フェッターケアンの森【前半/全2回】
地元産オークの樽材で熟成するため、苗木から育てる取り組みを始めたハイランドの蒸溜所。フェッターケアンの取り組みを2回シリーズでご紹介。文:アビー・モールトン
アバディーンシャーの高原で、何千本というオークの苗木が風に揺れている。灰色の空から落ちてくる雨を受けながら、息を合わせて踊るように動いている。数ヶ月前までドングリだった苗木は、高さがまだ膝下にも届かない。それでも茎から房状に芽吹いた緑の葉を天に広げ、風を受けて震えるように揺れている。
17世紀イングランドの詩人、ジョン・ドライデンは「大いなる命も、小さく始まる」と言った。目の前にも、まさにそんな光景がある。これから1世紀ほどの時間をかけて、この苗木たちは成長し、スコットランド産オークの森が少しずつ形成されていくだろう。この森はフェッターケアン蒸溜所のチームが環境保護を目的として植樹した「フェッターケアンの森」だ。美しい過去を取り戻し、未来を切り開いていく取り組みなのである。
この取り組みの青写真を描いたのは、フェッターケアンのウイスキーメーカーを務めるグレッグ・グラスだ。グレンは、ここ10年ほどスコットランド産オーク樽の価値や長所について模索してきた。最近も蒸溜所のオーナーであるホワイト&マッカイと共同で、そんなスコットランド産オーク樽での試験的な熟成を続けている。今回の植樹は、そんな活動からごく自然に派生したものなのだという。
スコッチウイスキーの熟成に、スコットランド産オークを使用するのは理にかなっている。世界中から樽材を輸送することで発生する二酸化炭素のことを思えば、近年は特に正しい選択のように思えてくる。だが現在のところ、スコットランド産オークを樽材に使用している実例はほとんどない。なぜなら手に入る数量もスコットランド産オークのほうが遥かに希少だし、アメリカンホワイトオーク(Quercus alba)に比べて、あまりにも加工や修理が難しいとみなされているからだ。
ヨーロピアンオークの代表格であるスパニッシュオーク(Quercus robur)やフレンチオーク(Quercus petraea)であっても、スコットランドの気候で育つと木材に気孔が多くなり、たとえ短期間の熟成でもスピリッツに大きな影響を与えてしまう。年単位ではなく、月単位や週単位でスピリッツの香味を変えることもあるくらいだ。
グレッグ・グラスは、これまで何年もかけてこの木材の特性を知ろうと頑張ってきた。さまざまな実験を繰り返した結果、扱いにくい樽材として敬遠するのではなく、フレーバーを手懐けながらその魅力を最大限に引き出そうと思うようになったのだという。
蒸溜所のすぐそばにオークの森を復活
このような取り組みがあってこそ、スコットランド産オークの森を作ろうという考えも生まれてきた。苗木が植えられているのは、蒸溜所を取り囲む「ファスク・エステート」という敷地の一角だ。蒸溜所自体からも目と鼻の先である。
ファスク・エステートは、8000エーカー(32平方キロ)の美しい大地だ。どんよりとしたスコットランド特有の悪天候であっても、オレンジ色、琥珀色、黄金色の燃えるような紅葉に輝いている。あたりを散歩すれば、まさにウイスキーのような色彩に覆われた大地が足元を照らしてくれる。
グレッグ・グラスがフェッターケアンに来たのは2016年のことだ。蒸溜所長のスチュワート・ウォーカーと会ったときから、2人の好奇心が共鳴して増幅していくのを感じたという。グレッグが当時のことを回想する。
「その頃は昼の本業と別に、スコットランド中をあちこち回って木材を集めるのに忙しくしていました。ちょうどその時、スチュワートは地域の農家の人たちと協働しながら、地元産の大麦を調達していたんです。絞りかすを牛たちの飼料用に返すこともやっていました。何度かスコットランド産オーク樽で熟成の実験をした後に、この樽材を地元で調達できたら素晴らしいんじゃないかという話になったんです」
グレッグとスチュワートは、周囲のファスク・エステート敷地内から樽材を調達し始めた。さらに踏み込んだ植樹に関する話し合いは、よりサステナブルであることを求める互いの倫理観に影響を受けることになったのだという。それは、まさにオーガニックなパートナーシップと呼べるものだった。
そんな経緯があって、プロジェクトは蒸溜所の目の前で始まったのである。そもそもフェッターケアンという名前は、「丘の麓」を意味するゲール語だ。この丘は、数万年に及ぶプレートテクトニクスによって、大地が移動したりぶつかったりしながら隆起したものである。そのため土壌にもさまざまな多様性がある。
アバディーンシャーが誇る豊かで肥沃な土地は、地元の人々に「スコットランドの庭園」と呼ばれて親しまれてきた。200年ほど前まで、ここには古代の森があったと信じられている。オークの森は強風からシェルターのように大地を守りながら、他の植物を育てるのに十分な日光を内部にまで取り込める。森林の専門家たちが、「光は生命なり」と言う所以だ。
だが古代の森はいつしか減少し、輸入された針葉樹の苗木に植え替えられていった。針葉樹のほうが、生育が早いからである。製材所の数も年々減っているなかで、林業のような地元密着型の産業を復興することも重要な目的のひとつになった。
(つづく)











