予測不能な自然を受け入れ、香味を豊かにするための挑戦。海のパワーで熟成したウイスキーの魅力を探る2回シリーズ。

文:ヤーコポ・マッツェオ

日本の横浜沖を航行中のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で、新型コロナウイルスの感染が急拡大したのは2020年2月のこと。中国本土以外で最大規模の集団感染が、クルーズ船の中で発生した事件は衝撃だった。

その後の数週間で、カーニバルやロイヤル・カリビアンといった大手クルーズ会社の株価は軒並み急落。金融業界のアナリストには、クルーズ業界がこのまま永久に沈没してしまうのではないかと予測した者さえいた。

だがそれから数年のうちに、クルーズ業界は見事な復活を遂げた。以前の水準に回復しているだけでなく、過去の記録を塗り替えるような業績も上げている。やはり人類には、普遍的な海への憧れがあるようだ。

ジェファーソンズ・バーボン創業者のトレイ・ゾーラー。19世紀に消費地へウイスキーを運んだ航路をなぞり、大切な樽をあえて危険に晒すことで新境地を目指している。

果てしない水平線ときらめく海面。大海に漕ぎ出す興奮や、未知の生態系が残る深海の神秘。このような海の魅力は、コロナ禍で顕在化した船旅のリスクよりも強く人々の心を惹きつけることが証明された。

何世紀にもわたって、海は人類を魅了してきた。さまざまな叙事詩や冒険の舞台となり、海を題材にした映画や豪華船クルーズなどのブームを生み出し、今や数多くのドリンクにもインスピレーションを与えるようになった。

歴史を振り返ると、世界のアルコール飲料の多くは、長らく木樽に詰められて船で輸送されてきた。他に安価な輸送の手段がなかった時代は、このような海の旅が経済上の必然であった。輸送の途中で液体に生じるいかなる影響も、必要なプロセスの結果として受け入れられてきた。

だが商人や生産者たちは、やがて船旅そのものが飲料の品質に影響を与える可能性にも気づいた。絶え間なく揺れる船内、太陽の熱、海上の湿気、長距離航路での温度変化。ウイスキーの船旅は、樽内の液体に大きな影響を及ぼしていたのである。

このような変化や影響は、もちろん偶然の産物だ。しかし場合によっては、独特の特徴を生み出し、ユニークな製品やまったく新しいカテゴリーさえも生み出すことになった。

たとえばマデイラワインに特有の酸化香は、長い航海中に生まれたといわれている。離島であるマデイラから海外市場へワインを輸送するには、海の上をゆっくりと移動しなければならない。航海中の絶え間ない揺れと太陽光の熱が、樽内の液体を仕上げた。その工程が、世界でもっとも美味しく、香味の崩れにくいワインを確立させたというのだ。

このような海洋からの影響は、マデイラの特性に不可欠な要素となった。マデイラのワイン醸造家たちは、今日に至るまでその効果を強く信じている。現在のマデイラワインは、かつて海上で自然に生じていた熟成時の加熱効果を高温のロフトで再現している。さらに大規模な生産体制のもとでは、ステンレス製のタンクを用いた「エストゥファジェム」(焙煎の意味)技法が採用されている。

ミシシッピ川から海洋へ

かつてはウイスキーも長い航海を経て輸送されることが多かった。ジェファーソンズ・バーボン創業者のトレイ・ゾーラーは、次のように語る。

「1800年代初頭、アメリカのスピリッツ蒸溜業者はウイスキーを人口の多い都市へ運ぶため、まずスピリッツを樽に詰め、平底船でミシシッピ川を下りました。船がニューオーリンズに到着すると、樽の一部は現地で取引され、残りは外洋を航行する別の船に積み込まれます。海の航路は、フロリダ沿岸を回ってフィラデルフィア、ニューヨーク、ボストンといったより収益性の高い都市へ向かいました。このプロセスこそが、ウイスキーをバーボンという呼び名に変えた要因だと思っています」

今日でも大量のウイスキーが海路で輸送されている。だが現代の航海期間は19世紀よりもかなり短く、多くがすでに密封されたボトルに入った状態で運ばれる。そのため輸送中の条件が液体に与える影響はごくわずかだ。

移動中は輸送コンテナが貯蔵庫になる。海上での揺れや気象環境が、地上では得られない熟成効果をウイスキーにもたらす。

それでもなお、海での熟成に惹かれてやまないウイスキー生産者も一部にはいる。船上で樽内のスピリッツが揺れ動き、その際に生まれる独特の熟成感や風味を追求したいのだ。

そのようなウイスキーづくりを志す者たちが、意図的にかつての海上熟成を再現しようとしている。絶え間ない揺れと変化する環境が、樽材と液体のダイナミックな相互作用を促す。そこに限りないロマンを感じてしまうからだ。

そのもっとも注目すべき事例のひとつを手掛けているのが、前出のトレイ・ゾーラーだ。ケンタッキー州で6年以上熟成された「ジェファーソンズ・リザーブ・バーボン」をベースに、船上での熟成を加えた「ジェファーソンズ・オーシャン」シリーズをリリースしている。

このシリーズのボトルは、航海番号で識別される。長期間(最大8ヶ月)の航海中、わざと樽を風雨に晒すように設計された輸送コンテナに積み込まれ、その揺れ、温度変化、そして海上の環境がウイスキーに独特の個性を与えるのだとゾーラーは説明する。

「ケンタッキーからウイスキーを運び出し、サンルーフみたいな開口部を備えた輸送コンテナに入れます。そうすることで、樽が太陽や雨や雪に晒されるのです。ジョージア州の港町サバンナで別の船の甲板に積み込まれ、カリブ海、太平洋、大西洋を経由する世界一周の旅に出発します。何十という港に立ち寄り、赤道を二度またいで、ようやくケンタッキーに戻ってくるという船旅です」

大西洋の横断を経てボトリング

船の上で熟成を実践する蒸溜所は他にもあるが、海上で過ごす時間ははるかに短い。たとえばイングランドのアドナムス蒸溜所は、フレッド・オルセン・クルーズラインの客船「ボレアリス」に乗って103日間の航海を経た樽(トータルで9年熟成)から、数量限定のシングルモルトを発売した。

このプロジェクトの参加者によると、ウイスキーが絶えず揺れ動くことで樽との接触が増え、樽内の液体内で糖分のカラメル化が促される。その結果、色と風味がしっかりと引き出されたのだという。また航海中に自然な蒸発が起こり、潮風を含んだ空気が樽に浸透して、ほのかな塩味をもたらしてくれたようだ。

ケンタッキー州で6年以上熟成し、船上での熟成を加えた「ジェファーソンズ・オーシャン」。かつての船上熟成を再現した意欲的なウイスキーだ。

ライ比率の高いケンタッキーバーボン「ネバー・セイ・ダイ」は、さらに短い航海を経てボトリングされている。ケンタッキー州で完全に熟成され、樽はフロリダからリバプールへと向かう6~8週間の船旅へ。海上輸送の後は、陸路でイングランド中心部にあるピーク・ディストリクト国立公園を目指す。ホワイトピーク蒸溜所でさらに1年間熟成された後、最終的にボトリングされる。

ネバー・セイ・ダイの共同創業者であるブライアン・ルフトマンが、この壮大な熟成プロセスについて語る。

「海の旅がウイスキーの香味に複雑さを加え、明らかに品質を高めてくれます。そんな事実を目の当たりにし、とても嬉しくなりました。だから追加のコストや労力がかかっても、この手法を継続しようと決意したんです」

ケンタッキーだけで熟成された樽と比較すれば、海を渡ったウイスキーには一貫して豊かな丸みと調和が増しているのだとルフトマンは言う。

「大西洋横断中の絶え間ない揺れが、チャーを施したオーク樽の中でスピリッツの撹拌を促し、樽材との相互作用が深まります。これによってウイスキーのテクスチャーが豊かになり、アルコールの刺々しさが取れて、オーク、スパイス、甘みの調和が進んだ表現になることが経験からわかったのです」
(つづく)