自然に抱かれた安らぎの地 宮城峡
東京から1時間半足らず。宮城県の山間部には、たくさんの温泉、山寺、サクランボ果樹園などが点在している。丘陵は鬱蒼とした林に覆われ、深い谷間を縫うようにして新川川や広瀬川などの河川が流れる。自然に抱かれた、安らぎの地。しかしながら1967年にこの地を訪れた竹鶴政孝は、美しい里山の景色に目を奪われていた訳ではなかった。蒸溜所の建設地を探していたのである。
1960年代後半までに、竹鶴が創立したニッカウヰスキーは躍進を遂げ、安定した経済的基盤を維持していた。当時は蒸溜所が在庫のやりくりに苦労するほどのウイスキーブーム。はっきりしていたのは、ブレンデッドウイスキーの需要に供給が追いつかなくなってきたこと。ニッカ唯一のモルト蒸溜所である余市蒸溜所だけでは、充分な量のウイスキーを生産できなくなっていたのである。ニッカは第2の工場を新設する必要があった。広瀬川の上流部を調査し始める前から、竹鶴はすでに3年にわたって蒸溜所建設地に相応しい場所を探し続けていた。
この土地が、いったい何をもたらしてくれるのか。とりわけ竹鶴がこだわっていたのは水である。ウイスキーづくりには水が要る。それも大量の清らかな水だ。新川川と広瀬川は、竹鶴が設定した厳しい条件を満たしていた。目をつけたのはこの2つの川が合流する地点である。川から生じる湿度が、熟成に適した微気候を作り出す。さらに都合のよいことに、合流する2つの川に挟まれた沖積平野は工場地として十分に広く、将来さらに拡張できるだけの物理的な余地も残していた。
建設地を探す旅は、ついに終わった。竹鶴はここで第2の夢を始めることに決めたのである。
自然に抱かれた巨大施設
1969年、ニッカウヰスキー仙台工場の建物が完成。18万㎡の敷地を持つこの工場は、竹鶴の見込み通りに大きく成長することになる。
これまでに、大規模な拡張は何度かあった。最初は1976年である。この工場は日本のウイスキー市場が中興期にたどった進化の過程を物語ってくれる。
工場の建物は沖積平野に点在しており、各エリアを区切るように2,700本の樹木が植えられている。さらには3,700本の低木が、道の脇や敷地中央の池を取り囲む。稼働中の工場というよりも、公園のような佇まいが印象的だ。繊細に造園された敷地内では、工場自体に近づかない限り施設の巨大さを実感することができない。自然と産業の風景が、完璧なバランスで融合しているのだ。
設備の規模が、80年代後半の楽観的な気分を物語っている。当時、日本の蒸溜所関係者は、ウイスキーの生産が永遠に右肩上がりであるような予測を立てていたのかもしれない。宮城峡の工場設備が巨大なのは、シングルモルトではなくブレンデッドウイスキーの将来性を見込んでいたからだ。そもそもこの蒸溜所が建設されたのも、ニッカのブレンダーたちが様々なスタイルの原酒を用いて魔法を紡ぎだすためなのである。
キルンを例にとってみよう。最近のニッカはスコットランドの大麦を使用しており、この窯が稼働していたのは1969から1975年までである。それでもこのキルンは、本場スコットランドのキルンがちっぽけに思えるほどの堂々たる大きさだ。キルンの中では、日本産のピートが展示されている。シングルモルト宮城峡の穏やかな甘味やフルーティーな香りのファンになった愛好家にとって、スモーキーなウイスキーを連想させる展示は意外かもしれない。キルンを閉鎖したときに、宮城峡はピートの使用もやめたのだと思っている人もいるだろう。だが事実はまったく違う。ここでは今もスモーキーなウイスキーがつくられている。
より多様に、より複雑に
ブレンデッドウイスキーは、今でもニッカの多様性を支える原動力なのだ。その証拠が、キルンの隣の建物にある。まず目に入るのは、膨大なパイプ構造。蒸溜塔が、吹き抜け空間に向かってそびえ立っている。これは2基あるカフェ式連続蒸溜機の一部だが、もともとこの蒸溜機はニッカの西宮工場から1999年に移設されたものだ。ここで生産されたグレーンウイスキーは、主にブレンデッドウイスキーに使用される。
グレーンウイスキーに関する誤解を解いておきたい。グレーンが、単に個性豊かなシングルモルトに混ぜてブレンデッドウイスキーをつくるためのニュートラルなスピリッツであるという認識は間違いだ。グレーンにも個性がある。ブレンダーが複雑なブレンドを作り出そうと望んでいるときには、いくつもの異なったスタイルのグレーンが必要になる。それはブレンデッドに様々なシングルモルトのフレーバーが必要であるのとまったく同じ理屈だ。
ここにあるカフェ式連続蒸溜機は、その役割を正確に果たしている。ライトからヘビーまで様々なスタイルを生み出すため、原料に占める大麦麦芽(モルト)の割合を変えながら多様なグレーンウイスキーがつくられる。原料は大麦麦芽とトウモロコシの混合であり、100%コーンと100%モルトが両極にある。ニッカはこれらのスピリッツの高い品質を示す「カフェグレーン」と「カフェモルト」をリリースしている。
多様性を希求する原則は、隣の建物でおこなわれるモルトウイスキー蒸溜においても同様だ。すぐに気づくのは、通常の蒸溜所なら1つしかないマッシュタンが2つあること。生産量はそれぞれ6tと9tで、複数製品の工程を同時にこなしたり、同一製品を大量生産したりと柔軟に活用されている。
ここで得られた水晶のように透明な麦汁(これが宮城峡のピュアなフルーツ香の要因だ)は、22槽あるステンレス製の発酵槽のひとつにポンプで送り込まれ、長時間かけて発酵される。これもまたフルーティーなスピリッツをつくるのに欠かせない工程だ。
使用される大麦麦芽は、主にアンピーテッドとライトリーピーテッドの2種類。異なった酵母菌株を使い分けることで、幅広いフレーバーをつくる。例えば、ブラックニッカのコアモルトに使われるスピリッツは、それ専用の酵母菌株でつくられている。
以上の事実から明らかなのは、発酵もろみ(ウォッシュ)が蒸溜棟に運び込まれるまでに、すでにたくさんのバラエティー豊かなフレーバーが生み出されているということである。
いよいよ蒸溜器の登場だ。8基ある蒸溜器のうち、4基は創業時からのもの。すべての蒸溜器は同じかたちで、幅広の大釡と、太く分厚いネックによって、アルコール蒸気が絶え間なく銅と接触するように設計されている。これもまた、複雑ですっきりとしたスピリッツをつくるための設計だ。ピート香が入っていても、フルーツ香が前面に出るのはこうした仕組みの産物なのである。
穏やかな個性が育む総合力
最後に残された重要項目、それは熟成である。蒸溜棟の外へ出ると、静かな庭の向こうから音が響いている。金属のタガをハンマーで打ち付ける音だ。鼻孔をくすぐる匂いがする。甘いバニラ、ラズベリー、そして木の焼ける香ばしいアロマ。これらすべてが、蒸溜所付属の樽工房から漂ってくるのだ。職人たちが樽を修理し、組み直し、内側に焼きを入れ、2軒の蒸溜棟からやってくるニューメイクスピリッツを入れるための準備をしている。ここでもまた、鍵になるのはバラエティーの豊かさだ。多彩なフレーバーのスピリッツを、様々なタイプの樽で熟成することで、そのバリエーションはかけ算式に増大するのである。
25軒もの貯蔵庫が、工場を取り囲むようにして敷地内に点在している。近年、ほとんどのスピリッツは北米産のホワイトオークで造った樽に入れられる。種類はバレルとホッグスヘッド、ファーストフィルとリフィルの併用。それぞれの樽が固有の影響をスピリッツに与えるが、共通するのは旺盛なバニラ香である。シングルモルトに使用される予定のスピリッツは、おおむねリフィルの樽へと送られる。スピリッツの複雑さが、新木との密接な接触によって打ち負かされないようにとの配慮からだ。近年、シェリー樽の割合は多くない。それでもシェリー樽が生み出す芳醇なドライフルーツのアロマは、依然として全体のブレンド構成の中に必要とされている。
宮城峡の心臓は、その繊細な個性である。兄貴分である余市は骨太で塩っぽく、オイリーで、はっきりとスモーキー。硬質で力強く、いかにも北海道の荒々しい海岸が育んだ性格である。一方の宮城峡は、その正反対だ。ここではすべてが温和で繊細である。ウイスキーは暖かい夏の夜や柔らかなフルーツを物語り、樹木にぶらさがる柿や桃を思わせる。余市よりも力強さは少ないが、それはいかなる意味においても欠点ではない。
宮城峡はブレンディングにおけるバランスをつかさどり、ウイスキーに甘く魅惑的な要素を与えて魅力的な飲み物にする。シングルモルトとしても、はっきりとした個性を持っている。アロマが豊かで、柔らかく甘美。様々な用途で使えるシングルモルトなのだ。料理に合わせるのも、オンザロックで食前酒にするのもいい。古風な表現だが、暖かい夕べにディナーの後で楽しむのにぴったりのウイスキーでもある。
多様性と複雑さ。それが宮城峡の歴史を解き明かすキーワードだ。日本のウイスキー産業に活気が戻ってきた現在、竹鶴が下した英断は再び豊かな収穫をもたらしているのである。