カバランとジム・スワン博士の熟成戦略【前半/全2回】
文:オールウィン・ギルト
台湾でカバラン蒸溜所が創設された20年前、世界のウイスキー生産は拡大の一途をたどっていた。スコットランド、アメリカ、日本といった伝統的なウイスキー生産国に加え、ますます多くの国々がウイスキー製造に乗り出そうとしていた時期である。
ウイスキー製造の経験がなかった地域に、新たな蒸溜所が誕生する。それだけではなく、真の革新性を体現する新しい樽が出現した。この樽こそが新しいウイスキーブランドの名声を高め、世界的なウイスキーシーンで注目される新興メーカーを後押ししてきたのである。
誰も見たことがない、革新的な樽の出現だった。オーク樽はウイスキーの最終的な風味を決定づける重要な役割を担う。新たなウイスキー生産国が登場しただけでなく、スピリッツを熟成させる樽に新技術が生まれたことが、ウイスキー業界の発展に拍車をかけた。
その樽というのは、カバラン蒸溜所が使用してきた「STR樽」だ。名前のSTRとは、シェイブド、トーステッド、リチャードの略。故ジム・スワン博士(後述)が考案した新しい再活性樽である。ワイン樽を再利用したSTR樽は、カバランのフルーティーなスピリッツや湿度の高い気候にも相まって、新進メーカーながら世界のウイスキーアワードで注目を浴びた。
創設からわずか4年で、どうやってこれほど深い味わいと熟成感を得られるのだろう。当時は多くのウイスキー関係者が訝しがったものである。カバランのブランドアンバサダーを務めたブリトニー・チェンは、次のように説明する。
「ジム・スワン博士のSTR樽は、やがて世界中で採用されることになる優れた技術でした。他社に先駆けて、そのような技術を開発できたことがカバランの誇りでもあります。当初はSTR樽がここまで国際的に普及することになるとは予想していません。その後もSTR樽を採用するメーカーが高く評価されてきたことは、ウイスキーの歴史に台湾が確固たる貢献をしてきた証左でもあるのです」
そもそもSTR樽の背景には、市場に溢れる赤ワイン樽(樽材はアメリカンオーク材やフレンチオーク材などバリエーションがある)を活用しようという発想があった。ポイントは、樽材の細孔を再び開いて活性化させること。そのための3工程を施すことで、樽にウイスキーの原酒を熟成させる活力を取り戻させる。
最初のシェービング工程では、樽の内側を2~5cmセンチメートルほど削り取り、赤ワインが染み込んだ部分を除去する。ただし、赤ワインの成分すべてを失わせるほど深く削ることはない。
次のトースティング工程は、遠火をあてて熱することで木材の細胞を分解し、木材から糖分を抽出させるのが目的だ。そして強火による再焼成(リチャーリング工程)によって木材の糖分をカラメル化し、樽材の表面積をさらに大きくする。また炭化した樽材の表面によって、注入されるスピリッツに炭素ろ過と同様の効果ももたらすのだ。
現在、STR樽は世界中の蒸溜所で使用されている。ダービーシャーのホワイトピーク蒸溜所、スコットランドのノックニーアン、カナダのマカロニーズ蒸溜所といった新興蒸溜所から、今年20周年を迎えるキルホーマン蒸溜所までその信奉者は多岐にわたる。
これらの蒸溜所に共通するのは、何らかの形でスワン博士と関わりのあった蒸溜所ということだ。
著名なウイスキー専門家であるジム・スワン博士だが、まだご存じない方のために説明しよう。ジム・スワン博士は1970年代からウイスキー業界に関わり、ペントランズ・スコッチウイスキー研究所(後のスコッチウイスキー研究所)の研究員として活動した。引退後はコンサルタントとして、世界中の蒸溜所の開発支援、新規施設の微調整、各ブランドの独自性の確立などに力を注いだ。何よりも、最高の品質で革新を目指す人々への指導と激励に精力的に取り組んだ偉人である。
残念ながら2017年に急逝したことは、ご家族や友人だけでなくウイスキー業界全体にとって大きな損失だった。当時も75歳という年齢でありながら、たくさんのプロジェクトに取り組みながら、日々多くの人々に影響を与え続けていた。
カバランから始まった新興蒸溜所のSTR樽ブーム
カバラン蒸溜所が設立された当時、現地でSTR樽開発に携わったのは他でもないジム・スワン博士だ。新設された蒸溜所が、最初のリリースまで10年以上待つ必要がないようにするのが目的だ。驚くほど短期間で、より豊かで丸みのある風味を付与するSTR樽の開発を世界に先駆けておこなったのだ。
この革新に感銘を受けた一人が、イングランドのコッツウォルズ蒸溜所を創設したダニエル・ゾーだ。
「私とSTR樽との出会いは、2013年6月27日のパリで始まりました。パリ8区にある老舗『ラ・メゾン・デュ・ウイスキー』のブティックで開催されたチャリティーオークションで、友人たちが落札したプライベートウイスキー試飲会に参加したのです」
ダニエル・ゾーは、『クラブ・デ・アマトゥール・ド・ウィスキー(アマチュアウイスキークラブ)』のメンバーだった。このクラブを25年以上にわたって主宰するのは、ジャパニーズウイスキーを欧州で広めた人物としても知られるジャン=マルク・ベリエである。
「ジャン=マルクは、まさに私のウィスキー界の師範と呼べる存在でした。当時はコッツウォルズに蒸溜所を建設中だったので、『あなたのウイスキーへの情熱と賢明なご指導のおかげでウイスキーをつくろうと決意しました』と伝えたんです」
するとジャン=マルク・ベリエは、身動ぎもせずにこう言ったのだという。
「そうなのかダニエル。じゃあ今夜はあなたの成功を祈念して、最高のワールドウイスキーのお手本をご紹介しよう」
その夜、ダニエル・ゾーは、カバランの「ソロイスト」コレクションから、一斉を風靡した名品「ヴィーニョ・バリック」を味わった。そして一口で恋に落ちてしまったのだと振り返る。
「私はその豊かな香味に衝撃を受けました。そしてジャン=マルクに『これは台湾のウイスキーだよ。しかも熟成期間はわずか4年だ』と告げられてなおさら驚きました。それ以来、このウイスキーは私のお気に入りとなり、ウイスキー仲間を驚かせるための定番品です。事情を知らされずにテイスティングした人たちは、みなワイン樽で10年以上熟成されたスペイサイドウイスキーだと確信していたのですから」
ダニエル・ゾーは、コッツウォルズ蒸溜所を建設中にスワン博士と知り合い、博士の指導のもとでニューメイクスピリッツと樽熟成プログラムの微調整を進めた。数多くの試行錯誤を経て、チームはSTR樽とファーストフィルのバーボン樽を7対3の比率で組み合わせることに落ち着いたのだという。
「これによってSTR樽の特徴である素晴らしいワインのような香り、フルーティーさ、チョコレートのようなニュアンスを保ちつつ、さらにハチミツやバニラの風味も加わりました。そして今日に至るまで、これが当社のシグネチャースタイルとしてシングルモルトをつくるレシピの基盤となっています」
(つづく)







