ジャパニーズウイスキーの定義の制定を主導し、さらなるルネッサンスへの道を開いた田中城太氏。未曾有の設備投資を完了させた蒸溜所から、今後どのようなウイスキーを届けてくれるのだろうか。

文:WMJ
写真:チュ・チュンヨン

 

キリンのウイスキー事業は、スコッチスタイルの「ロバートブラウン」から始まった。「エバモア」「ニューズ」「ボストンクラブ」という英語名のブランドも、さまざまな原酒を使って日本人の嗜好にあったウイスキーをつくるのが目的のひとつだった。だがジャパニーズウイスキーに世界が注目し始めると、新しいアプローチが必要になってくる。

「もともとは日本人の嗜好にあったものを目指していましたが、蓋を開けてみれば、それを世界のみなさんに美味しいと感じていただけた。これからの時代は、日本人の嗜好だけに合わせた商品や、『日本人ならでは』みたいな価値観は通用しなくなると感じていました」

ワールド・ウイスキー・アワードの発表にあわせてロンドンで開催された授賞式では、引退を強く否定して会場を沸かせた。ウイスキー業界のアンバサダーとして、さらなる活躍が期待されている。
(写真提供:Whisky Magazine)

情報発信も大きな課題のひとつだった。英国から来日したウイスキーマガジン誌の代表と会談して、「富士御殿場蒸溜所のウイスキーが海外で正しく認識されていない」と不満を述べたことがある。だが「でも君たちはまだ何も発信していないじゃないか」と言い返されて目が覚めた。ウイスキーに込めた主張は、自分で発信しなければ市場に伝わらないのだ。

初めて日本語のブランド名を冠した「富士山麓樽熟50°」はピートが香るバランスのよい風味で新しい定番に。後年にはバーボンを思わせる濃厚なフレーバーの「富士山麓樽熟原酒50°」にシフトして支持を広げた。熟成のピークに達した原酒のみで構成した「富士山麓 シグニチャーブレンド」は、自らコンセプトを考えてマーケティング担当に売り込んだ。

世界市場への発信力を考慮し、昨年には富士御殿場蒸溜所の英語名を「Mt. Fuji Distillery」に改称。発売されたプレミアムウイスキー「キリンシングルグレーンウイスキー富士」にはこれから「富士」ブランド名のもとに総力を結集していこうという田中氏の意気込みが感じられる。

新しいウイスキーのラベルには、「Peritus et Universum」というラテン語が印刷されている。キリン・シーグラム時代は「優れた技術を世界に誇る」という意味で説明していたが、今は「優れたものは世界共通」という意味を込めているのだという。

「つくりたいのは、飲んだ人の魂を揺さぶるような、エレガントでビューティフルなウイスキー。香味の要素を研ぎ澄まし、あくまで味わい深く調和がとれたフレーバー。自分たちが理想とする美味しさは、必ず世界共通の価値になるはずですから」

フローラルでフルーティなニュアンスを引き立たせ、クリーン&エステリーというキリン・シーグラム創業時からの品質ポリシーを貫く。この特長をただ守るだけでなく、さらに高めるチャレンジも必要だと田中氏は言う。

2019年2月、キリンビールは富士御殿場蒸溜所への大規模な設備投資を発表。様々なモルトウイスキーの原酒を製造するための木桶発酵槽、小型ポットスチル蒸留釜をそれぞれ4基導入した。熟成庫の更新も進め、保管能力も2割ほど増強している。投資額は約80億円。このような設備投資は、1973年の蒸溜所完成以来、初めてのことだった。

「経営陣が覚悟を決めてくれました。『やめるのやめた!』という感じです(笑)。こんな規模の投資は初めてだし、失敗すればこれが最後の投資になるかも知れません。そんな危機感を持ちながら、次の投資を呼び込むために、崖っぷちに立っている思いで勝負しています」
 

ジャパニーズウイスキーのルネッサンスを主導

 
近年のジャパニーズウイスキーには、表示基準の曖昧さがつきまとっていた。これは伝統的に輸入原酒を活用してブレンデッドウイスキーをつくってきた国内メーカーにも遠因がある。だがジャパニーズウイスキーへの評価・関心が急激に高まり、世界的なニーズが急増したために、海外市場では木樽で熟成した焼酎や、海外原酒をそのまま瓶詰したものがジャパニーズウイスキーとして販売される事例も出てきた。ここまで来ると、ジャパニーズウイスキー自体が取り返しのつかない打撃を受けてしまう。すぐに何らかの法規制が必要だという声が高まっていた。

ジャパニーズウイスキーのルネッサンスは、まだ始まったばかりだと語る田中城太氏。業界全体を発展させる責任も感じながら、新規設備が整った蒸溜所でさまざまなチャレンジを進めている。

そして昨年、日本洋酒酒造組合がジャパニーズウイスキーの表示を初めて明確化。世界のウイスキーファンが高く評価する出来事だった。この基準を設定する上で、中心的な役割の一翼を担ったのが田中城太氏だ。基準制定には5年を要したが、みんなが納得できるルールができたと自負している。がんじがらめの規制にするのではなく、あえて意図的に自由な余地も残した。そこにおいしいウイスキーをつくるためのイノベーションが起こることを期待しているからだ。

「今は、ジャパニーズウイスキーのルネッサンスが始まったばかり。みんなで切磋琢磨しながら、どこまで日本のウイスキー業界を発展させることができるのか楽しみです。でもそこで必要になるのは、インテグリティや信頼性。信頼される日本産のウイスキーには、色んなものがあっていい。しかし倫理的な一線を越えてはならない。市場がしぼんで世界中のファンたちにがっかりされるか、やはり日本のウイスキーは素晴らしいと評価されるか、今が正念場だと思っています」

業界のリーダーとして行動する田中城太氏は、ケンタッキーで体験したフェローシップ(仲間意識)のことを思い出している。競合他社はライバルではなく、共に市場拡大を目指すパートナー。ワイルドターキーの伝説的マスターディスティラー、ジミー・ラッセルから「君と僕は仲間だ」と言われて感激した日は忘れられない。

ウイスキーマガジンの「ホール・オブ・フェイム」は、引退した業界人に与えられることも多い功労賞だ。ロンドンの授賞式で、田中氏は「殿堂入りしたから、ジョータはリタイアするんだろうと思っていませんか? まだ引退なんてしませんよ!」とスピーチして会場を沸かせた。

「ジャパニーズウイスキーのルネッサンスが始まったタイミングで、思いがけず殿堂入りの栄誉をいただいたことに感謝しています。現役なのに表彰されたのは、ジャパニーズウイスキーや業界全体への貢献という期待が込められているからでしょう。そう考えると、身の引き締まる思いがしますね」

業界全体の評価を未来に向けて育てていくのが、今後の大きなミッションになると田中氏は語る。

「たくさんの人に『ウイスキーって美味しいね』と言ってもらうため、これからも業界のアンバサダーとして活動していきます。日々いろいろ大変なこともありますが、こんなに楽しい仕事はありませんよ」

かつて大志を抱いた少年は、ウイスキー界の第一人者となった今でも見果てぬ夢を追っている。未来は予測不能だからこそ面白い。