バーボンの故郷ケンタッキーで、家族経営ながら幾多の苦難を乗り越えてきたウィレット蒸溜所。その数奇な90年を振り返る2回シリーズ。

文:ヘザー・ストルゴー

高品質なケンタッキーバーボンで知られるウィレット蒸溜所は、90年前にトンプソン・ウィレットによって設立された。だがウィレット家とウイスキーとの関わりは、それよりもはるか以前から始まっている。

そもそもウィレット家が、初めてケンタッキー州に移り住んだのは1792年のこと。ちょうどケンタッキーが州に昇格した年だ。それ以来、ウィレット家は何世代にもわたってウイスキーづくりに携わってきた。

禁酒法が廃止されて3年後の1936年に、トンプソン・ウィレットはバーズタウンの農場を家族経営の蒸溜所に造り変えた。そのウィレット蒸溜所は、今年で創業90周年を迎える。

ノルウェー人のエーベン・クルスヴィーンは、渡米後の70年代にマーサ・ウィレットと結婚してウイスキーの事業を始めた。若い夫妻が、幼いブリットとドリューを抱いている。メイン写真は、二世代で蒸溜所を運営した晩年の家族写真。

その後のウィレット家は、ケンタッキーストレートバーボンウイスキー「オールドバーズタウン」の発売を皮切りに、独自の品質と製造技術を着実に育てていった。

現在こそ一部のファンから熱狂的な支持を集める家族経営のウイスキー蒸溜所として名声を確立しているウィレット蒸溜所だが、過去90年には事業の断絶を覚悟した時期もあった。

特に1970年代から1980年代は、ウイスキー市場の低迷が直撃した。ウイスキーづくりを諦め、蒸溜所をアルコール燃料の生産拠点に転換しようと検討したこともあるほどだ。

だがウィレット蒸溜所のウイスキーづくりは、さまざまな難局を乗り越えて存続した。その功労者が、創業者トンプソン・ウィレットの娘マーサと、マーサの夫のエーベン・クルスヴィーンである。

トンプソン・ウィレットの後継として、クルスヴィーン夫妻はウイスキー製造業の未来に賭けて成功した。現在のウィレット蒸溜所を率いているのは、二人の子供であるドリュー・クルスヴィーン(マスターディスティラー)とブリット・クルスヴィーン(社長)だ。

ウィレット蒸溜所は、現在も野心的な拡張計画を進めている最中である。しかし残念なことに、マーサとエーベンは、どちらも昨年に他界した。蒸溜所の創立90周年は、彼らの貢献と遺産を振り返る盛大なイベントになる予定だ。

ノルウェーからの移民と創業家の娘

エーベン・クルスヴィーンは、10代でノルウェーのハマルから米国に渡った。コロラド州の大学で学んだ後、ケンタッキー州にガラス工場を設立し、そこでデカンタの製造に従事する。

このガラス製造の仕事は、やがて彼をバーボンウイスキーの世界へと導いていく。そして何世代にもわたってウイスキー業界に携わってきたウィレット家の跡継ぎである若いマーサと出会うことになった。

歴史を感じさせるウィレット蒸溜所の外観。家族経営らしいコンパクトな生産拠点は、ケンタッキー・バーボン・トレイルを訪ねる観光客にも人気だ。

二人の娘であるブリットは、両親の馴れ初めを面白おかしく話してくれる。ただし時間の経過で当人の記憶が変化したり、お酒が入ってエピソードが誇張されたりしているかもしれないと笑いながら言う。

ブリットの母であるマーサ自身の言葉によると、1972年の時点でマーサは未来の夫であるエーベンを鼻持ちならない傲慢な男だと評していた。しかしそれから半年も経たないうちに、彼女のほうから愛を告白して結婚に至ったのだという。

結婚後の二人の歩みは、アメリカが誇るバーボンウイスキーの盛衰によって大きく揺さぶられてきた。息子のドリューが説明する。

「当時のバーボン業界は、ちょっとしたカオスでした。このウィレット蒸溜所も、1984年に競売にかけられたんです。それをウィレット家の跡継ぎである母が、父と一緒に買い取りました。このいきさつ自体、かなり特異な状況だったと思います。父は途方もない量の仕事を成し遂げ、ウイスキーづくりに生涯を捧げました」

苦境を乗り越えるボトリング事業

エーベンとマーサは、ウィレット家の蒸溜所を継承することになった。しかしその蒸溜所は、ウイスキー不況によってスピリッツ製造を休止していた。設備の老朽化も進んでいたが、事業を何とか成立させなければならない。

夫妻はキャッシュフローのために、「ケンタッキー・バーボン・ディスティラーズ(KBD)」という会社を設立した。これは自前のウイスキー製造ではなく、自社および他社の原酒を使ったボトラー事業の会社である。ウィレット蒸溜所に残された在庫のウイスキーを販売しながら、他の蒸溜所から仕入れた原酒も独自にボトリングして徐々に成果を上げた。

娘のブリットは、このボトラー事業における父の成功を並外れた集中力によるものだと評している。

「父はいつもウイスキーの品質を第一に考えていました。私たちのウイスキーづくりは、必ずしも収益性を優先したものではありません。1980年代初頭から1990年代にかけて、バーボンの人気は低迷していました。当時人気のお酒といえば、ブレンドウイスキーのコーラ割り。そんな時代でも、父は格調高く洗練されたウイスキーを世に送り出していたんです」

品質にこだわった少数ロットのボトリング事業で、景気の乱高下を乗り切った。ウィレットの名前が記されたラベルは、今でもアメリカンウイスキー愛好家から高い信頼を獲得している。

頼みの米国市場ではほとんど需要が見込めなかったため、エーベンは国外に視野を広げた。フランス、オーストラリア、日本などのウイスキーファンが対象である。

「スカンジナビア出身の父は、型にはまらない考え方の持ち主でした。だからこそ迷わず国外の輸出市場を開拓できたのだと思います。ケンタッキー・バーボン・ディスティラーズの商品は、外国のファンに支持されました。その実績が事業を牽引し、私たちを今日の地位へと導いてくれたのです」

ウイスキー専門の競売会社「ウイスキー・オークショニア」の主任キュレーターを務めるスピリッツ専門家のジョー・ウィルソンは、当時のケンタッキー・バーボン・ディスティラーズが販売した商品について高く評価している。

「エーベン・クルスヴィーンのケンタッキー・バーボン・ディスティラーズは、地道ながらも確かな成果を積み上げてきました。アメリカンウイスキーのコレクター市場においても、21世紀以降は最も強力で影響力のあるブランドの一角を占めています」

セカンダリーマーケットでコレクター向けのバーボンやライウイスキーを探す層は、「ウィレット」という名の生産者に全幅の信頼を置いている。

初期のリリースには、ヴァンウィンクルやスティッツェル・ウェラーといった業界大手の蒸溜所から調達されたと思われるバーボンも含まれている。またインディアナ州のMGPが創立直後に蒸溜した珍しいライウイスキーのバッチもボトリングしているのだとジョーは説明する。

「有名な銘柄としては『レッド・フック・ライ』や『ベリー・オールド・セント・ニック』などが注目されています。どちらもケンタッキー・バーボン・ディスティラーズが自前でスピリッツを蒸溜し、サードパーティー向けに販売したもの。ウィスキー・オークショニアに持ち込まれるアメリカンウイスキーの中でも、特に価値の高いボトルです」
(つづく)