初めて開催されたジャパニーズウイスキーの祭典「Whisky Luxe Tokyo 2023」に、日本のウイスキーづくりの変遷を誰よりも知る嶋谷幸雄氏が登場。記念すべき基調講演で、次の百年に向けて力強いメッセージを放った。

文:WMJ
写真:高北謙一郎

 

日本のウイスキーづくり百周年を記念し、4月12日に開催されたジャパニーズウイスキーの祭典「Whisky Luxe Tokyo 2023」。会場となった東京国際フォーラムには全国からウイスキーメーカー17社20蒸溜所が集まり、それぞれがウイスキーづくりにかける思いを世界中に発信する日本初のイベントとなった。

開会に先駆けて、まずは英国ウイスキーマガジン代表のデミアン・ライリースミス氏がビデオでメッセージ。ウイスキーマガジン発刊以来の25年を回想し、これまでのジャパニーズウイスキーの隆盛を驚きとともに振り返った。

「思えば今から23年前、世界ではじめてのWhisky Liveを開催した場所も東京でした。あれ以来、日本のウイスキー業界の画期的な取り組みに驚嘆してきました。2000年に発行したウイスキーマガジン13号のテイスティングコーナーで『シングルモルト余市』が最高賞に選ばれ、翌年にはワールド・ウイスキー・アワードの前身であるベスト・オブ・ベストで『余市』と『響』がワールドベストを受賞。以降もジャパニーズウイスキーはワールドベストを一度も逃さず、今年は3つのウイスキーが世界最高賞に輝いています」

セミナーの時間は各10分。日本各地からさまざまなメーカーが集い、ユニークな個性を打ち出してジャパニーズウイスキーの多様性を証明した。

さらにライリースミス氏は、ウイスキーマガジンのホール・オブ・フェイム(ウイスキーの殿堂)入りを果たした輿水精一氏(2015年)、稲富孝一氏(2016年)、宮本博義氏(2019年)、田中城太氏(2022年)の業績にも触れ、近年のクラフト蒸溜所の増加にもエールを送った。

「15年前は10軒にも満たなかった日本のウイスキー蒸溜所が、今や100軒に届きそうな勢いです。ジャパニーズウイスキーは世界の市場に求められ、輸出量も増えてきました。ウイスキーマガジンとして、その躍進と世界へのチャレンジを後押しできたことを誇りに思っています」

続いて壇上では、輿水精一氏(サントリー元チーフブレンダー)が開会の挨拶。ジャパニーズウイスキーのつくり手を代表して、2021年2月に日本洋酒酒造組合が定めたジャパニーズウイスキーの自主基準について説明した。

「ジャパニーズウイスキーのアイデンティティーとは何かという共通の課題をクリアにするため、2016年より日本洋酒酒造組合の中で本格的な論議を開始しました。これはジャパニーズウイスキーの人気が高まるなか、つくり手みずからがジャパニーズウイスキーのブランド価値を守ると言う活動でもありました」

その輿水氏が、今日の基調講演者を紹介する。自身の大先輩にもあたる嶋谷幸雄氏だ。1956年に寿屋(現サントリー)入社以来、67年間にわたって日本のウイスキーの盛衰を見守り続けてきた技術者のトップ。いわば「日本のウイスキー界の生き字引」である。

「嶋谷幸雄さんは、私がサントリーに入社した時にもう白州蒸溜所の工場長でした。山崎研究所所長、山崎蒸溜所工場長なども歴任したウイスキーづくりの第一人者。91歳を超える今もつくり手を育て、日本のウイスキー界にエールを送り続けてくださいます。記念すべきWhisky Luxe Tokyoの基調講演に最もふさわしい方であり、登壇を打診したところご快諾をいただきました」
 

ジャパニーズウイスキーの百年を俯瞰した嶋谷幸雄氏の基調講演

 
静かな会場に、誰よりも日本のウイスキーづくりを知るレジェンドの声が響く。

「磨かれた新しい蒸溜釜に入ったもろみが加熱され、沸騰し始めると銅の色が一瞬変わります。しばらくして、ニューポットが流れ始める瞬間の緊張は、蒸溜所を立ち上げた人だけが味わうもの。ここまできた喜びと、どんなウイスキーになるのかという不安が入り混じった特別な感慨でございます。ジャパニーズウイスキー創始者の鳥井信治郎と計画実行者の竹鶴政孝は、どういう思いだったのでしょうか。あれから百年が経とうとしています」

会場内を取り囲むように各メーカーのブースが並ぶ。さまざまな商品や原酒を試飲し、変化の速いジャパニーズウイスキーの「今」を体験できるイベントだ。

嶋谷幸雄氏は、日本のウイスキー史を叙事詩のように語り始める。スコットランドの技法で忠実につくられたウイスキー「白札」は、1929年に満を持して発売されたがまったくの不発。理由はスモーキーな香味の強さだったとも言われるが、嶋谷氏は市場の不在も指摘する。世の中がまだジャパニーズウイスキーを必要とせず、スモーク香以外の品質上の問題があったからだと推察した。

ウイスキーづくりの苦闘はここから始まった。日本がやや豊かになってきた1937年に「角瓶」が登場。しかし高い関税、生産規制、原酒の生産禁止、そして戦争によって会社は満身創痍になった。「それでもサントリーの原酒は戦争を生き残り、ニッカさんの原酒も生き残りました」と嶋谷氏は振り返る。

高嶺の花だと思われていたウイスキーだが、戦後になって「うまい、やすい」を標榜するトリスが登場。サントリーバー、トリスバー、ニッカカバーなどの開店が相次いで、地殻変動的にウイスキー市場が成立した。ウイスキーはついに市民の酒になったのだ。

「当時の戦略の優れたところは、単にウイスキーが安く飲めるということだけでなく、戦後の開放感の中にもウイスキーや洋酒とともにある楽しい生活スタイルを提示したところにありましょう」

やがてハイボールが徐々に水割りに移行したのは日本独自の流れだ。この水割りの人気によって、ウイスキーの高品質化も進んだのだと嶋谷氏は言う。

「佐治敬三は、『水はプリズムの役割を果たす』とよく申しました。水割りによって、酒の質や特徴がよくわかるということ。国民の所得増大もあり、より高価なウイスキーの需要増大が急速に進みます。原酒の利用の拡大によって、オーシャンさん、本坊さん、ニッカさん、キリンシーグラムさん、そしてサントリーでも増設や新設が相次ぎました」

今年は事前に17種類のサンプルが配布され、参加者は各自でテイスティングしながら蒸溜所のセミナーに耳を傾ける。原酒のバラエティと品質の高さに誰もが驚いた。

その後、サントリーは1966年に佐治敬三の強い要望で山崎蒸溜所内にウイスキーの高品質化を担う研究所を設立。スコッチウイスキーに追いつこうと、嶋谷氏は渡英して後輩も後に続いた。1973年に建設された白州蒸溜所は、バードサンクチュアリなどのサステナブルな理念で時代を先取り。また和風市場へのアプローチによって、ウイスキーは日本の食中酒としても一般化した。輸入自由化を乗り越えて、日本は世界第2位のウイスキー消費国になった。

しかし1983年をピークとして日本のウイスキー市場は需要が急減。以後29年にわたる生産減に追い込まれた。この原因には、増税、焼酎人気、世界的な嗜好のライト化、ホワイト革命などの外的要因がある。苦闘の年月になったが、ここで原酒の多様化に取り組んだことが後の成果につながったと嶋谷氏は分析する。

「研究の成果を活かしたブレンダーたちが、後に世界で高評価されるシングルモルトやブレンデッドの名品を市場に出してくれました。市場の減少は続きましたが、諦めずに高品質や多様化への努力を続けた結果です。ウイスキーをつくる他社も同様に苦闘の年月だったはず。そして今、日本にはたくさんのクラフト蒸溜所ができて全国が活気に溢れています。最苦境期に蒸溜所を立ち上げられ、真摯なウイスキーづくりを続けられた肥土伊知郎さん、またウイスキーの啓蒙活動を積極的に続けられた土屋守さんにも深い敬意を表します」

ジャパニーズウイスキーの将来について、嶋谷氏は現状に甘んじず挑戦を続ける必要性を強く訴える。

「需要が回復したといっても、まだ最盛期の半分。輸出金額も酒類トップですが、まだスコッチの20分の1程度。一時の人気に一喜一憂するのではなく、政府の支援もなく高い税と不況に苦しんだスコッチの歴史や、ジャパニーズウイスキーの百年の歴史に学ぶべきでありましょう」

日本列島は南北に長く、気候風土にも多様性がある。そのなかで嶋谷氏はジャパニーズウイスキーの特性として「水の良さ」「明確な四季の変化」「熟成期間の長さ」「ものづくりへのこだわり」「水割りやお湯割りにも向いた食中酒」を挙げた。

基調講演者:嶋谷幸雄(しまたに・ゆきお)
1932年大阪府生まれ。大阪大学大学院工学研究科修了(醗酵工学)。1956年寿屋(現サントリー)入社。白州蒸溜所初代工場長、山崎蒸溜所工場長、サントリー取締役などを歴任。

「最初の百年はまだプロローグ。ここを再出発の起点として、ウイスキーづくりの仲間がウイスキーの質を磨き合い、海外の人達から文化とともに尊敬されるジャパニーズウイスキーを世界に広げてまいりましょう」

会場に拍手が鳴り響き、感動的な基調講演は終了。会場を埋めた284人の来場者が、新しい百年のスタートを目撃した。

その後、イベントはウイスキーメーカー17社20蒸溜所によるセミナーセッションへ。事前に配布されたサンプル(ウイスキー、ニューメイク、ニューボーン)と共に、参加者は日本各地の蒸溜所が織りなすジャパニーズウイスキーの多様性を実感した。セミナー後は各社ブースでサンプルが提供され、ウイスキーを愛する人々による情報交換や議論がイベント終了まで続いた。

「Whisky Luxe Tokyo 2023」の参加メーカーは以下の通り(五十音順)。安積蒸溜所(笹の川酒造株式会社)、厚岸蒸溜所(堅展実業株式会社)、井川蒸溜所(十山株式会社)、江井ヶ嶋蒸留所(江井ヶ嶋酒造株式会社)、嘉之助蒸溜所(小正嘉之助蒸溜所株式会社)、SAKURAO DISTILLERY(株式会社サクラオブルワリーアンドディスティラリー)、三郎丸蒸留所(若鶴酒造株式会社)、新道蒸溜所(株式会社篠崎)、秩父蒸溜所(株式会社ベンチャーウイスキー)、長濱蒸溜所(長浜浪漫ビール株式会社)、新潟亀田蒸溜所(合同会社新潟小規模蒸溜所)、ニセコ蒸溜所(株式会社ニセコ蒸溜所)、富士御殿場蒸溜所(キリンビール株式会社)、マルス信州蒸溜所/マルス津貫蒸溜所(本坊酒造株式会社)、山崎蒸溜所/白州蒸溜所(サントリー株式会社)、遊佐蒸溜所(株式会社金龍)、余市蒸溜所/宮城峡蒸溜所(ニッカウヰスキー株式会社/アサヒビール株式会社)。イベントは英国ウイスキーマガジン(パラグラフパブリシング)および株式会社ウイスキーマガジン・ジャパンが主催した。