ヘブリディーズ “ウイスキー” 諸島【その1】
手つかずの自然が残る美しいスコットランドの辺境を訪れ、「ウイスキー諸島」の歴史を紹介する
Report:チャールズ・ダグラス
マル島……蒸溜所とスペインのガレオン船で有名
15年前、スコットランド本土のカイル・オブ・ロハルシュとスカイ島のカイリーキンを隔てる半キロメートルの海上に橋が架けられ、もっぱらフェリーや短距離航空便に頼っていたヘブリディーズ諸島への足にも自動車という選択肢の飛躍的な拡大があった。今では橋の通行料も廃止されて、本土のマレイグからアーマデイルまでCalMacフェリーに乗る代わりに、スカイ島の小さな町々、ブロードフォードやアーマデイル、ポートリー、ウィグなどに自由に行くことができる。当初は変化に抵抗していた島民も、経済的な恩恵を受ける結果になった。
スコットランドの数多い島々の中でも、スカイ島は歴史的な出来事と結びついている。1746年の夏、王位継承争いに敗れたチャールズ・エドワード・スチュアート王子が女装してポートリーに上陸し、政府軍の目をかすめて亡命先のフランスに逃れたという逸話だ。おそらくは最も叙情的で有名なスコットランド歌曲「My Bonnie」に歌われたこの物語は、祖先の政治的立場にかかわらず、国を離れた全てのスコットランド人の心に刻み込まれている。
そして21世紀、スカイ島は観光業、農業、漁業、さらにスコッチ・ウイスキーのブレンディングと蒸溜とが混じり合って繁栄している。20世紀でも島生まれの7割以上がゲール語を話したという土地柄に相応しく、1973年には全授業をゲール語で行う学校、スール・モール・オステイク(Sabhal Mor Ostaig)も創立された。
消えつつあるヘブリディーズ文化の保存に力を尽くしている人々にとって、ゲール語の衰退は大問題となった。最新の調査では、スコットランド全体でゲール語を話す人はおよそ6万人で人口の1.2%に相当し、その大部分がヘブリディーズ諸島に住んでいた。この辺りではゲール語と英語を併記した道路標識が一般的だが、その努力が本当に効果的かどうか、それは判らないだろう。
ハーポート湖を見渡すタリスカー蒸溜所に寄り道することをお勧めする
スカイ島の観光名所は西海岸にあるマクロード家の居城、ダンヴェガン城と、南方のアーマデイル城跡「クラン・ドナルド・ビジターセンター」だ。ダンヴェガン城を見学するついでに、ハーポート湖を見渡すタリスカー蒸溜所に寄り道することをお勧めする。北方には雄大なクイリン丘陵が空高くそびえ、イヌワシが舞っている。この野性的でドラマチックな風景は、世界中の登山家の間でとても有名だ。
南部の景色はそれほど猛々しくない。アイリーン・ヤーメインでは、元金融業者のイアン・ノーブル卿が設立した会社が、さまざまなブレンデッドウイスキーをつくっている。
そしてウイスキー愛好家としては当然ながら、タリスカー蒸溜所を訪れなくては話にならないだろう。1831年にカーボストに建設され、ウォッシュスティル2基とスピリッツスティル3基の合計5基が稼働している。ぴりっと刺激的な胡椒の香りで知られるタリスカーは、作家のロバート・ルイス・スティーブンソンとヘンリー・ヴォラム・モートンが好んだウイスキーである。
スコットランド西海岸の海上交通は事実上、政府所有のフェリー会社、カレドニアン・マクブレイン(通称CalMac)が独占し、本土の主なアクセスポイントはアードロサーン(アラン島行き)、ケナクレイグ(アイラ島、ジュラ島行き)、オーバン(コロンゼー島とオロンゼー島、マル島、コル島、ティリー島、バラ島行き)、ウラプール(ルイス島行き)、またスカイ島のウィグからノース・ウイスト島とハリス島行きもある。
ヘブリディーズ諸島と遺伝的なつながりのある人々は、島々の話題となると超自然的とも言えるほどの反応を示す。夢見るような“ぼーっ”とした表情になってしまうのだ。ヘブリディーズ諸島の古い言い方で、「ウイスト島を見ている」と言うそうだ。
千年以上前、北はルイス岬から南はイングランド沿岸のマン島まで、内ヘブリディーズ諸島と外ヘブリディーズ諸島を合わせた王国が形成された。大西洋の東端に位置するユニークな島々で構成されたこの王国は、中世時代、アイラ島を本拠地とする強力な「ロード・オブ・ジ・アイルズ(諸島の君主)」が支配した。
12世紀、スコットランド西部アーガイル地方と諸島の君主、サマレッドは、絶え間ない北方民族の侵入を抑えきれず、ノルウェーの王オラフの娘、レインヒルディスと結婚した。この結婚と後の闘いでの勝利により、武将サマレッドは海洋地域に散在する島々を統べる最高権力を獲得し、各島は臣従の誓いを立てた。
今日のアイラ島はウイスキー製造の中心地として知られ、アードベッグ、ボウモア、ブルイックラディ、ブナハーブン、カリラ、ラガヴーリン、ラフロイグ、そして最近では2004年にオープンしたキルホーマンという8ヵ所の蒸溜所を擁している。いずれも、どこかこの島を表現しているような豊かでピーティなシングルモルトをつくっている。隣接するジュラ島には、やはりジュラ島らしいシングルモルトがあるのと同様だ。
サマレッドの死後、息子たちが領土を分割して、アーガイル地方およびローン湾のマクドゥーガル一族やアイラ島のマクドナルドとしても知られているドナルド家など「ハイランズ西部およびアイランズ」有力氏族の祖先となった。それぞれの居城、および大部分は廃墟となってしまったが後継者らによる増築の跡は今も見ることができる。アイラ島のフィンラガン城、マル島のデュアート城、バラ島のキシムル城、スカイ島のアーマデイル城、ウイスディン城、ダンヴェガン城、ダントゥルム城、そしてベンベキュラ島のボーヴ城である。19世紀になると、裕福な実業家が大金を投じて大邸宅を建て、富を誇った。マル島のトロゼイ城、ラム島のキンロッホ城、ハリス島のアムヒンスーデ城、そしてルイス島のルーズ城である。
実業家たちはスポーツに興じ、鮭釣りや鹿狩りを楽しみ、現代の観光客と同様、広い空と絶え間なく変化する広大な海に囲まれて圧倒的な平穏に浸るためにここにやって来た。19世紀にはジョージ・オーウェルやコンプトン・マッケンジー卿などの作家もインスピレーションを求めて訪れた。ヘブリディーズ諸島は地球上で全く手つかずの自然が残されている最後の場所のひとつであり、いくら探索しても興味は尽きない。
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