オランダを拠点に、ヨーロッパ本土のウイスキー蒸溜所を訪ね歩くハンス・オフリンガとベッキー・オフリンガ。ドイツ南部の黒い森で、驚きの出会いが待っていた。

文:クリストファー・コーツ

 

いつも旅行がちな私たちは、空港や飛行機の椅子に座っている時間が長い。だが今回の休暇は、車に乗って出かけることにした。今年の目的地は、ドイツ南部のシュヴァルツヴァルト(黒い森)だ。広大な森林地のほぼ中央部にあるシルタッハの村に、小さな美しいコテージがあるのを妻のベッキーが見つけたのだ。

黒い森へ行ってみたいという思いは、トミントール蒸溜所のロバート・フレミングに話したことがある。昨年の春、スペイサイド・フェスティバルの時期にトミントールを訪ねたときだ。ロバートには「それならぜひトミントールを持っていって、鬱蒼とした森のなかで味わっておくれよ」と頼まれていた。だから黒い森とウイスキーのイメージは、旅のかなり前から結びついていたことになる。

黒い森の中心部にあるアルピルスバッハー醸造所の蒸溜器。ビール醸造所でスピリッツを少量生産するのに適したハイブリッドタイプだ。

もともとの休日の計画は、美しい丘を越えて歩くこと。ゆったりとした自然のリズムを感じながら、3週間ほどSNSから離れようという主旨だった。だから旅のついでに蒸溜所を訪問したり、ウイスキーのテイスティングする予定もまったくなかった。

ともかく当初の計画はそんな感じだった。コテージに到着すると、主人のクリスが出迎えてくれた。妻と5歳の娘も一緒だ。はるばるオランダから丸1日かけてやってきた私たちが、これから夕食を物色するのは大変だろうと伝統料理「フラムクーヘン」(フランス語ならタルトフランベ)を焼いてくれていた。

クリスは私たちの予約を確認してから、いろいろネット検索で事前調査をしていたらしい。だから、すぐに話題の中心はウイスキーになった。話を聞くと、クリスは近所のアルピルスバッハー醸造所と親しく、販売代理店のような仕事もしているらしい。ウイスキーづくりの前半はほぼビール造りと共通しているので、クリスはウイスキーの製造工程についてズブの素人という訳でもない。アルピルスバッハー醸造所を訪問すべきだとクリスは勧めてくれた。驚くべきことに、この醸造所では少量生産ながらウイスキーもつくっているというのだ。それならばと、さっそく訪問の段取りをお願いした。

 

黒い森のビール醸造所で始まったスピリッツづくり

 

アルピルスバッハーは1880年に創設されたビール醸造所で、アルピルスバッハ村の旧ベネディクト修道会の所有地にある。4代目にあたるオーナーのカール・グラウナーと、ヘッドブリュワーのハンス・マーティン・ワルツがあたたかく迎え入れてくれた。ランチをご一緒しながら、家族経営の歴史について詳細な説明を受ける。

ドイツ産のオーク材でも熟成がおこなわれる。緑豊かなドイツ南部の風土を活かした味わいがスピリッツに授けられる。

蒸溜所とセラーを見学した後は、蒸溜の歴史を垣間見るようなテイスティングに招かれた。最初のスピリッツは、カールが「ビアーシュナップス」と名付けたもの。アルピルスバッハーのビールは数々の賞に輝いているが、その人気ビールと同じワートから初めて蒸溜されたスピリッツである。このスピリッツ自体は私の好みではないのだが、一度は試してみる価値があるだろう。

次に持ってきてくれたのは、フレーバーで味付けしたビールリキュールだ。シナモンやバニラのような風味があって、甘口だが決してくどい感じはない。そして誇らしげに紹介されたのが「クロスターウイスキー」。クロスターとは、ドイツ語で修道会を意味する。中身は5年熟成のシングルモルトだ。初期のバッチはバーボン樽で熟成され、その後はドイツ産のオーク樽でも熟成されるようになった。その味わいに心地よい驚きを感じ、品揃え豊富な醸造所内のショップに立ち寄って帰途につこうとしていた。

ここでハンス・マーティンが私たちを呼び止める。テイスティングルームで、自慢のピルスナービール「アルピルスバッハー」を飲みながら話をしようというお誘いだ。ちなみにこのビールは、とてもなめらかで美味しい。オーナーのカールだけでなく、ハンス・マーティンにも語るべき物語があるらしい。ウイスキーづくりにかける情熱と家族への思いを30分にわたって聞くことになった。

 

世界にたったひとつのウイスキー

 

ハンス・マーティンの長男であるサイモンが生まれたのは、1994年12月23日のこと。当時のハンス・マーティンは、アンカーブロイという名のビール醸造所を所有していた。息子が生まれた記念に、ウイスキーを少しつくってみようと思いつく。ニューメイクスピリッツはドイツ産オークの新樽に入れられ、毎年テイスティングして熟成の具合をチェックした。

とっておきの物語とともに、世界でただひとつのウイスキーをプレゼントしてくれたヘッドブリュワーのハンス・マーティン・ワルツ(左)と著者。モルト、ユーカリ、マンゴー、白コショウなどを感じさせる極めて滑らかな味わいのシングルモルトだ。

そして10年後、ハンス・マーティンは樽材からのフレーバーが十分に得られたと判断し、樽からステンレス製の容器にスピリッツを移してさらに8年待った。そして容器内のスピリッツすべてを瓶詰めし、ラベルをデザインして全ボトルに通し番号をふった。そして長男サイモンが18歳になる誕生日の前夜、父は家族が眠りに就くのを待って70本のウイスキーボトルをすべてキッチンのテーブルに陳列した。翌朝、ハンス・マーティンは息子を起こして1回のキッチンへ来るように言った。

「誕生日おめでとう。お前にプレゼントがある。サイモンズ・シングルモルトウイスキーだ!」

なんと素晴らしい物語だろう。語り終えたハンス・マーティンは微笑み、戸棚からボトルを1本持ってきた。

「こちらを差し上げます。ボトル番号は60です」

そんな大切なものは受け取れない。最初は私たちもそう言って断った。愛する長男のためにつくった世界にただひとつのウイスキー。しかも70本しかないボトルのひとつである。だがハンス・マーティンも頑として譲らず、飲んだら感想を教えて欲しいと訴える。わかりました、必ずそうしますと約束しているところに、カール・グラウナーも別れを告げにやってきた。その手に携えているのは、やはり150本限定「クロスターウイスキー」の未開封ボトル。本当に素晴らしいお土産をいただくことになった。

その1週間後、全行程13 kmのハイキングに出かけた。場所はヒンメルスシュタイク(天上へ続く坂道という意味)という丘陵地で、ローラーコースターのようなアップダウンが続く。背中のバックパックには、いただいた2種類のウイスキーを小分けにして入れてある。せっかくだから、ウイスキーを育んだ自然の中で味わいたいと思ったのだ。

道沿いで軽食や飲み物が変える「ヒンメルスバー」を過ぎ、小川のせせらぎを聞きながら涼む。腰掛けるのにちょうどよい場所を見つけて、ウイスキーを取り出した。じっくりと味わいながらテイスティングノートを書き留めるとしよう。

ここでベッキーが、ロバート・フレミングとの約束も思い出した。その手には、奇跡のように「トミントール16年」のミニボトルが握られている。ずっと憧れていた黒い森の中で、スコットランドが誇るウイスキーを味わえる幸せも加わった。ウイスキーをゆっくりと楽しみながら、静寂に耳を傾ける。心に染みわたるほど、どこまでも濃密な静寂だ。

休暇中であろうと、私たちはウイスキーから決して逃れられない運命にあるらしい。でも、これでいいのだ。