アイリッシュウイスキーの革命 【その1/全3回】
目下、様々な動きが見られるアイルランドの蒸溜業界。その最近の展開をまとめたレポートを3回に渡ってお届けする。第1回はアイリッシュウイスキーの現状と注目のティーリング・ウイスキー・カンパニーについて。
「アイリッシュウイスキーが復活の兆し」と言うだけでは控えめに過ぎる。2,000以上の蒸溜所があちこちに点在していたと言われる19世紀のレベルにまでその数が戻ることはおそらくないだろうが、今のところ誰もがアイルランドの動きに一枚加わりたいと思っているように見えることは確かだ。
ジェムソン、ブッシュミルズ、タラモア、クーリーの主要4銘柄が既に大企業の手中にあるため、アイルランドで起きている復興は実のところアメリカでブームになった草の根的な活動を彷彿とさせるクラフトマン精神に根差している。これは必ずしも粗悪な品質や低い野心とイコールではなく、現在続々と操業開始している蒸溜所の大部分が市場を活気で満たし、それぞれが能力以上の働きを志している。
この成長を利用しようと狙う企業の動きは確かに多く、原点に戻ろうとするものもある。その大きなニュースのひとつが、近い将来ダブリンで蒸溜を再開しそうなティーリング・ウイスキー・カンパニーだ。以前はこの首都でつくられるウイスキーは、ミドルトン蒸溜所のウイスキーより有名で崇められていたものだった。それが復活するかもしれないと考えると胸が躍る。
さらにオルテック社(詳細は次回)がアイルランドの蒸溜業と再び手を結び、またタラモアの街にはこのブランドのための新たな蒸溜所が開かれようとしていて、「原点回帰」は急速にアイリッシュウイスキーのスローガンになりつつある。
現在の激戦地でありアイリッシュウイスキーが最も伸びている場所はアメリカだ。
米国蒸溜酒協議会(Distilled Spirits Council of the United States)が発表した数字によると、アイリッシュウイスキーは昨年24%増加して、1ケース=9リットルで170万ケースだった。
対してスコッチ・シングルモルトウイスキーの販売量はおよそ9.5%の増加で140万ケースだった。アイリッシュウイスキーはアメリカで明らかにスコッチウイスキーから主導権を取り戻しつつある。2010年にアイルランド産酒類の輸出額がおよそ10億ユーロにのぼったことを考えると、確かにアイルランド経済にとってすべて良いニュースだ。
見守る価値のある主要プロジェクト3件が始まっている―それぞれが来歴のあるプロジェクトで、成功の見込みが高いことは明らかだ。
1. ダブリンへの帰還 ― ティーリング・ウイスキー・カンパニー
以前クーリー蒸溜所の従業員だったジャック・ティーリングとアレックス・チャスコが設立したティーリング・ウイスキー・カンパニーには、野心的な計画と幾つかの上等なウイスキーという武器がある。
同社は昨年、アイルランド クーリー蒸溜所のシングルモルトウイスキーとスコットランドブルックラディ蒸溜所のシングルモルトウイスキーをオーク樽で8年間ブレンドした「ハイバード」という最初のアイリッシュウイスキーを発表した。
しかし同社には、アイリッシュウイスキーの新しい体験と感動を消費者に提供することを目指した、プレミアム熟成製品ラインナップをリリースする計画がある。
ジャックがその話を説明する。「十分なストックがあります―非常に古いものも、熟成中のものも。私はブランド訴求の一環として、アイリッシュウイスキーの領域を広げたいと思いました」
「当社が目指しているのは、『アイリッシュウイスキーという領域をまだ探検したことのない人々に、徐々にでも足を踏み入れてもらうこと』、さらには『ブレンドとシングルモルトの両方で新たな喜びを見つけてもらうこと』だと私は考えています」
「ラムの樽で熟成したプレミアムブレンドを含む、数種のウイスキーをリリースするつもりです。手元にある他のウイスキーでは、21年、25年、30年と広い範囲の熟成年数を目指す予定です」
さらに興奮することに、ジャックは近い将来、ダブリンに蒸溜所を建設してこの街に蒸溜業を復活させる意図を示唆している。
彼は言う。「1782年頃、ジョン・ティーリングという祖先がダブリンで蒸溜を行っていました。ダブリンのウイスキーはかつて本当に有名だったのです。そのような都市部の蒸溜業が復活した場合、そこでは中規模の蒸溜所が理想的なのでしょうが、私はどのような製品でもすぐに生産できるように複数のブランドを確実に所有したいと思っています。人々は次のウイスキー、次のフレーバーを求めていますから、これを維持してゆく必要があります」
【その2へ続く】