マル島―トバモリーとレダイグを知る
トバモリーはリゾート地としても脚光をあびている。この町が存在するマル島の二つのウイスキーを紹介する
Report: ドミニク・ロスクロウ
マル島の海岸は入り組んでいて、山が多く、誰かがハイランドを切り取って、海に投げこんだかの様な地形だ。しかし、トバモリーの町は穏やかな港で、スコットランドの何にも勝るとも劣らない。いや、他のどこにも劣らない蒸溜所の瀟洒な背景と言える。港には、あらゆる大きさの船と修理用の浮きが浮かび、海岸に沿う鮮やかな色の家々は風景を個性的なものにしている。聞くところによると、海中では宝物を積んだスペインのガレコン船が発掘を待っているということだが、それは風雨を避ける避難港としてのこの島の長い歴史の証である。別の一面として、丘の上まで行くと海ワシがどこにでも飛んでいて、農場の生まれたばかりの家畜の天敵になっている。
町の上品なパステル調の瀟洒さと比べると、トバモリー蒸溜所は少しばかり寂れているように見える。町に入って右手に、浜辺の端で波打ち際に寄り添うように建っている。風雨にさらされ、屋根の角の周りはぼろぼろになり親しみを感じさせる。ペンキを新しく塗っても、ここでのウイスキーづくりは闘いだったという事実を隠すことはできないほどである。トバモリーは、他の多くの蒸溜所に比べて生き残るための闘いがはるかに困難だった。
ここは当初、1798年にビール醸造所として建てられ、その後間もなく蒸溜所に変えられた。スコットランドで最も古い蒸溜所のひとつであるが、休止期間が長年に及び再開の見込みが断たれた時期も一度ではなかった。
19世紀と20世紀のほとんどの期間、トバモリーは全く生産を行わず、残っていたウイスキーもはぎ取られて、売られてしまった。蒸溜所の反対側の道路の左に見える平屋の住居は、蒸溜所が通った過去のイバラの道を物語っている。その建物は蒸溜所の倉庫の一部として建てられたが、以前の所有者のひとりが負債の支払いのために売却した。マル島で作られたのチーズがここに保管された事もあった。
歴史的には、ここのウイスキーにも問題があった。財政的苦境の結果、粗悪なカスクが使われ、また一貫性のなさがトバモリーの評判を落としたからである。バーン・スチュワートが1993年に蒸溜所を買収したとき、イアン・マクミランのチームは、相互に一貫性がなく多様な一群のカスクを発見した。その多くは標準以下のものだった。マクミランの見方でさらに深刻なことは、ウイスキーそれ自体が悪いということだった。
「人々はトバモリーが何かを知りませんでした」と彼は言う。「前の所有者は西海岸の島でスペイサイド・ウイスキーをつくろうとしていたのです。それは西ハイランドのものとしては非常にライト過ぎました。そして、ヴァッテッドモルト用として売られましたが、トバモリー自体はそれほど使われませんでした。私は、ウイスキーをもっとこの地に適したものに変えるだけでなく、シングルモルト向きのウイスキーに変えようとしました」
バーン・スチュワートは買収以来ずっと必要に応じて投資を続けてきた。しかし、蒸溜所で行われたことは桁違いのものである。マッシュタンは完全に入れ替えられたに等しい。
「大仕事で、多額の費用もかかるでしょうが、古いマッシュタンは完全に使い古されていたので、どうしてもやらなければなりません」とマクミランは言う。「私達は古いマッシュタンを見ながら設計を始めないといけませんでした。なぜなら、駆動輪の図面が一枚もなく、図面を書き直して鋳型を作り直さなければならなかったからです」
投資してもできない事のひとつは、蒸溜所の近代化である。この蒸溜所は、小規模で経済的なので、近代化に同意する意見はほとんどなく、テクノロジーもほとんど関係ない。鋳型でつくった鉄製のマッシュタンがひとつと4つのオレゴン・パイン製のウォッシュバックと2組のスティルがある。備品のほとんどは1970年代初頭のものだが、1993年以降、会社は必要に応じて部分的に取り替えた。蒸溜所は年間約100万ℓのスピリッツをつくることができるが、ここ数年はこれを少し下回っていて、現在は約80万ℓである。でき上がったスピリッツは、蒸溜所の2種類のウイスキー、クリーンでアンピーテッドのトバモリーとピーテッドのレダイグに、ほぼ均等に分けられる。
「需要に応じてつくるので、その結果、レダイグを一年の後半期と翌年の前半期につくります。切り替える回数を最少にするためです」と蒸溜所マネージャーのグレアム・ブラウンが述べる。
ピート焚きしていない大麦はスコットランド本土の様々な地域から仕入れ、ピート焚きした大麦はアイラのポートエレンから仕入れる。
売却によって倉庫が無くなったので、蒸溜所のウイスキーのほとんどが熟成のためにスコットランド本土に移される。スピリッツができ上がると、その大半はタンクに詰められてディーンストンに運ばれ、それから熟成を完成させるためにブナハーブンへ運ばれる。
ただし、すべてではない。蒸溜所のごく一部が倉庫に改造されたので、一部は昔のように島で熟成される。これは所有者であるバーン・スチュワートとしての、ささやかであるが象徴的な自己表明である。
15年熟成のウイスキーは熟成の最後の年に蒸溜所に戻る。マクミランは一部のレダイグをマル島で寝かせ、そして同数のカスクをブナハーブンとスコットランド本土でバッチして熟成させている。
「これは実験中です」と彼は言う。「西海岸の影響を与えるためにアイラでウイスキーを熟成させることもできました。どういう違いがでるか、とても興味深いですね」
トバモリーは拡張の余地がほとんどなく、小規模なままで留まりそうだが、それでもバーン・スチュワートの後押しで、これまでの年月以上の関心を得ていくだろうということは理解できる。この蒸溜所に対する信念があり、至る所に目的意識が感じられる。ギフトショップには世界地図が掲げられていて、ビジターは自分の出身地に印をつけられるようになっている。それを見ると、モンゴル、韓国、セネガル、セントヘレナから見学者がきたちょうど一週間後だった。
「15年モノの発売が蒸溜所への注目度を高めるのに役立ったのは確かです」とグレアム・ブラウンが言う。「そして、人々は他のシリーズのウイスキーをテイスティングに興味を持ち始めました。非常に美味しい10年モノがあるのに、多くの人はまだ試していません。一度は興味を失ってしまったのですから。もう、以前とは違うウイスキーなのです。会社の後押しを受けて、生まれ変わりました」
実際その通りだ。バーン・スチュワートだったら次のように言うだろう。
シリーズの中心である、ノンピーテッドのトバモリー10年と、ピート炊きした10年レダイグは美味しいだけではなく、一貫して高い品質をもち、数年前のリミテッドエディション32年の発売は人々に、この蒸溜所のウイスキーがいかに特別であり得るかを思い出させるのに役立ったと。
新しい15年のシリーズは、はっきりとシェリー樽熟成のトバモリーであり、多くの人に蒸溜所の方針を紹介する大役を担った。実際、現在トバモリーは200年の歴史において始めて、健康的な時期に遭遇している。マクミランとブラウンはそのことを誇りにしているが、まだまだもっとたくさんのことが起こる。
「古くて素晴らしいレダイグとトバモリーもありました」と彼は言う。「このウイスキーは崇高なもので、目を見張るような旅をしてきました。最初はマル島で20年過ごし、それから移動されました。そのとき良質のシェリーカスクに詰め替えられましたが、マル島での倉庫事情も変わり、最後の5年間を旅の出発点である故郷で過ごすことになるでしょう」
今は、蒸溜所とウイスキーをつくる人びとにとってわくわくする時間だ。何度も打ちのめされたかもしれないが、トバモリーほど脚光を浴びるのに値する蒸溜所はない。そして、もし、非常に古いトバモリーを一度も試したことがないなら、試すべきだ。格別の喜びが得られる。