サーカムスタンス蒸溜所とイングランドの挑戦【前半/全2回】
文:ヤーコポ・マッツェオ
ここはイングランド西南部のブリストル。サーカムスタンス蒸溜所では、ちょうど糖化工程が始まったところだ。
ヘッドディスティラーのマーク・スコットが、25kgのオーガニック大麦「イングリッシュローレイト」の袋を持ち上げ、アシスタントのアンドリュー・オズボーンとマット・キーガンもそれに続く。3人は大麦をマッシュタンに入れる作業に追われている。大麦を均一に分散させるべく、銀色の金属製レーキを使って交代でマッシュをかき混ぜている。
大麦の糖分がマッシュの中にうまく移動したら、発酵可能な麦汁の完成だ。今度はそこにフランス産のセゾン酵母を投入する。発酵槽は、温度管理機能の付いていない独立したIBC容器だ。発酵時間は、なんと最長で2週間に及ぶこともあるという。
こうやって出来上がったビア(もろみ)は、サーカムスタンス自慢の美しいハイブリッド型ポットスチル(容量1800L)と4層の銅製コラムスチルで蒸溜される。スピリッツは目的ごとの木樽に入れて貯蔵されることになるだろう。
収率に優れたウイスキー酵母は一切使用しない。そもそもここには、守るべき伝統や決まり事がない。サーカムスタンスの創設者であるリアム・ハートとダニー・ウォーカーにとって、重要なのは実験に次ぐ実験だ。高品質でモダンなウイスキーを生み出すため、製造工程のあらゆる段階でフレーバーづくりの新しい試みがなされるべきなのである。
ダニー・ウォーカーが語る。
「ただ自分たちのやり方でウイスキーをつくりたいだけ。『ウイスキー製造マニュアル』みたいな本を読んで、正統派といわれている設備を導入し、伝統的な蒸溜所の真似をしてウイスキーをつくっても意味がありませんから」
独自の穀物原料、独自の酵母、自分たちが正しいと考える加熱法などを駆使しして、自分たちのやり方でウイスキーをつくりたいのだとウォーカーは言う。ここはスコットランドではなく、イングランドなのだ。
「スコッチウイスキー協会の規制に縛られることもありません。ウイスキー以外のスピリッツも同じ方針でつくります。私たちにとって、スピリッツの個性や独自性が最優先。つまり『リキッド・ファースト』の精神です。純粋な風味と品質へのこだわりを極めるため、どんな方法を採用すべきなのかと自問自答し、それをウイスキーづくりに取り入れるのです」
伝統不在の地からスタート
サーカムスタンス蒸溜所のプロジェクトは、2018年に始動した。その4年前、リアム・ハートとダニー・ウォーカーは極めて小規模なサイコポンプ蒸溜所でベンチャービジネスを立ち上げ、ジンの生産で成功を収めていた。
ウイスキーづくりも、当初から計画の一部に入っていたのだとウォーカーは言う。伝統的なウイスキーづくりとは無縁の地域で、新しい香味を開発したり革新的な技術を生み出したりする未来に魅力を感じていたのだ。
「世界5大ウイスキーとは異なるニューワールドのウイスキー業界で、面白いムーブメントが起こっているのは感知していました。自分たちもこの分野に参入したい。次世代の新しいウイスキーというカテゴリーで、何か前例のない成果を上げられるのではないかと思ったんです」
リアム・ハートとダニー・ウォーカーは、伝統的なウイスキーづくりに学ぶことをあえて拒否した。その代わりに訪ねたのは、蒸溜所のすぐ近くにあった地元のビール醸造所「ドーキンス」だった。ここで発酵技術を学び、将来のレシピについてアイデアをめぐらすのに役立てたのだとウォーカーは振り返る。
「糖化槽も発酵槽も、ドーキンスのキットを使って実験しました。私たちにとっては勉強になることばかりで、たくさんのことを短期間に吸収しました」
当時の醸造責任者であったデイヴ・ウィリアムズは素晴らしい人で、穀物や酵母を使った実験に夢中だった。発酵過程の工夫から思いがけないフレーバーを生み出すことに情熱を傾けており、その姿勢に感銘を受けたのだという。
「もちろん実験には成功と失敗があります。でもこうじゃなきゃいけないという固定観念はありませんでした。私たちがあれこれ実験を提案すると、デイヴは決して『できない』と言わず、『じゃあ、やってみようか』と言ってくれたんです」
最初から実験的なリリースで話題に
サーカムスタンスの代表的なウイスキーは、大麦モルト(85%)と未麦芽大麦(15%)をブレンドしたマッシュに、フランスのセゾン酵母を加えて発酵させたウォッシュを造る。またドイツの古典的なヘーフェヴァイツェンに倣った小麦ベース(大麦モルトが20~30%)のレシピもあり、こちらには小麦酵母が使用される。さらにはライ麦主体の麦汁(ライ麦とモルト大麦が51:49)をミード酵母で発酵させる別のレシピもある。
昨年9月、サーカムスタンス蒸溜所は大麦を原料にした初めてのウイスキーを発売した。このウイスキーは、ファーストフィルのバーボン樽で34カ月間熟成された後、アルコール度数44.5%でボトリングされている。フレッシュで香り高く、エレガントな印象があり、フルーツ香に富んだ味わいだ。同時に意外なほどの塩気とスパイシーな感触もあり、最後はクリーミーでチョコレートのような後味を残す。ウォーカーは、このような特徴をもたらしている原料について説明する。
「ソフトでクリーミーなチョコレートのような香りをもたらしているのは、未発芽の大麦です。当初は大麦モルトのみを使ったレシピでしたが、徐々に未発芽の大麦を加えるようになりました。未発芽の大麦がニューメイクや熟成後のウイスキーにもたらす影響が気に入ったからです」
そのせいでラベルに「シングルモルト」と表示できなくなったが、ウォーカーはそれでもいいのだと語る。
「シングルモルトを謳えば2ポンドほど高く値段も設定できるのでしょうが、そこは私たちにとってぜんぜん重要じゃありませんから」
この初回リリースを合図に、サーカムスタンスの活動は本格化した。今年5月に発売されたウイスキーは、小麦原料のニューメイクをベースとした商品である。また9月に発売される第3弾の商品はライ麦がベースだ。
小麦原料のウィートウイスキーは、数ヶ月前にカスクから取り出されてボトリングを待っている。ヘーフェヴァイツェンビールが好きな人にはおなじみのバナナやクローブの香りがあり、ビスケットのようなクリーム感も加わっている。さらにはベルガモットやレモンなどの柑橘風味も感じさせ、爽やかでフルーティーな味わいが期待できる。
(つづく)