変わりゆくアイラの現在地【第2回/全3回】
文:ライザ・ワイスタック
アイラを訪ねたことがある人ならわかるだろう。この島には、どんなに冷静で合理的なタイプの人をも魅了する力がある。それは魔法や神話のように圧倒的な魅力だ。
波しぶきが飛び散るアイラの美しい風景には、この島を特徴づける濃密な歴史と伝統が漂っている。どこかの蒸溜所に足を踏み入れた瞬間、私たちは長い時間を飛び越えている。ただ人の営みに感動しながら、100年以上前からそこにある設備を見上げていることも珍しくない。
人間が宗教に価値を見出すのは、儀礼や伝統が先祖や地域のコミュニティとのつながりを意識させてくれるからだと言われている。つまり過去との結びつきを強化してくれるのが、宗教の役割のひとつだ。アイラ島内の蒸溜所を訪ね歩くとき、これと同じような感覚が心に浮かんでくるのだ。
ピート香の効いたシングルモルトウイスキーは、アイラのシンボルと見なされている。このイメージがしっかりと受け継がれていることで、業界のリーダーたち、起業家、投資家といった人たちがアイラの新しい蒸溜所に投資しやすい環境も保全されている
シン兄弟の新プロジェクト
1999年にウイスキー・エクスチェンジを設立したスキンダー・シンとラージビール・シンの兄弟は、このようなウイスキーファンの嗜好をよく理解している。もともとウイスキー・エクスチェンジは、シン兄弟の両親がロンドン西部のハンウェルで営んでいたショップから暖簾分けしてもらった事業体だ。今ではウイスキー業界で世界最大規模のオンラインショップに成長している。
シン兄弟は2021年に事業をペルノ・リカール社に売却した。ペルノ・リカールはシーバス・ブラザーズの親会社で、スコッチウイスキーの蒸溜所オーナーとしては国内第2位の企業でもある。この売却によって、兄弟は独立系ボトラーズ事業のエリクサー・ディスティラーズに専心できるようになった。
エリクサー・ディスティラーズでは、アイラ島のシングルモルトに特化した一連の限定エデシション「ポートアスケイグ」や、シングルモルトとブレンデッドを含む「エレメンツ・オブ・アイラ」を立ち上げ、スコットランドのシングルモルトを中心にボトリング商品を展開している。
このシン兄弟が乗り出した最新の事業といえば、アイラ島で蒸溜所を建設すること。場所はポートエレンとラフロイグを結ぶ道沿いにある。この蒸溜所はまだ正式な命名が済んでいないが、現在までは近くにある家にちなんでファーキン蒸留所と呼ばれてきた。
シン兄弟は、ラガヴーリンの蒸溜所長を長く務めてきたジョージー・クローフォードにプロジェクトの管轄を委ねている。施設が完成すれば、年間生産量100万Lのモルトウイスキー蒸溜所となる予定だ。蒸溜所には3階層にまたがるフロアモルティング設備も整えられ、週あたり50トンの大麦が製麦できるようになる。またビジターセンターには、ショップ、バー、レストラン、テイスティングエリアなども併設される予定だ。
実験用のパイロットプラントもあるが、クローフォードは「その他のスピリッツ」をつくる施設だとして詳細を明かしていない。それでも2022年2月には、コロナ禍で遅れていた建築計画についてクローフォードが最新の状況を公表した。
昨年10月に始まった基礎工事は3月までに終え、建物の工事が始まっている。工事は今年いっぱい続く予定のようだ。来年の初頭に生産設備が届き、窓や屋根も取り付けられる。すべてが計画通りに進めば、2023年の秋からスピリッツが生産できる見込みだという。
アイラ島では住宅不足の問題があり、蒸溜所運営などの事業に必要な人員の確保も難しくなっている。この状況に対応するため、 エリクサーは蒸溜所の近所に従業員用の住居も建設する予定だ。クローフォード自身が次のように説明している。
「従業員の住宅をしっかりと用意することで、人材の獲得と保持が容易になります。それだけではなく、将来にはアイラ島出身の有望な若い世代が学業で本土に渡った後も、島に帰ってくることを促せるような環境を育てたいという考えもあります。現在の住宅不足のせいで、このようなUターンが少ないという現在の状況を変えたいと思っています」
注目のニューカマーたち
今年の2月、アイラに建設される別の蒸溜所が、まったく斬新な建築計画を発表した。アラン・ヒグズ・アーキテクツが設計したアイリ(ili)蒸溜所である。
アイラ島の蒸溜所は、ほとんどが四角い平屋建てのシンプルな「小屋スタイル」でできているが、この新しい蒸溜所は円形の建築だ。その形状は、ボウモアにある有名な教会や、ヘブリディーズ諸島に特有な古い要塞を模した建築デザインである。地域還元型の資金調達モデルが提案され、開業後も地域コミュニティへの貢献が約束されている。
これらの新しい蒸溜所と並んで、アイラの新しい門番と目されているのがアードナホー蒸溜所(メイン写真)だ。アードナホーの親会社は、家族経営の独立系ボトラーとして知られるハンターレイン。経営するのはスチュワート・レインで、2人の息子であるアンドリュー・レインとスコット・レインが補佐する。
独立系ボトラーが自前のウイスキーづくりに乗り出す事例は、これまでもたくさんあった。食料雑貨店を運営していたアレクサンダー・ウォーカー(ジョニーウォーカーの2代目)も、ウイスキーを購入して自前のラベルで販売する事業を引き継ぎ、やがてそのウイスキーも自分でつくるようになった。
アードナホー蒸溜所は2019年に開業し、すでに成長への投資をおこなっている。アーガイルとビュートの評議会には、アードナホーが新しい貯蔵庫を建設する計画が提出され、2021年11月に許可が下りている。アードナホーのオペレーションズマネージャーを務めるポール・グレアムが語る。
「シングルモルトウイスキーの発売を目指して創業し、もう3年以上の月日が経ちました。でも2023年末にウイスキーの熟成年数が5年を超えるまでは、商品を発売する予定がまったくありません。ボトリングの準備ができたと判断するまで、じっと時を待つつもりです」
(つづく)