400万ケースの蒸溜酒を生産する。4分の1がブレンデッドウイスキーで、シングルモルトはわずかに1万ケースだ。

約20カ国で販売されているシングルモルトの知名度は国内でも広がり、ウイスキー目当ての観光客がバンガロールを訪れるようになった。ビジターセンターの整備や、カルナータカ州北部に第2の蒸溜所を建設する計画も持ち上がっている。創業60年を超えてまだまだ成長するアムルットは、ウイスキーの未来そのものである。

 

カテゴリ: 蒸溜所