ブルックラディとアダム・ハネットの長い約束【前半/全2回】
文:オールウィン・ギルト
ブルックラディで20年以上も働いてきたアダム・ハネットが、このたびブルックラディ蒸溜所のマスターブレンダーに任命された。これまでの職位は、2015年から務めてきたヘッドディスティラー(蒸溜責任者)だった。アダム・ハネットは、牧歌的なウイスキーの島として知られるアイラ島で生まれ育った。だからアイラ島民の一人として、ウイスキー蒸溜所の責任者になったことは自然な流れにも見える。だがハネット本人が説明する通り、必ずしもそうなる運命ではなかったのだという。
「生まれ育った島に、ウイスキーの蒸溜所がたくさんあったのは確かです。でも自分が蒸溜所の責任者になるなんて、思いもよらなかったんですよ」
高校を卒業後、ハネットは本土へ渡ってアバディーン大学で学んだ。でもすぐに、故郷が恋しくなったのだという。
「どんな場所で育っても、子供時代には周囲の環境を当たり前のものとして受け取るもの。でも二児の親となった今から振り返ってみると、このアイラ島がどれほど特別な場所だったのか思い知らされます」
大学を卒業してアイラ島に戻ったハネットは、復興初期のブルックラディ蒸溜所でなんとか職を得た。ブルックラディは90年代半ばから閉鎖されていたが、マーク・レイニエらが復興の大計画を掲げてアイラ島に降り立っていた。
ハネットがブルックラディで働き始めたのは、レイニエの復興計画が始まってわずか数年後の2004年だ。マスターディスティラーを務めていたのは、ボウモアで長年の実績があるジム・マキューアンである。大規模な改修に着手してわずか数年というタイミングで、ハネットは少人数のチームに参画するチャンスをつかんだということになる。
「近所には、他の蒸溜所で働いている同級生がいました。彼と会うたびに『ブルックラディなんかで働いても、得られるものなんかないぞ』と馬鹿にされたものです。でも気にしていませんでした。僕たちには目的があったからです。ブルックラディの取り組みには、すぐに魅了されましたよ。ただウイスキーをつくるという事業を超えて、もっと大きな経験が得られそうな期待があったんです」
自己都合で退職後、ふたたび門を叩いた理由
ブルックラディで働きはじめてから1年後に、ハネットは新しい仕事のオファーを受けて辞表を提出する。だがその新しい仕事は結局のところ実現せず、数ヶ月はアイラ島内でさまざまな仕事をしながら生活をつないでいた。そしてある蒸溜所で、面接を受けたのだという。
「その面接の日の夜に、蒸溜所長から合格だという電話がありました。でも僕は『ちょっと考えさせてください』と伝え、翌日にその蒸溜所のオファーをお断りしました。やはり仕事のやりがいが、ブルックラディとは比べものにならなかったからです」
せっかくの新しい仕事を断ったハネットは、その足でブルックラディ蒸溜所に向かった。不義理を承知で、短期のアルバイトに空きがないか問い合わせたのだ。ちょうど観光シーズンの直前で、蒸溜所は人手が必要になる季節でもあった。
「なんとか蒸溜所に戻ってからは、本当に一生懸命働きました。この2回目のチャンスは、どんなことがあっても諦めないと心に決めたんです」
どんな仕事や残業でもみずから進んで手を挙げ、徹底して仕事を覚えることに集中したのだとハネットは振り返る。
ハネットはさまざまな役職を経て貯蔵庫の担当になり、やがて糖化担当のマッシュマン、蒸溜担当のスチルマンも経験する。そしてついに、ジム・マキューアンのもとでブレンディングを基礎から学び始めた。
「ジムは70代とは思えないくらい気力と情熱に満ちあふれていました。毎朝早くから現場にやってきて働き、引退なんてこれっぽっちも考えていないのように見えました。ジムのいないブルックラディなんて、当時はまったく想像もつきませんでした。でもある朝、ジムが突然『よし、俺は半年後に引退するぞ』って言ったんです」
ハネットは、その場でブレンディングの後継者に指名された。つい10年前には、想像もできなかった大役だ。もちろん大きなチャンスだったが、軽々しく引き受けたりはしなかった。ジム・マキューアンのようなウイスキー界のレジェンドから、バトンを受け取ることに当初は強い緊張を覚えたからだ。
「ジムは圧倒的な存在感とショーマンシップの持ち主でした。でも僕はジムとはまったく違うタイプです。それでもジムは『俺の真似をしようとするな。お前にしかできない方法で物語を語れ』と言ってくれました」
ジムの教え通り、この10年間にわたってハネットは自分なりの物語を発信してきた。その物語とは、サステナビリティへの注力を深化させ、新しい技術を継続的な探求し、未来に向けて改善していく意欲を持ち続けることだ。
「ジムはよくこんなことを言っていまた。『日曜の夜に、シフトが始まる前の工場に一人でいると、周りを見渡して思うんだ。ここは俺の職場だから、責任は俺にある。でも本当の意味で自分のものじゃない。次の世代に残すものなんだから、必ず良くしなきゃいけないんだ』って」
(つづく)







