アイラ・フェスティバルが40周年【第2回/全3回】
文:ティス・クラバースティン
写真:ベン・シェイクスピア
©Ben Shakespeare
その後も、1980年代を通じてフェスティバルは発展していく。すると島内の教区ごとに「ベスト・ドレッスト・ビレッジ」の称号を競い合うようになった。これは、いわば村の威信をかけた「おしゃれ競争」である。カーニバルの日になると、装飾された山車、露店、エンターテインメントが繰り出し、島は祝祭ムードに包まれる。
教区ごとにカーニバルクイーンが選出され、音楽、ワークショップ、ダンス、コンサート、演劇なども活発に開催された。ジョージ・クロフォードは、子供の頃にケルト神話の巨人や戦士たちを題材にした演劇に参加したことをおぼえているという。
「蒸溜所の若者たちがピート運搬用のトラックを飾り付け、ボウモアのメインストリートを盛大にパレードしました。年によっては、漁船団の若者たちがパレードに参加することもありました。漁船団のチームが、美しい人魚の装飾を持ち出してきたこともあります。すべてゲール語でしたが、私自身はあまりゲール語が得意ではありません。踊りも苦手で、ちょっと恥ずかしがったのをおぼえています」
アイラ・フェスティバルは、2週間にわたる全島的なビッグイベントになった。だがそのなかで、ウイスキーの要素はほんの一部に過ぎなかった。もちろん社交の場でアイラのウイスキーは楽しまれていたが、祭りの中心ではない。ウイスキー関連の公式なイベントといえば、香りでウイスキーを当てるノージングコンテストぐらいのものだった。
それが変わったのは、20世紀末のことだ。ちょうどその頃、ピート香の強いアイラ産のウイスキーの人気が高まったのだ。アイラ島はウイスキーの聖地として世界的に有名になり、島内の蒸溜所とそのウイスキーのスタイルが憧れの対象になった。
ウイスキーブームでフェスの人気も白熱
このウイスキー人気の高まりにあわせて、アイラ島内のウイスキー蒸溜所はアイラ・フェスティバルへの関与を深めていく。各蒸溜所がフェスティバル期間中に独自の「オープンデー」を開催するようになると、すぐに島外のウイスキー愛好家たちが大挙して押し寄せた。
現在のアイラ・フェスティバル期間中は、島の人口が普段の3倍以上に膨れ上がる。宿泊施設は前年から予約で満室状態になり、キャンピングカーやテントが島中を埋め尽くす。もちろん本土からのフェリーも常に満員だ(昨年はカルマック社が約1万8000人の乗客を輸送した)。
アイラ島のすばらしいウイスキーと世界中の人々のウイスキー愛は、アイラ・フェスティバルを通じてアイラ島に変革をもたらした。アイラ島で暮らし、アイラ島で働き、アイラ島で事業を営む人々は、みなフェスティバルの多大な影響を受けている。
キルホーマン蒸溜所を創業したアンソニー・ウィルズもその一人だ。キルホーマンが初めてアイラ・フェスティバルに参加した年は、まだ蒸溜所の建設も始まっていない空き地での開催だったのだとウィルズは言う。
「他の蒸溜所から、このフェスティバルの重要性を聞き及んでいました。フェスティバルは、島に大勢の観光客を呼び込んでくれます。そこで蒸溜所の建設予定地にテントを張り、ウイスキー研究科のチャールズ・マクリーンを呼んで講演をしてもらいました。キルホーマンの活動を見たいという人なら誰でも歓迎しました」
過去にアイラ・フェスティバルがもっとも賑わったのは、今から10年くらい前ではないかとクロフォードは振り返る。アードベッグとラフロイグが、2015年にちょうど創業200周年を迎えたからだ。その翌年にはラガヴーリンのアニバーサリーも続いてフェスティバル全体が盛大な祝祭になったのだという。
「まるでグラストンベリーの音楽フェスみたいに、巨大なフェスティバルの盛り上がりがありました。ラガヴーリンには広大な芝生のエリアがあって、ちょっと離れた私の家のあたりまで続いています。アニバーサリーの年は、その芝生の上で1週間ずっとキャンプをしている人がいました。毎日大騒ぎでしたが、最高の思い出です」
(つづく)
2026年のアイラ・フェスティバルは、5月22日から31日まで開催される。公式ウェブサイトはこちらから。







