佐久間正のウイスキーづくり【後半/全2回】

4月 13, 2026

ロンドン事務所を一人で運営し、原料調達で世界を股にかける。遅咲きのチーフブレンダーは、高品質なジャパニーズウイスキーの象徴になった。

文:WMJ

北海道の余市蒸溜所から東京本社に戻った27歳の佐久間正氏は、原料調達部(当時は生産部)に配属された。他のメンバーは、5年上の先輩が1人だけ。ウイスキー原料の大麦モルト、トウモロコシ、木樽はもちろん、ウイスキー以外の製品に使用する原料も調達の対象だ。南青山の本社に務めながら、文字通り世界を股にかける日々が始まった。

原料調達を始めて間もない頃は、地球を1周半するような出張もあったという。カナダ経由でチリのリンゴ果汁工場を訪ね、アルゼンチンでアルコール工場を視察し、ロンドン経由でスコットランドや南アフリカの蒸溜所を見学する。新規事業に関連してリンゴの源流をたどるため、天山山脈の麓を目指したのも良い思い出だ。南極以外の大陸には、すべて足を踏み入れている。

本社での原料調達に関わったのは、通算で17年ほど。その間に、5年8ヶ月にわたるロンドン勤務も任じられた。ロンドン事務所の実態は、佐久間氏がただ1人で運営するワンマンオフィスである。当初の赴任予定地だったパリ事務所が閉鎖されたので、欧州全域が担当になった。原料調達だけでなく、ボトラーとの交渉や調査なども重要な任務である。

「当時はEメールもない時代ですから、毎朝出勤するとFAXがトグロを巻いて溜まっています。日本は夕方なので、国際電話で忙しくやりとりしました。でも正午までには日本との連絡業務も終わり、昼からは1人でのびのび仕事ができました」

ロンドンに住んだのは、34歳から40歳までの壮年期。ニッカが買収したベン・ネヴィス蒸溜所にも毎月通った。原酒交換で手に入れた他の蒸溜所の原酒も取り扱い、品質への理解をさらに深めることになった。

50代で初めてのブレンディング

ロンドンに別れを告げた佐久間正氏は、5年ぶりに本社に戻って原料調達の仕事に明け暮れる。ところが2010年で旅暮らしは終わり、栃木工場(栃木エイジングセラー)の工場長を任された。その2年後に届いた辞令が、ブレンダー室室長兼チーフブレンダーという役職だ。

今では名ブレンダーとして知られる佐久間氏だが、51歳になるまでブレンディングの経験は皆無だった。

「もちろん最初は、まったく何もできません。完全な素人の状態から学び始め、部下となる若いブレンダーにいろいろ教えてもらいました。一番役に立った訓練は、集中的な原酒のテイスティングです。毎年6月から8月までの3ヶ月間、各工場から原酒のサンプルを集めて吟味しました。毎日100種類ぐらいずつ、朝から晩まで、仕事の合間を見つけて原酒に向き合いました」

ニッカウヰスキーのチーフブレンダーに、定型のキャリアパスはない。前任の久光哲司氏は、工場勤務と原料調達や営業も経験しているので佐久間氏に似ている。しかしその前任の杉本淳一氏は、一貫して研究畑を歩んでブレンダーになった。佐藤茂生氏(第3代マスターブレンダー)のように、弘前工場(現・弘前サイダリー)と余市蒸溜所の製造畑からブレンダー室に入った例もある。

ブレンダーとして向かい合った原酒には、かつて自分が調達や製造に関わった思い出も宿っている。長い時間がかかるウイスキーづくりは、キャリアを通して関わるやりがいがある。

世界的に有名なシングルモルトも、お手頃な普段飲み向けのブレンデッドも、原酒の配合はブレンダー室で決められる。ウイスキーファンの興味が集まる聖域だが、実際の作業は地道な日々の積み重ねだ。原酒をテイスティングしてメモを取り、それをブレンダー同士で比較する。複数のブレンダーが関わることで、記録された指標の客観性も高まってくる。

「他のブレンダーとの表現の違いに驚いたり、『そんな匂いがしたっけ?』と確認したり。そんなことを繰り返しながら、原酒の特性を理解していきます。鼻のさまざまな位置で、香りを感じ分けていることにも気付きました」

ブレンドに使用される原酒は、何種類かのパーツに分けられる。例えばスーパーニッカなら、グレーンウイスキー数種類、ピート香の強い余市モルトの原酒、シェリー香が濃厚な宮城峡モルト原酒などのパーツが想定される。パーツ単位で前回同様の品質が用意できれば、最終処方自体を変更する必要がない。

チーフブレンダーの仕事は、入社以来の経験を振り返る機会でもあった。原酒のサンプルは、樽詰めの日付まで正確にわかる。テイスティングしながら「これはあの時の原酒か」と気づく瞬間がたくさんあったのだという。

「品質向上に取り組んだ余市蒸溜所の原酒には、当時の努力が反映されています。またサンプルを取りに行くたび、自分で買い付けたシェリー樽とも再会しました。シェリー樽は粗悪品を送られないように、必ずスペインの現地で検品したものです。香りをチェックして、ダメな樽には大きくバツ印。良質な樽には、自分のサインが残っています」

そんな小さな努力の積み重ねが、あらゆるブレンドに処方されてボトリングに至る。だからワールド・ウイスキー・アワードなどで表彰式に立つときも、先人を含むニッカウヰスキーの総力で勝ち取った栄誉なのだという実感が心中にあった。

激動の40年を経て未来へ

ニッカウヰスキーの歴史のなかで、佐久間氏ほど多くのアワードに輝いたチーフブレンダーはいないだろう。日本らしい繊細な香味の設計者として世界に知られたが、ブレンダーとして一線で働いたのは10年に満たない。2020年に定年を迎え、実際のブレンディングは後進に譲った。その後2年ほどシニアチーフブレンダーとしてセミナーなどを手伝い、関連会社の非常勤顧問を昨年まで務めてきた。

思えば佐久間氏がニッカウヰスキーに入社した1982年から、約40年のうちにウイスキー業界は大きな浮き沈みを経験した。

「日々ひたむきにウイスキーづくりに邁進する後輩たちをとても頼もしく思います。これからもニッカウヰスキーが末永く成長していくこと、ウイスキー業界全体がさらに発展していくことを心から祈念しています」と佐久間正氏は授賞式で語った。

だがその間にも「シングルカスク余市10年」が2001年の「ベスト・オブ・ザ・ベスト」で全部門最高得点を獲得し、ジャパニーズウイスキーに世界の注目が集まる。やがて世界的なウイスキーブームが到来すると、ニッカウヰスキーのシングルモルトやブレンデッドモルトは何度もグローバルな賞に輝いた。

今やジャパニーズウイスキーの需要は国際市場でも高まり、日本各地に新しいウイスキー蒸溜所が次々と生まれている。佐久間正氏の40年は、そんなダイナミックな変化の只中にあった。

「未来は不透明ですが、海外市場はまだ伸びしろがあります。新しい蒸溜所は、熟成した原酒がようやく出てくる頃。市場がまだ成長途中なので、キャッシュフローも大変でしょう。ウイスキーづくりは時間のかかる事業なので、新しい蒸溜所のみなさんにはまだ辛抱の時期が続くと思います」

職業人生に一区切りがついた佐久間正氏だが、ブレンディングや製造に関する知見は業界の宝だ。殿堂入りを果たした今後も、貴重な助言が各方面から求められることになるだろう。ウイスキー業界を代表する一人として、あらためてその活動に期待が高まっている。

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