ベトナム初のシングルモルトウイスキーが生産開始【前半/全2回】
文:ミリー・ミリケン
ハノイ郊外のヴェ・デ・ディ(Về Để Đi)蒸溜所に着くと、庭ではザボンが栽培されていた。ザボンはグレープフルーツに似た果物で、ベトナムのサラダやカクテルの付け合せなどにも使われる。豊かさ、繁栄、完璧の象徴といわれるサボンは、この蒸溜所が目指す理想を表しているのかもしれない。ベトナム初のシングルモルトウイスキー蒸溜所は、始動の時を迎えて静かな期待を集めている。
「この国で独立事業者としてウイスキービジネスに参入するなら、ちょっとクレイジーな人が向いています。できれば少し無知なくらいがちょうどいいし、楽観的な考え方をする人でなければ難しいでしょう」
そう語るのは、共同設立者のマイケル・ローゼン。ちょっと謎めいた魅力を感じさせるアメリカ人だ。ローゼンと一緒に事業を立ち上げたのは共同設立者のクアン・グエン。そして蒸溜責任者のジャビン・チア、ブランドアンバサダーのマイキー・ブレンカーという個性的なメンバーが揃っている。愉快な仲間たちが、それぞれのスキルを補完し合いながら運営するベンチャービジネスなのである。
近年のベトナムでは、ウイスキーファンが急増中である。年平均成長率のデータを見ると、2022年にはウイスキーの売上高が4484万米ドル(約68億円)にまで達し、ウイスキー市場は平均で毎年5.52%ずつ成長していくものと予想されている。
だがベトナムでウイスキーを楽しむことと、ベトナムでウイスキーをつくることはまったく別次元の話だ。これまでのベトナムのウイスキーづくりについて、グエンが経緯を説明してくれた。
「長年にわたって、ウイスキーをつくろうとしている事業者はいくつかありました。でもスコットランドから原酒を買ってベトナムでボトリングしたり、ベトナムで追加の熟成をしたりという小規模な事業ばかりです。製造の全行程を自分たちだけで手掛ける大規模なウイスキーづくりは、私たちが初めてでしょう」
ベトナムには豊かな蒸溜酒づくりの歴史がある。特に有名なのは、米を原料とした蒸溜酒のルオウ・デ(Rượu đế)だ。地元産のジンやラムなどのブランドなら、飲食店や個人宅でよく目にするようになってきた。だがウイスキーといえば、ベトナムではスコッチかバーボンが消費の中心である。
ベトナムの周辺国を見渡すと、アジアにはウイスキーづくりの先達がいる。台湾にあるカバラン蒸溜所は、ヴェ・デ・ディがウイスキーづくりを参考にできそうな存在であろう。
だがローゼン氏と共同経営者たちは、さらに先の未来を見据えているようだ。まずは品質の高い国産モルトウイスキーでベトナム国民の関心と誇りを勝ち取ること。そして遠い異国のシングルモルトウイスキーに魅せられている既存のウイスキーファンにも、ベトナム産モルトウイスキーを見直してもらうこと。その後には、米原料などのもっと伝統的なベトナム産ウイスキーでも市場を席巻していきたいと考えているのだ。
夢の事業を4人でスタート
個性的な4人のチームは、教授(ローゼン)、詩人(グエン)、エンジニア(ブレンカー)、蒸溜者(チア)といった役割分担だ。彼らはどのようにして出会い、ウィスキーづくりのために力を結集し始めたのだろうか。そのいきさつを聞いても、単一の明確なストーリーとしてまとめられそうになかった。だがハノイの国道4号線沿いにある蒸溜所で彼らと1日を過ごしながら、私は幸運にもベトナム初のシングルモルトをつくって発売しようとしている彼らの計画について、各々の真摯な言葉を聞くことができた。
共同創業者のローゼンとグエンは、両人ともブランドづくりの経験がある。ローゼンは食品関連の貿易会社の出身でで、グエンはチョコレートメーカーで働いた後に街場のレストランやバーを経営してきた。またブレンカーは15年以上エンジニアとして働いていたが、飲食業界の人間に惹かれてウイスキークラブを立ち上げた。ホーチミンシティーでバーテンダーをしていた時期もある。
そして、シンガポール人のチアも極めて興味深い人物だ。蒸溜所でスチルのスイッチが入ると、その背後には必ずこの男がいる。チアは蒸溜酒の世界に入った経緯を説明してくれた。
「シェフになりたくて調理管理士の資格を取得したのですが、やがてシェフの仕事はつまらないと思うようになりました。そこでドリンクの世界に転向したんです」
醸造学を学んでいる時から、自宅で酒を醸造する方法も人々に教え始めた。アジア最年少の認定ビール審査員となった後、ヘリオットワット大学でさらに酒造の研究を深めることにした。エディンバラにあるスコッチウイスキー・エクスペリエンスの「ザ・ヴォルツ」で働き、シンガポールのブラスライオン蒸溜所および併設の醸造所で勤務した後、ハノイに移ってヴェ・デ・ディで仕事を始めた。
(つづく)