20世紀のスコッチ広告(3) シングルモルトの歴史

July 7, 2017


スコッチウイスキー業界の歴史を、広告の変遷から読み解くシリーズの最終回。シングルモルトというジャンルは、どのように確立されてきたのか。昨今の消費者とメーカーの駆け引きから、意外な事実が明らかになる。

文:マーク・ニュートン

 

世界でもっとも広範に消費されているスコッチウイスキーのブランドは、いつもブレンデッドウイスキーだった。現在もそれは変わらないが、シングルモルトの売上は大きく伸びて、今やスコッチウイスキーの輸出額の25%を占めるようになった。

このようなブームを目撃している私たちは、シングルモルトの登場が近年の現象であるかのように錯覚してしまう。だが単一の蒸溜所でつくられるウイスキーは、もう1世紀以上にわたって興味深い方法で販売されてきた。そのマーケティング手法を調べてみると、ウイスキーの消費者像の変遷がくっきりと浮かび上がってくる。

貴重な資料がアルフレッド・バーナードの『英国のウイスキー蒸溜所』(1870年刊)だ。19世紀より、ブレンデッドスコッチウイスキー市場とは別に独自のウイスキーを生産した蒸溜所はいくつかあった。バーナードの説明によると、ラガヴーリンはブレンド用だけでなく「シングルウイスキー」も販売していた。「シングルウイスキー用のスピリッツを生産しているスコッチウイスキーの蒸溜所は数軒のみだが、そのなかでひときわ突出しているのがラガヴーリンである」という記述がその証拠である。

またインチガワーについても「ブレンディング用と並んでシングルウイスキーであるピュアハイランドモルトを生産しており、主にイングランドで販売されて植民地にも輸出されている」と記している。グレングラントは「自前のウイスキーとブレンデッド用のウイスキーを生産し、高値で取引されている」というから、現代でいうところのシングルモルトウイスキーを販売していたことは間違いない。

当時のバーナードはこのようなウイスキーを「シングルウイスキー」と呼んでいるが、最初期のシングルモルトウイスキーのいくつかは宣伝文句に「シングル」という言葉を一切使用していなかった。シングルという言葉が流行りだすのは、かなり後年のことである。初期のシングルモルトブランドの広告や、宣伝活動の実情を教えてくれる過去の資料は非常に希少だ。

ザ・グレンリベットはシングルモルトを「アンブレンデッド」と呼び、1930年代後半には「アンブレンデッドオールモルト」という定義を持ち出した。ブレンデッドウイスキーとは異なる価値を主張した最初の例である。

ザ・グレンリベットは、1825年にスコットランドの地方紙であるカレドニアン・マーキュリーの広告に蒸溜所名義で登場している。ただしこれは食料雑貨店のアレグザンダー・マクドゥーガルが販売する商品リスト内に掲載されているだけだ。その少し後の新聞に、ザ・グレンリベットは蒸溜所からボトル入りとカスク入りで直送される「ピュアオールドモルトウイスキー」の販売者として登場している。ザ・グレンリベットは1922年に登録商標を公表する全面広告をワイン&スピリッツトレードレコード紙に打っている。

その後、興味深いシングルモルトの広告が見られるのは1930年代になってからである。この頃の広告は、旧式の価格表とは異なる新しいアプローチを始めていた。ロイヤルロッホナガーは、1931年の時点では単に「オールドスコッチウイスキー」と謳われていた。

興味深いことに、「アンブレンデッド」スコッチウイスキーという言葉を最初に使ったのはザ・グレンリベットだったが、1930年代後半になるとこれが「アンブレンデッドオールモルト」という表記に進化している。ブレンデッドウイスキーから距離を置いてブランドを打ち出した最初の例であるが、自身を明確に「シングルモルト」と位置づけている訳ではない。「シングルモルト」は、よりアグレッシブなスタンスとして後年に登場する用語なのである。

 

年数表示を求めたアメリカ市場

 

1960年代のナショナルガーディアン紙(後のガーディアン紙)に掲載されたグレンフィディックの広告。原料へのこだわりや長い熟成年数はブレンデッドと同様の価値であるが、入手の難しさを希少性として打ち出していた。あえて万人向けの味ではないと主張して、マニアの心理をくすぐっているのが面白い。

ザ・グレンリベットの話をもう少し続けてみよう。なぜなら初期の輸出実績から、ウイスキーの年数表示がどのように隆盛したのかがわかるからだ。

1930年代は、まだ禁酒法と大恐慌の余波のなかにあった。シングルモルトスコッチウイスキーがアメリカで幅広く流通する以前のことで、ビル・スミス・グラントは大西洋を渡ってアメリカに降り立ち、合法的な輸出の見通しを探っていた。1934年にはシェンキープロダクツ社がザ・グレンリベットのケースをアメリカで販売。1935年にはビローズ&カンパニー社がザ・グレンリベットをアメリカ各州で販売するための新しい合意を得るべく交渉している。

このときビローズ社のセールス担当者は、ザ・グレンリベットを「12年もの」と明記して販売すべきだと主張した。アメリカの消費者が高額なウイスキーに年数表示を求めており、12年という年数表示は不可欠であるというのが彼の主張だった。年数表示が生産者側からの提案ではなく、消費者の要望に応えて生まれたという事実は興味深い。だがおそらくこの背景には、同時期に一部のプレミアムなブレンデッドウイスキーが流通し始めていた事情もあるだろう。

1960年代のグレンフィディックは、「ストレートモルト」という言葉を引き続き使用しつつ、蒸溜所内でボトリングしている価値をはっきりと訴求するようになる。一般的な品質に加え、ウイスキーの出自が重視される流れはもう始まっていた。

第2次世界大戦以前、ザ・グレンリベットは大々的なブランド露出のためにアメリカンプルマン社と契約を結んでいた。列車の車両にウイスキーのミニボトルを供給することで、たくさんの顧客やビジネスマンたちにウイスキーを届けていたのである。後にザ・グレンリベットは、裕福な旅行者に人気だった大西洋航路定期船のユナイテッドステイツ&アメリカ号にもアプローチしている。そして1960年代までに、「シングルを貫いたスコッチ」というキャッチフレーズの力も借りながら、アメリカでもっとも人気の高いシングルモルトウイスキーの座を確保したのである。

さて「シングルモルト」という言葉はどのようにマーケティングで使用されてきたのだろうか。1962年、グレンフィディックはニューヨークにあるアメリカの卸業者、オースティン・ニコルズ&カンパニー社に自社ラベルの使用を許可した。このラベルには、ウイスキーが8年ものの「シングルモルト」であることが明記されている。それから4年後の1966年、グレンフィディックは同様のスタイルのラベルを展開し、10年もののシングルモルトの広告をアドエイジ誌に掲載した。

つまり同時期に2つの有名なブランドが、アメリカの消費者のニーズに対応して年数表示をおこなっていたのである。このグレンフィディックの広告には「あなたはもうブレンデッドスコッチウイスキーに戻れないかもしれない」と謳っている。その後は「グレンフィディックはストレートで、ブレンドしていないシングルモルトウイスキーだ…… 。違いを見極めよう。高みを目指そう。ワンランク上のグレンフィディックにしよう」と続いている。

この2つのシングルモルトウイスキーは、他のブランドよりも積極的にブレンデッドウイスキーとの差別化を図ることでスノッブな風潮が生み出される後押しをした。現代のシングルモルト愛好家のなかには、このような古いマーケティングに自尊心をくすぐられる向きも多いのではないだろうか。

 

本国イギリスでの戦略

 

イギリスでは1960年代以前のアメリカと同様に、長年にわたって「シングルモルト」ではなく「ストレートモルト」という言葉がラベルや広告で使用されていたが、ナショナルガーディアン紙(後のガーディアン紙)の広告コピーにははっきりと「シングルモルト」の文字が残っている。

グレンフィディックの1960年代のマーケティングは、初期のブレンデッドウイスキーでもおなじみのテーマを繰り返していた。つまり原料へのこだわりとウイスキーづくりにかかる長い時間を印象づける内容である。ブレンデッドウイスキーの広告との相違点は、グレンフィディックのストレートモルトウイスキーは希少で入手が困難であり、手に入れたからといってブレンデッドよりもお気に召す保証はないといった内容が盛り込まれていたことだ。

ブレンデッドウイスキーとは異なり、シングルモルトは特別な存在として扱われていたのである。蒸溜所でボトリングされているという事実もまた繰り返しアピールされていた。ウイスキーの出自が、どんどんマーケティングで重視されるようになった証拠である。

1970年代までには、さらに多くのブランドが積極的にシングルモルト市場へ進出していたことが明らかになっている。アルフレッド・バーナードの著作から引用したように、インチガワーは1870年代に「ピュアハイランドモルト」を販売していた。それから1世紀後の1980年代、同じ蒸溜所のウイスキーは広告で「ハイランドモルトスコッチウイスキー」と銘打たれている。だがインチガワーのラベルはブレンデッドウイスキーとの違いを強調するのではなく、「ベルズ社製(ハウス・オブ・ベルズ)」であることを主張していた。消費者とのつながりを重視して、有名ブランドの名前とウイスキーを結びつけようとしたのである。

1870年代に「ピュアハイランドモルト」を販売していたインチガワーは、1世紀後の1980年代に「ハイランドモルトスコッチウイスキー」を発売した。ともに現在のシングルモルトにあたる商品だが、当時は蒸溜所ブランドよりもベルズブランドとのつながりを重視していた。

ウイスキー「ダフタウン」もベルズ社がつくった8年ものの「ピュアモルト」として宣伝された。このアプローチは他のシングルモルトブランドのプロモーションとは一線を画しているが、すでに人気のあるウイスキーの種別と差別化するよりも、むしろ一体化させて販売したほうが得策だと考えたのである。

カーデュの広告の変遷からはっきりとわかるのは、現在シングルモルトウイスキーとして知られているタイプのウイスキーは、その定義をたびたび変えてきたということである。1965年のイラストレイテッド ・ロンドン・ニュース誌の付録で、カーデュは特別な「ハイランドモルトウイスキー」であると謳われていた。この広告はウイスキーの希少性とアルコール度数の高さを誇らしげに訴え、8年ものであることを明記している。1983年の広告でも依然として「ハイランドモルトウイスキー」と謳われていたが、1985年になって広告には「シングルモルトウイスキー」という言葉が出現し、食後の1杯に最適なモルトウイスキーであると書かれていた。

1990年代に入ると、有名ブランドのザ・グレンリベットがついに宣伝活動で「アンブレンデッドオールモルト」をやめて「シングルモルト」の呼称を使い始め、すでにシングルモルトを標榜していたグレンフィディックやディアジオ(DCL)傘下の全ブランドとも用語の統一ができることになった。同社のプロモーションは着実に成長し、いっそう裕福な消費者にターゲットを絞ることにしたのである。ゴルフトーナメントのスポンサーを務めて高級ブレンデッドウイスキーのカテゴリーに積極的に参入しただけでなく、ツイード素材の旅行かばんシリーズなどのライフスタイルグッズをプレゼントしはじめた。

約20年が経って振り返ると、これはシングルモルトがブレンデッドウイスキーとは異なる希少で特別なラグジュアリーブランドであると位置づける戦略のほんの一部に過ぎなかったことがわかる。このようにお高くとまったシングルモルト広告 の本質は、半世紀前から現在に至るまで受け継がれている一貫した流れなのである。

 

 

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