「ハイニッカ」を知る

February 24, 2015

「初号ブラックニッカ復刻版」に次いで、本日「初号ハイニッカ復刻版」が発売となった。「ハイニッカ」に込めた竹鶴氏の想いを、歴史とともに振り返る。

数あるニッカのブレンデッドウイスキーの中でも、「ハイニッカ」は近年のウイスキーファンにはあまり馴染みがないかもしれない。大きく「Hi」の字がラベルに記されたボトルは、バーのバックバーというよりも家庭の食卓の上で、晩酌ウイスキーとして長く愛されている。

1940年、ニッカウヰスキー社(大日本果汁株式会社/当時)は第一号のウイスキー「ニッカウヰスキー」を発売。創業から6年を経て、ついにウイスキーメーカーとして日の目を見ることができた。
しかし当時は原酒混和率とアルコール度数によって階級が設けられていた。その階級ごとにかけられる税金が、価格に大きく影響することになったのである。品質を追求する創業者 竹鶴 政孝氏は頑なに特級ウイスキーにこだわっていた。特級ウイスキー以外では、原酒の配合比率を低くしなければならなかったためだ。しかし世の中は三級ウイスキー全盛、手にしやすい価格のウイスキーを求める声が高まっていた。

苦渋の決断で1950年、スペシャルブレンドウイスキー角びん(三級)を発売。その後も三級、二級ウイスキーの開発にあたった竹鶴氏は、法で定められた限度いっぱいまで原酒を使用し、本来のフレーバーを大切にしたウイスキーをつくり続けていた。

そして1964年、「ハイニッカ」が誕生。この時の酒税法ではアルコール度数は、特級43%以上、一級40%以上43%未満、二級40%未満と定められていた。その二級で許されるぎりぎりのアルコール度数39%でしっかりとした飲み応えを実現しながらも、飲みやすい味わいと買い求めやすい価格(500円)で発売したのである。
1964年は東京オリンピックが開催され東海道新幹線が開業した年でもあり、好景気に沸いていた。大卒の平均初任給は2万1526円。500円という手ごろな価格と、特級や一級に引けを取らない本格的な品質で、「ハイニッカ」は爆発的に売れた。

ラベルの「HiHi」という文字は、当初竹鶴氏が「ハイハイニッカ」という名前で売り出そうと思っていたことに由来する。
時代の背景では高度経済成長とともに音響機器が続々と改良され、「ハイファイ」という言葉が世の中に浸透し始めていた。その「ハイファイ」を言いやすく「ハイハイ」としたというのがひとつの説である。Hi Fidelity―「原音や原画に忠実な再現」という意味であり、スコッチの伝統的な製法にこだわり、特級にこだわっていた竹鶴氏の、「二級であってもウイスキーの本格的な味わいをしっかりと表現したい」という想いが込められていたのかもしれない。また、「ハイハイ!」という掛け声のようなリズム感も気に入っていたとのことだが、最終的に商品名としては「ハイニッカ」となったそうだ。

その後、1978年に「ハイニッカ デラックス」としてリニューアル発売。酒税法の改正を機に、モルトを増量したのである。この時、ラベルも「HiHi」から「Hi」に変更された。
そして1984年には再度リニューアルし、現在の「ハイニッカ デラックス」のデザインとなった(現在の商品名は「ハイニッカ」)。

竹鶴氏が晩年、毎晩のように楽しんでいたのはこの「ハイニッカ」だったという。
「皆、さぞかし竹鶴は高価なウイスキーを飲んでいるに違いないと思っているだろうが、わしは一番売れているウイスキーを飲むんじゃ!」と周囲に言い続けていたとのこと。会社の屋台骨を支えるウイスキーへの感謝の気持ちもあったのではなかろうか。酒税法の厳しい制限の中で、苦しみながら生み出した末に人々から愛されるようになった…そういうウイスキーだけに、この上ない思い入れがあったことは想像に難くない。もちろんその飲みやすさと飽きのこない味わいも、毎晩グラスを重ねる上では大切な要素だったはずだ。

その最初につくられた「ハイニッカ」の現存するボトルを現代のニッカウヰスキーの製品を支えるブレンダーがテイスティングして、当時の味わいを再現したものが、本日(2月24日)発売となる「初号ハイニッカ復刻版」だ。

誕生から50年にわたって親しまれ、竹鶴氏もこよなく愛した「ハイニッカ」。限定で発売される復刻版とあわせて、改めてお楽しみいただきたい。

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