Lost Distilleries―ヘーゼルバーン

August 17, 2013

ウイスキー・シティ最大の蒸溜所のひとつであったヘーゼルバーンの興亡

Report:ガヴィン・D・スミス

ウイスキー業が好調な時期にも関わらず、キャンベルタウンのビジネスは厳しいものだった。アルフレッド・バーナード1880年代「ウイスキー・シティ」として描いたxのこの漁港には、当時は少なくとも20の蒸溜所が稼動していた

1930年代半ばまでには、蒸溜所の数はたったふたつにまで減り、以前あったグレンガイル蒸溜所が2004年に復興しても、この歴史的な町でウイスキーを生産している蒸溜所は現在ですらたった3つしかない。そのひとつグレンスコシアの生産高は可能稼働量をはるかに下回る。もうひとつの蒸溜所であるスプリングバンクは、今でも世界から需要が多く、使い古された言葉であるが「偶像的」という言葉が本来の意味で当てはまっている。

キャンベルタウンの失われた蒸溜所の中で、へーゼルバーンは、究極、最大にしてかつ最重要な蒸溜所であった。その存在を記す最初の記録は1825年であるが、それ以前にもロングロウの敷地で蒸溜が行われていただろうとも考えられている。アルフレッド・バーナードは彼の著書『英国のウイスキー蒸溜所』(1887)で、へーゼルバーンは「(中略)17世紀に創立された」と書いている。

蒸溜許可はグリーンリース・コルヴィル社に与えられ、コルヴィル家の人々は1世紀以上の間キャンベルタウンの蒸溜事業をリードした。彼らはヘーゼルバーン蒸溜所だけでなくキャンベルタウンキンロッホダラルアン蒸溜所にも積極的に関った。これらの蒸溜所についてもアーチボルド・コルヴィルは、ダニエル&マシュー・グリーンリースと共同経営を行なった。

1845年、ウイスキー産業が好景気になると、ミルクノウ・ストリートに新しく拡張されたヘーゼルバーン蒸溜所が建てられた。そこは、ジェームズ4世の議事堂が建っていたと言われている。同じ年に、アーチボルド・コルヴィルが事業から去り、代わりにサミュエル・グリーンリースが入った後、蒸溜所は1920年までグリーンリース&コルヴィルとして事業を行った。

新しいヘーゼルバーンには6,000ガロンを下らない容量のウォッシュバックと3基のスティルがあった。7,000ガロンのウォッシュスティルはキャンベルタウンで最大のものだった。アルフレッド・バーナードはスティルに加えられた面白い変更を描写している。

「(中略)ヘッドは他の蒸溜所で見たことがない独特の形をしている。天辺は、洋ナシの形をした通常のものではなく、それぞれのスティルに32の小部屋か管のようなものがあり、最後はウォームに続くすぐ手前のドーム状の半球につながっている

これらの管は、スティルが『稼働』している間、中にあるパイプの周りを冷水が流れ続けるコンデンサーの役目をする銅製の箱の中に入っている。この方法によって、蒸気となってスピリッツと一緒に通過してしまうであろう、かなりの割合のフーゼル香の成分がスティルに再び戻され、純粋なスピリッツはコラムを通過して不純物なしにウォームに入る」

理論的には蒸溜所は年間25万ガロンの生産が可能であったが、記録によると20万ガロン台を超えたことはない。ただし、9つの倉庫は50万ガロンのスピリッツを収納することが可能だった。

1880年代までには、グリーンリース・ブラザーズの会社は事業を広げ、グラスゴーとロンドンでも展開された。ヘーゼルバーンのウイスキーはキャンベルタウンからグラスゴーまで海上輸送され、そこで熟成されることになった。グリーンリースはヘーゼルバーンをシングルモルトあるいは当時では「セルフ・ウイスキー」として市場に出し、同様にたくさんのブレンデッドスコッチウイスキーもつくった。一方、アイリッシュ・ウイスキーもまた会社のビジネスにとって重要な役割を果たした。

第一次世界大戦後、スコッチ・ウイスキー産業全般が厳しい時代を迎え、会社は1920年に有名なホワイトホース・ウイスキーのマッキー&Coに売却された。

1924年に社名はホワイトホース・ディスティラーズに変更されて、翌年はヘーゼルバーンの操業が停止され、1921年以来断続的にしか操業されていない。

ホワイトホース・ディスティラーズ社がディスティラーズ・カンパニー社(DCL)に吸収されたので、 ヘーゼルバーンの広い倉庫は1983年まで多くのDCLの蒸溜所が生産するウイスキーの熟成用に有効利用され続けた。そして、元の蒸溜所の建物もまた研究用の施設として役立てられた。

現在は、ヘーゼルバーンの複合施設のうち、元の事務所と古い麦芽用納屋がある比較的小規模の施設とヘーゼルバーン・ビジネスパークの一部分のみが残っている。

もともとのヘーゼルバーンのウイスキーを発見すれば、歴史的な僥倖に出会うことになる。

しかしその蒸溜所の名は、近接のスプリングバンク蒸溜所でJ&Aミッチェル社によってつくられて1977年から発売されている3回蒸溜ウイスキーのシリーズに名前をとどめている。

カテゴリ: Archive, 蒸溜所