スコッチウイスキーの後継者計画【第1回/全3回】
マスターディスティラーが去ると、蒸溜所では何が起こるのか? ウイスキー製造の継承について、本質を考える3回シリーズ。
文:マーク・ジェニングス
スコッチウイスキーは、容易に変わらないものの象徴である。実際には新しい原酒が毎日のように生み出されていても、まったく何も変わっていないかのように装っている。貯蔵庫は何年も同じ場所に建っているし、スピリッツは今日も同じように蒸溜器から流れ出す。
貯蔵庫の暗闇で、樽は音も立てずに静かな呼吸を続けている。ボトルを見ても、おなじみのラベルはいつもと同じデザインだ。メーカーは前作と同じ熟成年数で原酒をボトリングし、一貫したハウススタイルにもとづいて香味を変えない。だからウイスキーのすべてが、不変に近いものとして受け止められても不思議ではない。
だが実際には、ウイスキーづくりに関わる人は変わっていく。どんな人でも、いつかはいなくなる。
ウイスキー蒸溜所の背景を説明する際に、ウイスキーづくりを担っている人物の「顔」や「肩書き」や「個性」が伝えられることは多い。ウイスキーという製造物が、あたかも人間のような個性を持っているかのようである。
そんな現代において、ウイスキー製造の現場に携わる「人」の去就は重要な意味を持つ。マスターディスティラー、マスターブレンダー、マスターウイスキーメーカーといった役職の人物は、もはや社内で品質管理の責任を負っているだけの存在ではない。
しばしば彼らは、ブランドが世間から信頼され続けるための安心材料にもなっている。表舞台に立つ人物として、限定版のウイスキーラベルにサインを入れたりもする。
消費者はそんな人物たちが、蒸溜所をずっと守り続けてくれるものと信頼している。だが生身の人間に永遠はない。ウイスキーの永続性も、思い込みに過ぎないのだ。
そのような重要人物がウイスキーづくりの現場を去るとき、ウイスキー自体にはどんなことが起こるのだろうか。
ウイスキーの実態が、人事異動のプレスリリースひとつで変わることはない。貯蔵庫に並べられた樽は、自分たちの管理者が誰かに引き継がれたのか知る由もないだろう。貯蔵からボトリングまでの流れは、何年も前から計画されており、時間の流れに従って進んでいくだけだ。
あるリーダーのもとで蒸溜されたニューメイクは、熟成の後に別のリーダーによって評価され、最終的にはまた新しいリーダーによって選定されるかもしれない。
だが「仕事なんてそういうものだ」という安直な認識では、ウイスキー製造の本質を見逃してしまう。
人が変わると、まず判断が変わる。責任の範囲が変わる。ウイスキーづくりのリーダーは、みな受け継がれた過去とまだ見えぬ未来の間に立っている。そのような人物の入れ替えによって、ウイスキーが長期的に大きく変化することもあるだろう。
だからこそスコッチ業界では、いつも後継者の選定が注目されている。最近の事例が、オークニー諸島のハイランドパークでマスターウイスキーメーカーの重責を受け継いだマーク・ワトソンだ。
前任者のゴードン・モーションは、ハイランドパーク蒸溜所で27年間にわたってマスターウイスキーメーカーを務めてきた。超長期熟成の「ハイランドパーク 56年」や、蒸溜所史上初めてとなるカスクストレングス製品などといった画期的なリリースを打ち出し、保守的なイメージのあったハイランドパークに現代的なアイデンティティを加えた功労者だ。
そのような目に見える改革だけでなく、ゴードン・モーションは無数の決断によってウイスキーの香味にも影響を及ぼしてきた。その成果としてのウイスキーは多くの人々が味わってきたが、背後で下された決断のひとつひとつを知る消費者は少ない。
進行中の仕事を複雑なまま引き継ぐ
新任者のマーク・ワトソンは、フェイマスグラウスやホーリールードなどのウイスキー製造に従事し、醸造、蒸溜、ブレンディング、蒸溜所の立ち上げなどに至るまで幅広い経験を評価されて現職に就任した。
だが新しい肩書きを得たからといって、ハイランドパークというウイスキーが突然自分のものになったと考えるような人物ではない。ワトソンは事業の継承について次のように語っている。
「ハイランドパークのように熟成期間が長く、確立された品質を誇るようなウイスキーは、一時の判断や一人の能力だけで変えられるようなものではありません。ウイスキーづくりは、積み重ねの結果なのです。現場のリーダーとは常に伝統の継承者であり、守護者でもあるべきです」
この「積み重ねの結果」という言葉は、ウイスキーづくりにとって極めて重要だ。ウイスキーづくりにおける継承とは、ただ完成したものをきれいに引き継ぐことではない。それはまだ進行中の複雑な仕事を引き継ぐことなのである。
新任者は、樽の調達、製造システム、熟成方針、在庫計画、日々の慣行、ハウススタイル、組織内の知的資産、消費者からの期待などをまとめて引き継ぐ。これから引き継ぐ決定は、自分が着任する何年も前にその論理が形成されていたかもしれない。
ワトソンはマスターウイスキーメーカーの仕事を「情緒的な仕事」と表現する。それは決して物事を感情で判断するという意味ではなく、過去や未来への思いを重視するという意味だ。
ウイスキーづくりは長い時間軸に関わるため、自分のことだけを考えて働くことなどできないとワトソンは言う。
「未来のために、いま選択をするという仕事です。今日ボトリングできるウイスキーは、他の誰かの努力で貯蔵されたもの。そして今日の努力で製造されるスピリッツは、いずれ誰かの遺産に育っていきます」
だからこそ、役職の引き継ぎは重要になる。ハイランドパークに専念する前の6ヶ月間、ワトソンはまだフェイマスグラウス在籍していながらゴードン・モーションのそばで働いてきた。ファイル、記録類、在庫メモ、引き継ぎ用スプレッドシート。このシートは、ワトソンいわく「ほとんど冗談のように巨大」な情報の宝庫だ。
だがもっと価値のある遺産は、簡単に文書化できるものではない。それはゴードン・モーションの考え方をそばで観察する経験そのものだったからだ。
ゴードン・モーションがワトソンに引き継いだ方針は、「基準を持ち、忍耐を持ち、一貫性を持ち、そして創造性も加える。ただしすべてが適切なバランスでなければならない」というものだった。
今でもワトソンの意思決定の中心には、次のようなゴードン・モーションの一言がある。
「正しくない要素は、決して商品に入れない」
単純な言葉だからこそ、重要なのだろう。在庫、スケジュール、生産量、商業的な目標といったプレッシャーが、いつもどこかに潜んでいる。そんなウイスキーの世界において、一度進み始めたことを「ノー」と拒むのは難しい。それができる権利を継承することは、決して小さなことではないのだとワトソンは言う。
「ブレーキを踏まなければならないとき。代替を探さなければならないとき。とにかく少しでも納得できないとき。そんなときは、疑わしきものを通さないのもマスターウイスキーメーカーの責任です」
(つづく)






