ハイランドの魔術師 グレンモーレンジィ【後編】
急進的なイメージとは裏腹に、実際の蒸溜所はハイランドのルーツに忠実であるグレンモーレンジィに迫る後編。
文:ドミニク・ロスクロウ
闘う完全主義者
近年、グレンモーレンジィは大きな変化を経験した。製品領域を見直し、スタイルを改め、新興市場の需要に対応すべく蒸溜所を拡張した。それでもラムズデンは、量を売るために品質を犠牲にするような提案を断固として拒否している。最近も、求めていた仕様にぴったりそぐわないという理由で、ニュースピリッツのひとつにダメ出しをしたばかりだという。
「私がそのニュースピリッツを受け入れないだろうということを、スチルのメーカーはわかっていたと後になって言いましたよ。じゃあ、どうしてそんなスチルを納入したのかっていう話なんですが」
彼は笑顔で続ける。
「でもまあ、自分が完全主義者であることは認めます。製造するウイスキーが完全なものであることを保証するために、あらゆるものが完璧でなければならないのです。ウイスキーの品質を守るため、私がよく子どものような癇癪を起こすことは、身内なら誰でも知っていますよ」
「私がまだ時期尚早だという樽を、マーケティング部が市場に出そうとしたことがあります。もちろん、私は怒り狂いました。でも会社は、私との付き合い方を学習してきたみたいです。私が問題にしているのは、常にウイスキーの品質のことです。ここに私がいる限り、グレンモーレンジィの評判は私の手に委ねられている。もし私が評判などどうだっていいと思ったら、グレンモーレンジィの品質や評判を気にする人間は誰もいなくなるでしょう」
コアモルトを頑固に死守する、痛快なほど正直な姿勢。グレンモーレンジィでこのような言葉を聞くたび、タインで生産されるウイスキーに品質の劣化はありえないと誰もが納得できるだろう。
革新的な特別ボトル
ウイスキー愛好家にとっての福音は、一連の特別製品である。同僚のディスティラー兼ブレンダーであるレイチェル・バリーと共に、スコットランドにおけるモルトウイスキー革命の最前線を走っているのは有名なことだ。
官能的で、贅沢なビターチョコレートやスパイシーな満足感に満ちた「シグネット」はまだ記憶に新しい。その後に、豊満で驚くほどのピート香を備えた「フィナルタ」があった。そしてこのたび発売した「プライド1981」は、18年間熟成したウイスキーをシャトー・ディケムの貴腐ワイン樽に移してさらに10年熟成した、計28年熟成のウイスキーだ。1,000本限定、価格はウェブサイトにいわく「お買い得な」2,500ポンド(約30万円)であった。
未来を考えたとき、このような実験は心が踊り、重要かつ必要なものであるとラムズデンは言う。
「フィナルタでは、昔のグレンモーレンジィがこうであったかもしれないという味を再現しようと試みました。実は古い革張りの台帳に、いくつかの素晴らしいレシピが記録されているのを見つけたのです。以前のグレンモーレンジィには、ピートが使われたことがあったかもしれない。それは他のグレンモーレンジィとは性格が異なるものでしたが、興味をそそりました」
フィナルタの発売に際して、何人かの著名なウイスキー専門家が、過去最高のグレンモーレンジィだと評価した。ラムズデン自身は必ずしもその評価には同意していないが、前向きな発言は次への勇気に繋がる。
プライド1981では、より冒険的なカスクの選択が鍵になった。特別なワイン樽をいくつか手に入れて検討し、貴腐ワインにたどり着いたのだという。
「グレンモーレンジィを貯蔵してうまくいきそうなワイン樽は何かと考えたとき、ソーテルヌ(貴腐ワイン)が間違いないと思い至りました。そこでソーテルヌのバリク樽を調達に出かけると、シャトー・ディケムから驚くほど呆気なく入手できたのです。その実験は『ネクター・ドール』をつくるための青写真になりましたが、とりわけ優れたものをそのまま貯蔵してどんな変化が起こるのかを見守っていたところ、これがどんどん進化していったのです。そして今回、『よしできた』というベストのタイミングで製品化しました。それが目安にしていた30年熟成ではなく、たまたま28年9ヵ月17日4時間だったというわけですよ」
このような話をしながらも、ラムズデンは絶えず手を動かしている。サンプル室を早足で歩きまわり、未来のために新しい実験的なモルトをつくっているのだ。
「自分でも、1秒たりともじっとしていられない性分だとわかっています。これはもう、変えようのない体質ですね」
この人格が、伝統をしっかりと守りながら、規格外の素晴らしさを生む秘密なのだろう。
ビル・ラムズデンと、彼がつくるウイスキー。どちらもタインの海岸にしっかりと両足を下ろしている。